今回の法語である。


 『 天命に安んじて
   人事を尽くす。
   (どのような天命をも
    受け入れる
    覚悟がなければ
    人事を尽くせない。)
            清沢満之
  』



これは、5月病シーズン用に考えてみたものである。「人事を尽くして天命を待つ」=“人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しない。”という格言は有名だが、どうも“やれば出来る、やらなかったから出来なかったのだ”みたいな使われ方をしているように思える。裏の意味は、“自分に出来る以上のことは思い煩っても何にもならない”ということなのに....。
 「学問ノススメ」などの著者で、明治時代の思想家、教育家でもあった福沢諭吉は、「人事を尽くして天命を待つ」を、“結果はどうあれ最善を尽くすことが大事である”という意味合いで多用していたらしいが、人間万事このように行動できれば何の問題もないでしょう。しかし、人間が最善を尽くすという時は、それに見合ったいい結果を期待するからこそ行動できるのであろう。何の結果も期待できないことには、なかなか最善を尽くせないのが悲しいかな人間の性である。さらに、最善を尽くし良い結果を得た場合に、それを支えたものを忘れ、自分の努力や能力を誇り自惚れてしまうのも同様である。
 福沢諭吉と同時代に生き、浄土真宗の近代教学の礎を開いた清沢満之師は、「世間一般では、人事を尽して天命を待つと言うが、天命に安んじて人事を尽すというのが本当の生き方なのではないだろうか。」とおっしゃっていた。男に生まれた、女に生まれた、若い、老いている、等いろいろな条件があるが、そのいろいろな条件に安んじて、自惚れることなく卑下することなく人生を全うしよう、その中で精一杯を生きるというのが本当の生き方なのだと教えておられる。
 2/4の伝道掲示板の解説にも書いたが、「人間万事塞翁が馬」という事が納得できて初めて全力が出せるのである。(どのような天命をも受け入れる覚悟がなければ人事を尽くせない。)の部分は、解説の意で付け加えたのでマジックペンで書いた。本来ならこの部分は無しで原文通りのシンプルさを誇示したいのだが、本意を理解してほしいのであえて付け加えたのだ。これからも試行錯誤して反応を見ていきたい。