ブラ三はもちろん、世の中のソシャゲとかその他もろもろ、いわゆる「課金無課金」の問題。
とある無課金者いわく、「データに金かけんのなんて無駄」
とある課金者いわく、「金かけないでゲームやるやつの気持がわからん」
とある無課金者いわく、「そんなに課金する金あったら車買うわ」
とある課金者いわく、「即完すればいいだろ」
とある無課金者いわく、「課金したら負けだと思ってる」
とある課金者いわく、「課金したら負けだと思う時点ですでに負けてるから心配すんな」
まあ課金ゲーってわかりやすく金かけたヤツから順番に強くなりますよね。
つかそうじゃなけりゃ金かける意味がないわけだから当然そういうシステムになってる。
で、だいたい金かけなくてもそれなりにはなれるけど、絶対に超えられない壁がある。
ブラ三も星ドラもまあその他みんなそんな感じ。
で、↑のやりとりみたいに課金無課金の間でなんかへんな主張し合ってるわけだが。
結局これって、実は課金と無課金の問題じゃないと思うのです。
「個人の基準」の話ですよね実際は。
たとえばバカみたいに課金してる人ってたいていリアル金持ちです。
そんな金あったら車買うっていうか、すでに高ぇ車持ってて高ぇ服着てて、それでなおバカみたいに課金してるわけですな。もちろんア○ムに借金して課金する阿呆は置いときます。
そういうカイジみたいなヤツはリアルでは普通に破滅しやがりますので、そういう壊れたヤツは今回のお話しからは除外。ねえ袖を振るヤツってのは単純に脳が残念なだけです。
で、この個人の基準ってのはたとえば10000円持ってる人は喉乾いたら100円のジュース買うのにあんま躊躇ないと思うんです。でも300円しか持ってなかったら公園の蛇口で水でも飲むかっつう選択肢が生まれると思います。
ようするに、無課金者がよく無課金自慢すんのは自分の基準を世界基準と思ってるからであって、問題なのは無課金であることじゃなくそれがゴールドスタンダードなんだと錯覚してるってことです。確かに世の中、課金ゲーの世界では無課金微課金が一番人口は多いです。
じゃあそれが主流で世界は廻ってんのかというと、全然違います。
例えば日本は税金で運営されてますが、その税金のほとんどはいわゆる高所得者によるもので、低所得者の占める割合は実に少ない。世の中低中所得者が圧倒的に多いのに、税金のほとんどは高所得者によって占められているわけです。でも納税者の「人数」だけは低中所得者が圧倒的なわけで、結果夕方のニュースでは「我々の血と汗で払った税金がこんなものに使われてうんぬん」ってインタビューされてたりしますが、なんのこたぁない、その人がものすごい高所得者でないかぎりその人の払った税金なんて公衆便所のタイル1枚分くらいにしかなってねえって寸法なわけです。
勘違いしないでほしいのは、私ゃそういうのをバカにしてるわけじゃない。
ただ、そういう人ほど例えば上の税金ならば「納めてる税金が自分にかけるストレス」の割合がデカいわけです。つまり税金が手ごわいわけです。強敵なのですよ。それをがんばって倒して払った税金がへんなチャイナ服に使われてたとか言われたらそりゃ怒りますよね。
つまり所持金300円の人の100円は全エネルギーの3分の1を占めるわけだから、当然それに対する意識も高くなる。逆に高額納税してなお圧倒的に自分の金を持ってるヤツは税金は高いけどそれが別にそれほどストレスにはならないわけです。
この人らが同じ基準をもって生きてるわけありませんよね?
人にはそれぞれの人生があって、それぞれの地位があって金があって価値観があります。
上の曹操の価値観に対し下の陳宮は「ありえんヤツ」って顔してますが、このあと曹操は天下の3分の2を制覇する男になり、陳宮は呂布の家臣となって最後は曹操に敗死します。
じゃあこの曹操の価値観が正しいのかっつうと、それは曹操基準では正しいだけでほとんどの場合めちゃくちゃで受け入れがたいものです。これは単にその後曹操が「勝ち組」になったから結果オーライなだけで、普通は陳宮みたいなのが無難で普通なはずなのです。
話を戻すと、課金無課金のやりとりはお互いにまったく相いれない価値観の違いを相手に押し付けているだけで、双方の基準が違う、もうぶっちゃけてしまうとプロレスと茶道どっち強い的にお話しにならないものであり、この論争こそが本当の意味で無駄なわけですね。
ただひとつ、絶対なのは課金者と無課金者、これはへんな縛りプレイしてるんじゃない限り前者が強者で後者が弱者です。課金者は金があるから課金する。無課金者はないからしない。
なんでそんなに金使うの? → だってお金があるんだもん。
何食べる? → 一番高いヤツ。
かつて私の友人に本当にこういう反応するヤツがいました。
当時はこいつホントおもろいやっちゃなあと思ってましたが、やっぱこういう価値観のヤツっているとこにはいるわけで、金はあるところにはあるってヤツなんでしょう。
無課金者は決して課金しないわけじゃない、できないだけです。
だからそれを自慢すんのはおかしいです。課金者は無課金者とは基準が違うわけですから、無課金者の基準を課金者の基準だと思ってものを語るな、ということです。
でもそれは逆もまたしかりで、世の中金持ちなんて絶対的に少ないんだから、そういう特殊なケースを世界基準にすんじゃねえと、これもまた正しい。
なので結局世界基準なんてどこにとりゃあいいのかは誰にも決められない。
ならば一番手っ取り早いのは、人の金の使い方につべこべ言うなってことでしょう。
ご利用は計画的に。