ここ何年間か、というより私が30代くらいからか、スピリチュアルというものが世に出てきて、ずっと関心を持ち、自分でもタロット占いやチャネリングが出来るようになってきたこのごろ、私はついに、スピに飽きてきてしまった。
手の届かない所にあったものが、届くようになったら飽きてしまった、ということかもしれないが、なんかそれ系の人達の言ってることも似たり寄ったりだし、いつも「愛」が出てきて、それもうんざりする。なんでも愛とか言うの、はっきり言って気持ち悪いです。
 結局、私の一番解決したかった問題である道路族のことも、スピでは解決しなかったし。
 まあ、スピ系のブログで知った都内の寺で加持祈祷を受けてから、子供の声に対する恐怖が減ったり、その後もいわゆる次元上昇と思われる変化があったりしたので、無意味だったとは言えないが、子供の声に対する恐怖がなくなったわけではない。また、加持祈祷も、一回では治らないので何回か受けるように言われたが、受けた夜から、股がものすごく痒くなり、それが4ヶ月くらい(だんだん良くなっていったが)続くという試練があったので、そうそう気軽に受けられるものでもない気がする。加持祈祷の時、住職さんは、私の頭と腰に軽く数珠を当ててお祈りしただけで、他の部分には触れていない。それでもこういったことが起こったのでやはり、何らかの力が働いたのだと思う。ここは、「本物」だったと思うが、スピの世界で本物は、殆どいない、いてもテレビやユーチューブなどのメディアに出てくることは、まずないそうだ。
 あと、私もそうだったが、スピにハマる人って、「正解」を求めているのかな、と思う。
 霊界が、とか神様が、とか何とか星人が、とか、人間を超えた存在が、真実を教えてくれるんじゃないかという期待があるから、こういうのにハマるのではないかと思うのだ。
 確かにある程度はそういうこともあるし、悩みぬいてどうしてもわからないことをそちらに聞いて解決する(私もあったけど)のもありだとは思うけど、何でもそちらに聞くというのはどうかと思うし、「正解」以外の答え、つまり自分の頭で考えて出した答えというのも大切だと思うのだ。というか、そのために生きてるんじゃないの?と最近思うのだ。
 「正解」を知れば知るほど、それ以外は否定され、選択の幅は狭まり、無くなっていく。
 それってどうなのよ?と思うのだ。
 私は最近、そういう道を行きたいとは思わなくなった。