私が 思っていること・・・

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自分が感じている小さい違和感こそ  大切にしよう

中でも、キライ、嫌だ、それは違う  と感じたこと、というような自分の負の感情も、ちゃんと自分でわかるようにしよう

他人から見て  誤解を招くような言動はしないよう氣をつける

自分の心、感情を大切にしてありのままで  いる。自身の感情を誤魔化さない。

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202352日で【発症から31ヶ月】になる。最近 思ったことを以下に書きます、

書いていたら長くなってしまったので、2回に 分けました

今日は 前半分です( ̄∀ ̄)☕️





✴️  自分の"感情"が分からない時がある

私はずっと  自身の感情を ありのままに表出する行為を  よしとせず、つまり、それを自分に許さないまま長年、過ごしてきた。「いつも  笑ってるね」と言われたりも  多々あった。多分、私はわりと都合のいい、いい人だった。

時折 何故、涙が 流れ出るのか、私はよく分からない事があり、同時に  自身の胸の左よりの辺りが、いつも  とても冷たくなっていると     昔はいつも感じていた。人間とは、そんな生き物なんだろうと、思ってた。

が、今から3年前、

20204  2度目の脳出血  という病氣になった。そのため   自身の回復のためには、今迄のように表面上だけ楽しくやっていてはもう  どうにもならない事に  私は直面してしまった。

病氣のおかげ、である、私にとっては。

それでようやく  なんか   色々  少し おかしい  と思えてきた。

そして   ちょうど 1週間前の

20234下旬頃、

自分のことを  特に 客観視する機会があった。そこで私は  自分の心が分からないのだとわかった。


私は今年(2023)になり、訪問リハビリの事業所を変わっている。

  改めて  考えると、以前の事業所のリハビリ内容は、自分の体に合わない  ほんとうに  心底  虚しいもの  が ほとんど だった。

ここでは「以前の事業所」を 仮に「B事業所」とする。

その一部に関しては、「技量が無い・乏しい」とはっきりと私は当時感じていたが、そのほかについては  そこまでは  当時  考えていなかった。まあ、更生用装具作成の書類とか作って貰ったしお世話になっているしそれなりに一生懸命やってくれてるのだから、まあいいか、ぐらいに 考えていた。

自分で自分の  ほんとうの氣持ちに  全然 氣づいてあげられて  いなかった。自身の氣持ちを無きものにしていた。無意識下のことだ。

それが、事が起きている頃から、1年以上の年月を経てから、初めて自身の心に  氣づけたのである。そのさなかは必死で余裕もなく、生活をすることで一杯だった。

ものすごく我慢している、という自分の感情に  氣づけなかった。向き合えてなかった


✴️リハビリの   体への介入  など。

書籍   シリーズケアをひらく「リハビリの夜」熊谷晋一郎著  医学書院出版

の中に、

"体への介入が暴力へと転じるとき"

というくだりがある。

このことを現在の自分事で置き換えて、自分の言葉で言う。

書籍の内容からは   離れるとは思うが、私自身の  本の感想・印象など  含めて  思った   ことを以下に記す

体に合わないリハビリ内容を強要されることは、殴る・打つ行為とは異なるが、「訪問リハビリ」という名前を冠した暴力だと  私は思う。職業セラピストの無自覚、無知、不勉強、見当違い甚だしい善意の塊のリハビリという名称の行為は、当事者にとって凶器となる。職業:セラピストの自己の欲求の追求のみであり、利用者側としては、不快極まるものでしか  ない。狂気だ。また、実際に   病気の後遺症で まだ自力では身体が動かせない為、その場から  退避不能であり、私にとっては恐怖であった。当時私はまだ、"歩行"というよりは、何とか    生き物がよろよろと何処かへ移動しているという  レベルである。

2021 そのさ中  私は  独りで居るとき 感情失禁が酷かった。感情失禁は脳卒中後遺症のひとつとされている。

訪問リハビリ内容等の   強い影響により、体も心も  おおかた 壊れていた。


✴️私が我慢していたこと

自分の氣持ちとしっかり向き合う為に、ここに記録として  今日は 残そうと思う。前述した「自分の体に合わない虚しいリハビリ」について、その職業セラピストの行為等の  

「いったい何に対して  私は我慢していたのか」を検証し    具体的なことを思いつくまま  ここに 文字にしてみる。


その職業セラピストには

20214月から約半年間  世話になった時点で、

「この"セラピスト"のリハビリ内容では、今後たとえ1年、5年を経ても私の体は全然変わらない、回復は全く見込めないだろう」と、


「いくらなんでも

この "リハビリ" 内容では

私の

回復は望めない




 と  私は   判断した。

そのセラピストを  ここでは仮に「Aさん」とします。その  PT (女性)でした。

事実、亜脱臼の  私の麻痺肩は5~6ヶ月ずっと三角巾で吊り「安静」とか言われて放置、ノープランに思えた。私の体は少しずつ悪くなっていた。入院中 あれほど回復を目指して、担当のOTさんPTさんにも、「その先(退院後)に繋げたい」と言われ、施術等して頂いて、24時間リハビリと思い自主トレしていたのに私の「肘」は  発症から1年半を経てとうとう曲がってきていた。悲しかった。自分の曲がった麻痺側肘をみると、もうダメか、と   少し  よぎっていた。

又、「動かないと歩けなくなるよ」と  脅迫めいた響きをもって、真夏に食卓周りを2時間程かけて汗だくで30周伝え歩きをするみたいな事、を行ったり、それを暫く 数ヶ月は継続したが、痙攣、疼痛は益々 酷くなってきていた。私は 病気や体についての学びが不足していた。

今ならわかる、当時の自分の体の状態でそんな内容を毎日続けていたら疼痛痙攣 当たり前である。

割愛するが 、今なら信じられないような"リハビリ"内容ばかり  だった。が、当時の私には  それを  お断りする  力が  なかった。自分に力があれば、それを丁寧に拒否すればよかっただけの話である。

それでも、

20219 私は、意を決して そのAさんに伝えた。当時B事業所にOTはいなかった。

「事業所を変えようと思う」と話した。すると、それに対してAさんは、「私  上肢も、出来ます!」と  答えられた。"上肢もできる"は初めて聞いた。

私は  Aさんの  その言葉を信じた。その頃の自分に言いたい、「自分あほなん?」と。基本  私は人の言葉を信じ易いと思う。

その時の「私上肢も出来ます」は、Aさんの  単なる慰留行為だろう。

なのにAさんが  じつは上肢も出来る」、と言うのなら、その言葉を信じてこのまま  事業所を変えないで行こうか…   と、当時の私は思って  しまった。  私はほんとのあほだ。

果たして 、「上肢も出来る」は   大ウソだった。Aさんは脳卒中は専門外で、上肢など出来ようはずもなかったのだ。

「私  できます!

頑張ります!

勉強します!」?!今からか?何を?どう?と   少しあとで私の頭をよぎった


 

とにかく  私に対しては、  言うばかり  Aさんだった。

そして、「上肢出来ます」宣言ののちの、Aさんのリハビリ内容といえば、例えば私が ブログ等々で探してみつけた上肢の練習記事を見せたりは  したが、  Aさんは  それを、"私と一緒に見る だけだった。ネットの情報を 見る   だけ。虚しさは増した。そんな訪問リハビリあるのか。


ウソつき。

出来ます!勉強します!頑張ります!自分一生懸命です!アピールプレイばかり。

アピールプレイだけの人、  Aさん。

アピールプレイ自体は、べつに誰もがしている事なので  良いも悪いも無い。私もやる。

Aさんは、今まで  自分の周りには    いない感じの      だった。驚きと  戸惑いの  日々だった。

Aさんの「一生懸命やっていました」自己申告エピソードのひとつに、過去 病院勤務時代、同じ職場の人に、マッサージ等々の技術を  教えを乞い、たしか業務時間外も  職場に残って  教わってた、と、いうものがあり、そのご様子を嬉々として話されていた。

その話が本当ならば、御自身の時間を割いてマッサージ等を親切に教えてくれていた同じ職場の人に対しては   もはや迷惑行為じゃないか、と私は思う。

志ある本物のセラピストさんが、おそらく自身の時間やお金を費やして  年月をたくさん  かけて  全身全霊で得たものを、  得意の一生懸命アピールで、無料で   盗み食いする、ようにしか  私には思えなかった。もちろん当人同士しか分からない事や   同時に   外からしか見えない事も多々あると思う。けれど私は、Aさんの一生懸命アピールに 辟易していた。

他から搾取するだけに見える行為には  腹立ちすら  沸いていた。怒りは 止まらない。が、それは静かにひそかに体の奥に押し殺していた。この件を家族に話したり、誰かに話そうという発想は起こらなかった。

少しおまけだが・・・・・

おまけに、そのAさんの「友人である」という  "中枢神経系のPTさん"が、

202111   B事業所に   入った。当初 私は  素直に喜んだ。B事業所として初の中枢神経系PTであった。が、 ほどなくして    期待はあっさり裏切られて終わった。

類友か。

・・・・・・・

そういった経緯があり、 Aさんに対してそこまで  感じていたにも関わらず  、ついに     私は大きい  失敗を  した。たぶん

エンレイソウ



後半、【弐】につづきます(_ _)

お読み下さりありがとうございました