憚りながら

  後藤 忠政  投稿日:2011年 2月12日(土)23時38分9秒
 
  当著との出会いは、古市氏の推薦で著名人が実名で記されている点、元ヤクザの組長の本とのことで読んでみることにした。
本名は後藤忠正。元山口組後藤組組長。

元ヤクザの後藤氏からも、学び得たものを記しておきたい。

時は東京オリンピックを迎えた1964年。それから第一次頂上作戦(暴力団壊滅作戦)が1969年まで行われた。
昭和40年頃までは、国家も警察もヤクザを必要悪として認めていた。終戦直後には治安維持に利用してきたし、日米安保の時には左翼や学生を押しつける為に右翼やヤクザが使われた

ところが警察は掌を返し、トップをパクったり、組織を解体しろと脅しをかけてきた。その時に山口組は解散しなかった。解散させられた他の組織をさらに取り込み、山口組は逆に勢力を拡大していった。

当時、後藤氏は本物のヤクザになり、トップを目指してやろうと思っていた。そして、「誰の世話にもならない」「絶対に逃げない」「頭をさげない」という強烈なプライドがあったこのプライドはヤクザを辞めてからも、捨てていないとのこと。

世間では、失敗したら指を詰めさせられると考えている人が多いが、実際に指を詰めるという行為は、ひとつの主張であり、上から言われる事は滅多になく、自己判断で指を詰めるのが大半なのだ。

創価学会は、元々日蓮正宗の信徒の集まり。1991年に日蓮正宗は池田大作・創価学会名誉会長を破門し、これ以降、宗門と学会は激しく対立した。
公明党を作って政治に入り込んだり、創価大学作って優秀な人材を官僚にしたり、法曹界牛耳るために人を送り込んだりしている。
こんな創価学会が、自公連立政権だと言って、国家の中枢でデカイ面してきた事は間違いだ

競艇は、競馬・競輪と並ぶ公営ギャンブルであるが、何故競艇だけ、笹川の財団法人が運営しているのだ。

『バブル景気』とは・・
1985年9月の「プラザ合意」G5主導による為替レートの安定化合意による急激な円高を引き金に、内需拡大を迫られた日本は低金利政策を実施。その結果、86年12月から土地や株に対する投機が過熱した。土地価格や株式相場が異常に高騰し、日本社会は91年2月までの4年3ヶ月間、未曾有の好景気を迎えた。

天台宗の得度(とくど)と言うのは本来、高僧の立会いのもとでやる。剃髪(ていはつ)して、僧侶としての名前を貰い、僧籍にはいることになる。


●● ピークパフォーマンス方程式 ●●
バブル景気とは、1985年の「プラザ合意」で内需拡大を迫られ、低金利政策を実施し、86年から91年までの4年3ヶ月間、地価や株価が高騰した好景気のこと。