生まれて初めてやった仕事・・・それは、古本屋の店員だった。
友達の家が経営している古本屋で、高校を辞めてのらりくらりとしてた私を使ってくれた。
でも結局、その友達と仲が悪くなり・・・辞めた。
その後見つけた仕事が、葬儀屋。
ここは本当にやりがいがあった。
当初、お葬儀コンパニオンとしてお世話をしていたのだけど、その後司会の試験に合格。
それからは主に、司会をしていた。
自分の声だけで仕事ができるなんて、思ってもみなかった。
退院後、また復帰したけれども、ハードすぎて心房粗動が出て、退職をよぎなくされた。
それと並行して、東京の劇団に入った。
役者ではなくスタッフで。
関西で葬儀で稼いで、東京で使う・・・という日々が続いた。
そしてお金が少し貯まった頃、劇団も会社化するということで、お給料もでだしたので、一人暮らしをしながら劇団に本腰を入れた。
芝居が大好きで、あこがれていた劇団に入れたことは、人生最大のラッキーだと思ってる。
東京拠点だけど神戸公演も行った。
小劇場の枠からも飛び出した、ちょっとだけ大きな劇団。
座長をたまたま知り合いの役者さんに紹介してもらえて、頼み込んでいれてもらった。
最初は毎日泣かされながらも、やっと自立した時、ここまで我慢してよかったと、心の底から思った。
いないと芝居がなりたたないポジション。
そのトップにたてた。
こんな大きな劇団を支えるひとつになれてることが、本当に幸せだった。
でもそこでの頑張りが、私の体をむしばんでいたんだろう。
ずっとこの時が続くと思っていた。
けれど、終わりはきた。
昨年末、この劇団を退団した。
理由はドクターストップ。
色んな理由を並べたけれども、結果、ホントの理由はこれなのかもしれない。
止められなければやっていただろう。
これからの人生を脅されなければ。
でも、大好きな人たちに迷惑はかけたくない。
自分に言い聞かせたけれど、辞めた日から、2か月は毎日泣いていた。
こんなに涙って出るんだってくらい、ずっと泣いていた。
人生で一番悲しい日が、そこにあった。
それから2か月。
劇団の情報をシャットアウトすることを決めた。
携帯とPCの役者のブログやオフィシャルのアドレスを全部消して、客演さんのサイトも全部消した。
メアドなんかも消しそうになったけど・・・そこまでしちゃいけない気がして。
極力携帯を触らない生活を続けた。
関わらなければいつか忘れる。
人は忘れる生き物なんだと。
でも毎日、ようしゃなく夢にメンバーがでてくる。
忘れるに忘れられないくらい、楽しい思い出と共に。
そしてテレビにも・・・ふと見ていたドラマで知り合いの役者さんやうちのメンバーが出てたりするわけで・・・あれには参った。
活躍が嬉しいんだけど、一気に私に現実をつきつける。
この人たちとは住む世界がかわったんだよって。
この劇団は、私の人生だったから。
24時間に近いくらいメンバーといて、事務所で作業して。
時には有名人に逢えたり、芸能界の裏話聞けたり。
役者やモデルや歌手が、普通に隣にいる。
それが普通。
携帯のメモリも大半がそんな人ばかり。
それが普通。
そして劇場に入ればお客様の幸せそうな顔が見られる。
それが本当に幸せだった。
向こうの世界の人間になったことが、何よりうれしかった。
すべてをかけた場所。
まだできるんじゃないか。
またできるんじゃないか。
自分の中でくすぶり続けるそれが、なかなかとれない。
戻りたい戻りたい戻りたい。
毎日布団の中で考えてしまう。
けど、もう忘れなきゃ。
これも毎日唱えてる。
30歳から新たな自分を作る。
最高の20代・・・夢のような20代だったから。
30代の自分にも期待するしかない。
でも、これ以上の出逢いは、二度とないだろう。
この人たちを支えたい。
そう思いながら初めてお客として観たあの日。
神戸公演のために営業で地元をまわりまくったあの日。
全部が何にも代えがたい、大事な思いで。
一番大好きだったのは、カーテンコール。
満員の客席の一番後ろに立って、舞台上で笑顔の仲間に拍手を送るあの瞬間。
これを見ると、すべての苦労がふっとぶ。
きっと私は・・・長い長い夢を見ていたのかもしれない。
今となっては、そう思う。
私が、あんな華々しい場所にいれるわけないんだから。