京都から岡山までは比較的順調な走りでした。



しかし夜に着いた初めての岡山市内で私は道を間違えます。

宇野港へ向かうはずが港のある海ではなく、走れば走るほど暗闇へと導かれてゆきます。


気付けば山に向かって延々40㎞以上走り続けました。

周りの景色も街灯が少なくなり、トンネルや水量の多い大きな川沿いのワインディングロードになっていました。



当時スマホはおろか携帯電話も当然なく、頼りになるのは小型のツーリングマップという地図帳のみ。

これがまた夜になるとまるで見えなくて、しかもこの時代のマップは不親切で国道のみで県道市道は記されていませんでした。


事前に赤鉛筆で国道171~西宮市内で2号線~岡山市内○○交差点右折~


といった具合にメモをしてバイクのタンクに貼り付けていましたが、実際には国道と県道が一緒になっていたりとややこしく度々道に迷っていました 笑



山あいに現れたドライブインでバイクを停め、自販機のカップ麺を食べながらもう一度地図を確認しました。

やはりこのドライブインまで宇野港とは真逆の鳥取へ向かう道を進んでいました。




※当時のマストアイテムツーリングマップ。
文字が小さ過ぎて老眼の現在では判読出来ませんえーん

※こんな不親切な地図でよく旅をしたものだ‥
といま眺めてあらためて思いました。

※表紙。雨でグチャグチャになったり落としたりで何度買い直した事か 笑


しかしこの頃の宇野高松フェリーは、24時間20分毎のピストンでひっきりなしに発着していたので慌てる必要はまったくありませんでした。



カップ麺を食べ幾分落ち着いた私は、ドライブインのゲームコーナーに当時でも珍しくなっていたアーケードゲームの「アウトラン」が稼働しているのを発見!


そしてゲームに没頭し、さらに引き返すのが遅くなりました爆笑



※ゲーセンのアウトラン。このゲームの為だけにセガマークⅢの中古を日本橋の電気街で購入する程好きでした。

アウトランに満足した私は一路宇野港へ。


今度は迷う事なくスムーズにフェリーターミナルまで行く事が出来ました。


現在でもそうですが、フェリーターミナルというのは夜の方がなんとも言えない旅情をかきたれられます。


ましてこの時は初めての四国へ向かうターミナルに一人で居るというのがまた堪りませんでした。



無事にフェリーに乗船しデッキに上がり、真っ暗な海と離れて行く宇野港の灯りを眺めながら私は、

寝不足と暑さと疲れがピークになってハイになり、暗闇でシャドウボクシングをしていました🥊爆笑🥊



人生初の四国上陸にいても立ってもいられない‥

当時22歳の私はそんな心境だったのだと思います。



~ まだ続きます ~



※夜の宇野高松フェリーのりば。
このネオンサインを見付けて高揚する気持ちと同時に「やっと来た」!とホッとしたのを覚えています。