土日なのに仕事あって、辛いな…

おっさんと仕事の相方、相方は既婚者のおじさん、が仕事の道中にその家族の話をしたことと、youtubeであった機能不全家族という動画を視聴したので思いを巡らせた。

 

おじさんは奥さんがいろんなことを考えるから疲れているとか言われて困っている。とか言っていて、よくよく聞いてみると、奥さんが子離れできていない?ようで、極めて曖昧で婉曲的な表現で申し訳ないのだが、子供が自分の手の延長にあるように感じていて、その割に自分の思った通りに行動しない(子供は子供の自我があるので当たり前である)ことに苦痛を感じ疲弊しているようであった。個人的観測ではよくある話である。

しかし、おじさんにはそれが理解できないようで、男は思春期以降、いうことを聞かない息子をいつも撫でてやっているが、女性はそんなことしたことないからわかんねーんだよなぁ、みたいな下品な解釈を伝えると非常に喜んでくれたようでうれしかった。

中年の危機というのを昨日のブログで書いたが、よくよく考えれば私には家族がいないのだ。もちろん血縁という家族はいるが、お察しの通り、機能不全家族なのである。であるのであれば、自立してもおらず、性的にも成長していないとするのであれば、中年ではなく亜成体の危機という解釈も成り立つのではないかと思ったのだ。

機能不全家族の解説のの動画の中では、家族のライフサイクルとして、独立した個人が結婚し、共依存のような関係ではなく、子供を産みエネルギーを与え、子供が子供として成長し、子供が自立しその支援をするというサイクルを紹介していた。私の主観的判断ではあるが、私は子供として成長できず、自立を支援してもらいつつも、親の存在を確立できず、社会的、性的にも子供のままであるという風に理解した。つまり、亜成体なのではないかということだ。

wikipediaから引用すると、

亜成体または未成体は、幼体より後で、生殖能力と大きさ以外では成体と同じ形態となった段階である[2]

とある。

生殖能力を獲得できず、図体ばかりはでかいので、精神的亜成体と呼ぶべきなのかもしれないが、人間は社会的であるので社会的亜成体か…?、私個人が亜成体であるという判断もできるとする。であれば、中年の危機ならぬ、亜成体の危機という概念も成立することではないだろうか。

まぁ、知らんけど。