建二さんの功績 | 中屋敷左官工業(株)
2018-11-12 05:42:29

建二さんの功績

テーマ:中屋敷 剛のつぶやき

建二さんを振り返るために、パソコンの写真を振り返ってみたら懐かしくて「あ〜こんな仕事したっけな〜」なんて、日曜日は何時間も見ていました。

 

今日は建二さんの活躍ぶりを振り返ってみたいと思います。

建二さんの仕事で面白い仕事ベスト1はこれかな?

生クリームをウェディングケーキに塗り付ける仕事。誕生日ケーキ

左官の基本通り、まわりから決めて中を塗り付けてますね〜

 

結婚式の数百人の観客の前でこの姿ドキドキ

今から14年前の出来事。

 

前も書きましたが、私が会社を継いだときは現場監督さんからも「うるさいオヤジ」とあまり喜ばれなかった建二さん。

それが、テラゾーカウンターがきっかけで、自分の仕事で人を驚かせたり、喜んでもらう体験を味わい、建二さんは別人のように変わりました。

テラゾーカウンターから2年くらい経って、テナント工事や特殊工事で忙しくしていた頃の社内忘年会の時、

「俺みたいに60過ぎた年寄りに、けんちゃん、けんちゃんってみんな言ってくれるんだ・・・こんな歳になっても・・・本当に有り難い。」って号泣。えーん

 

自分を必要としてくれる場所があり「自分という人間が誰かの役に立ち、喜ばれるんだ」

この体験は人を大きく変えます。

「人はいくつになっても変われる」ということを私は建二さんに学ばせてもらいました。

 

あの時から引退するまで、夜間工事だろうが、徹夜でやろうが、どんなに汚れ仕事だろうが、建二さんは仕事で嫌がった事はありませんでした。

 

そして建二さんの集大成と言えば、2008年の洞爺湖サミットの大統領の会食会場となった「嵐山吉兆」の聚楽壁の仕事です。

得意先から「聚楽壁1,000㎡あるんだけど、値段ではなく、最高の仕事できますか?」と言われ、

「やらせてください!」と挑んだサミット会場の仕事。

「失敗しました、上手くいきませんでしたごめんなさい」では許されない仕事。

前工事が遅れ、工期もない中、ようやく下地を終え、仕上げ塗りを始めるする前に私が下地の確認に現場に行った時のこと。

「建二さんさぁ、まさかこの下地で仕上げるわけじゃないよね・・・」と私。

「え?なんかまずかった?」と建二さん。

「練った材料全部捨てて、こんな下地全部やりなおせーーーーー!!!!」ムキーゲッソリゲロー

と、わずかな不陸も許さなかった私の言う事を全て聞き入れて、チームウィンザーを成功に導いてくれました。

(ウィンザー物語の詳細はこちら)

それは伝説となり、嵐山吉兆さんでも語り継がれ、テレビでも取材されることに。

 

お客様に喜ばれるという事は、実は自分達がそれ以上の幸せをいただくこと。

当社の企業理念の「左官工事を通じて、お客様とともに喜びや感動を創り出すこと。」というところは、この仕事から生まれたのでした。

 

そして洞爺湖サミットが終わって、一般のお客様へのグランドオープンの日、うちの家族と、建二さんと奥様、そしてチームウィンザーの一人で、建二さんと同じく長年勤めてくれている太田さんを連れ、嵐山吉兆さんにお疲れさまの食事会をしました。

奇しくもこの日は私の父の命日という不思議。

本当に素晴らしい思い出です。

 

その後、リーマンショックというマイナスのとても大きな出来事があり、不動産、建築はどん底の時代へ。

当社でも左官仕事がほとんどなくなり、外壁改修の外壁美装の仕事でなんとか食い繋いだ時期がありました。

特殊な洗剤を入手して、鏝と左官職人のプライドを捨て、手にはスポンジと洗剤を持つ日々・・・

 

そんな時も、何一つ嫌な顔をせず、先頭に立って笑顔で苦しい時期を共に乗り越えてくれました。

でも、この時のノウハウが今、コンクリート打ち放し再生システムで活かされています。

 

人がやりたがらない仕事でも率先して、

 

さわったことのない、新しい道具や材料でも、

 

自分が役に立つのなら!という熱い思いで会社を支えてくれました。

 

私の新しいチャレンジには常に建二さんが寄り添って支えてくれました。

 

本当に彼の人生すべてを中屋敷左官工業に捧げてくれたといっても過言ではない。

 

必ず、建二さんの生き方、思いを繋いでいきます。

建二さん、60年間本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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