「賭ける」ということ | 中屋敷左官工業(株)

「賭ける」ということ

先週のつづき

藤木君に「日本一とはそれにふさわしい生き様なんだ!」と藤木君に伝えたことを私は家で妻に話しました。

すると「パパ、日本一のなり方知ってるの?日本一になったことないのに?」と。

 

「知ってるよ。自分は日本一になったことなくても、その道で日本一になった人は何人もそばで見ているからね、そしてその人達は基本的に共通しているからわかるんだよ。」と。

 

日本一を取ったことのある人の生き方のモデリングです。

 

これについて詳しく書くとかな〜り長くなってしまいますが、

中でも今回一番伝えたかったのは「その目標のために自分のすべてを賭ける」という生き様です。

 

それは口で言って伝わるものではありません。

私自身がその生き方をして、その姿を彼に見せることしかありませんでした。

 

社内や家庭の人達はこの私の2ヶ月間を知っています。

毎朝7時には会社を出て、道場へ行き、夕方帰ってくるの繰り返し。

今回のトレーニングにあたり、社内で「今回だけ、技能五輪のために俺に時間を欲しい」とお願いしました。

そして、自分でなければならない仕事以外の時間はすべてこの藤木君のサポートに費やしました。

 

専用ファイルをつくりました。

その中身はというと、

 

トレーニングのスケジュール管理

 

昔の現場経験を最大限利用して施工図は私の担当。

彼にとっていかにわかりやすく、間違いずらいものにするために何枚も何度も修正しました。

 

トレーニングから帰ってきてからは夜、その日の映像を編集してipadに落とし込み作業。

 

日曜日には、画材専門店に行って石膏補修のための道具やらなんやら買いあさったり、ホームセンターに行って、良い道具や新しいアイデアが生まれないか徘徊しました。

 

事務仕事や遠方の現場確認の仕事も日曜日にあてました。

 

どうしても私でなくてはならない仕事のひとつである日左連青年部本部長という役割。

9月頭に開催された日左連青年部の京都研修会も道場から空港へ向かい、終わったら空港から道場へ帰りました。

 

私のもてる時間のすべてを藤木君の金メダル獲得のサポートのために賭けました。

「俺ができるサポートは他にないだろうか?」といつでもどこにいても何をやっていても考えていました。

 

「絶対に金メダルを取る!」というプレッシャーを自らにどんどん強くかけていきました。

最後の2週間くらいは毎日3時半に目が醒めて、そこから朝まで「もっと良い方法、もっと早く出来る方法はないか・・」とシンキングタイム。笑

そんなわけで、10月に入り競技間近になるとブログも更新されなくなったという訳でした。アセアセ

そうそう、願掛けで禁酒もしていたんですよ〜

別に私が禁酒したって彼の成績になんの関係もないかもしれないけど「ほんのわずかでも金メダルの可能性が高くなるためだったら何でもする!」そんな覚悟があの時の私にはありました。

 

不思議なものでそこまでやっていると本当に奇跡的な事がたくさん起こるんです。

このアイデアが無かったら今回のメダルは無理だっただろうというような素晴らしいアイデアは決まって深夜に降ってきました。

 

偶然と呼ぶにはあまりにも出来過ぎた偶然がたくさん起きました。

その中の一つのお話し。

北左連青年部のモデリングセミナーのお手伝いで一泊で北見に行ったときのこと。

それは丁度、漆喰仕上げの狭い場所を仕上げる鏝が無くて探していた時でした。

札幌へ帰る道すがら青木部長の会社に寄った時、彼の社長室には鏝がたくさん飾ってあって、その中になんと丁度探していた鏝があるではないですか〜!

「青木さん、この鏝探してたの!貸して!!」と言ったら、「必要ならあげるよ〜」って青木部長。

 

「翔希、面白いだろ・・・神様が『助けてあげたいな』って思うような生き方してたら、こういう不思議な良いことがたくさん起こるんだよ〜」と。

 

私は今までの人生のなかで、幾度も同じような体験をしています。

まさにそれは「自分の人生を全てそのために賭けている」ときに起こります。

 

そして今回もまさにそうでした。

 

今までとの違いは、藤木君が一緒にそれを体験したことです。

「人生を賭ける」素晴らしさを一緒に体験できたことです。

 

本当に素晴らしい体験でした。

 

今度は彼が彼の後輩と一緒にこの体験をして欲しいと思っています。