主体的に遊ぶ子ども —かえで幼稚園の実践から私たちが学ぶもの—(3) | Fuminori Nakatsuboのブログ

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保育・幼児教育の理論と実践に関する記事を投稿します。

子どもの遊びを支える保育者(3):感情体験がもたらす協働性と創造性
 映像が示す実践の中でも「箱んでハイタワー」(運動会のクラス対抗競技)は、「あおぞら組」と「たいよう組」(5歳児)の子どもたちが4週間に渡って繰り広げる活動として注目に値する。この実践は現在、馬屋原真美氏の尽力もあり、アジア・太平洋地域の保育研究者や実践者からも評価を得ている。この活動においても保育者は、子どもの挑戦意欲を高めるような環境づくりを行い、内的で質的・主観的な「子どもの時間」に配慮するが、むしろ私は、そこに感情体験という要素が加わることで、協働性と創造性がもたらされている点に注目したい。このことを可能にしたのが、運動会当日までに複数回行われた練習試合である。
 「あおぞら組」と「たいよう組」の子どもたちは、少しでも高く箱を積み上げるための方法を考え、悩み、葛藤しながらクラスの勝利をめざし、ティーム一丸となって戦いに挑んでいる。運動会本番はもちろん、練習試合でも毎回雌雄を決する勝負が行われ、その都度子どもたちは、「勝って嬉しい気持ち」「負けて悔しい気持ち」「次は勝ちたい気持ち」を経験する。こうした感情体験が子ども同士の協働性を支える原動力となる(中坪 2015)。そしてこの協働性に基づいて子どもたちは、試行錯誤を繰り返し、「風が吹いても倒れないようにするためには横幅の大きな箱が必要だ」「少しでも高く積み上げるために箱をまっすぐにする」「竹でぐるっと箱を囲んで支えをつくる」「段ボールの壁をつくる」など、多様なアイディアや創意工夫としての創造性を発揮する。
 伊国レッジョ・エミリア・アプローチ(Reggio Emilia Approach)の創始者ローリス・マラグッツィ(Loris Malaguzzi)は、子どもの創造性について、決して神聖なものや極端なものとして捉えるのではなく、むしろ日常の経験から生じるような、子どもの特徴的なものの考え方、見方、知り方のことであり、そこには既知の事柄を超えて冒険するような自由な感覚があると述べている。また、こうした創造性を生み出す格好の状況は、アイディア、比較、葛藤、交渉などの要素を伴う対人交流の場にあると言う(Malaguzzi 1998)。映像の中で子どもたちが示す、より高く箱を積み上げるための多様なアイディアや創意工夫は、まさに彼(女)らの特徴的なものの考え方、見方、知り方であり、既知の事柄を超えて冒険するような自由な感覚を見ることができる。
 「箱んでハイタワー」で発揮される子どもたちの創造性は、ティーム一丸となってクラスの勝利をめざす協働性と不可分であり、この協働性と創造性は、感情体験がもたらしたと言えよう。「勝てば嬉しい」「負けると悔しい」「次は勝ちたい」気持ちが湧き起こることで、子どもは仲間と協力し、敗北の原因を探り、一層のアイディアを出し合いながら真剣に競技に挑む。運動会本番において、大人から見ると測定誤差の範囲とも思えるような、僅か3cmの差であっても勝者と敗者を決定した保育者の判断と行為の背後には、こうした子どもの「真正の挑み」に対する敬意が込められている(中坪 2015)。この場面で子どもの敗北体験を回避するあまり、引き分けとして勝敗の決定が曖昧にされたなら、子どもたちは消化不良に陥り、「もやもや感」「報われない感」が残ってしまい、達成感、満足感、充足感を得ることはできなかっただろう。

保育者が子どもに「教え導くこと」と子どもが自ら「経験すること」の関係
 保育の営みの中で、保育者が子どもに「教え導くこと」と、子どもが自ら「経験すること」の関係とは、一体どのようなものだろうか。映像が示すように、かえで幼稚園の実践は、保育者が子どもに「教え導くこと」よりも、子どもが自ら「経験すること」を尊重するとともに、遊びを通して子どもの可能性を引き出すために、挑戦したり、発明したり、発見したりすることのできる機会をできるだけたくさん保証することに取り組んでいる。探求的な遊びの中で子どもは、多様なアイディアを創出し、仮説を生成・検証し、他者と交渉する。子どもに「教え導くこと」が保育者の一方向的な行為や方略、パッケージ化されたカリキュラムであるなら、それらは子どもの主体的な遊びを奪い、保育者を無思考のレベルで安心させることになりかねない。
 ところで、同園の実践は、確かに子どもが自ら「経験すること」を尊重するけれども、それは保育者が子どもに「教え導くこと」の追放を意味しない。ローリス・マラグッツィが指摘するように、「保育者はしばらく側に立ち、子どもがすることを観察する。そうしてよく理解したならば、保育者が子どもに「教え導くこと」の行為は、以前とは違うものになる」(Malaguzzi 1998)のであり、そうした保育者の行為は、子どもの遊びを支える重要な資源となる。保育者が子どもに「教え導くこと」と、子どもが自ら「経験すること」の関係とは、「対立する両岸に立って川の流れをみるような二分法の構図ではなく、共に船に乗り込んで川下りの旅をするような互恵的な関係」(Malaguzzi 1998)なのであり、一緒に取り組み、問題を解決し、自分たちの活動を捉え直し、語りを広げるような、「ともに考え、深めつづける(Sustained Shared Thinking)」(Siraj, Kingston & Melhuish 2015)関係のことではないだろうか。

引用文献
Malaguzzi,L. 1998 “History, Ideas, and Basic Philosophy: An Interview with Lella Gandini.” In: C.Edwards, L.Gandini, & G.Forman,(Eds.)The Hundred Languages of Children: The Reggio Emilia Approach. — Advanced Reflections, 2nd. Ablex Publishing Corporation. pp.49-97 佐藤学・森眞理・塚田美紀訳 2001 『子どもたちの100の言葉:レッジョ・エミリアの幼児教育』 世織書房 69-148
中坪史典 2015 「幼児教育における「子ども中心主義」の理念に潜在する問題—なぜ「りんごの木」「かえで幼稚園」の実践は幼児の育ちに結び付いているのか」 『子ども社会研究』 第21号 49-59頁
Sirai-Blatchford, I., Sylva, K., Muttock, S., Gilden, R. & Bell, D. 2002 Researching Effective Pedagogy in the Early Years (REPEY): DfES Research Report 356. London: DfES.
Siraj, I., Kingston, D. & Melhuish, E 2015 Assessing Quality in Early Childhood Education and Care: Sustained Shared Thinking and Emotional Well-being (SSTEW) Scale for 2-5-year-old provision, IOE Press. Pp.7-8 秋田喜代美・淀川裕美訳 2016 『「保育プロセスの質」評価スケール:乳幼児期の「ともに考え、深めつづけること」と「情緒的な安定・安心」を捉えるために』 明石書店

初出掲載誌:大豆生田啓友・中坪史典編 2016 『映像で見る主体的な遊びで育つ子ども−あそんでぼくらは人間になる−』, エイデル研究所