レッジョ・エミリア市の挑戦—子どもの輝く創造力を育てる— | Fuminori Nakatsuboのブログ

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保育・幼児教育の理論と実践に関する記事を投稿します。


テーマ:
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小学館教育ビデオ 2001年
レッジョ・チルドレン
監修:佐藤学・秋田喜代美
イタリア レッジョ・エミリア市の挑戦
子どもの輝く創造力を育てる
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以下は、上記のビデオで述べられている佐藤学氏と秋田喜代美氏の解説を文字に興し(である調に変換)授業配付資料として作成したものである。
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レッジョ・エミリア市内の公立保育施設(佐藤学氏)
 乳児保育所(0歳から2歳)13園
 幼児学校(3歳から6歳)21園

アトリエリスタとペタゴジスタ(秋田喜代美氏)
 アトリエリスタとは,芸術教師のことで,1園に1人,子どもたちの表現を支える役割を果たす.ペタゴジスタとは,教育学や保育学を専門にして,指導主事のような存在として園の教育に関わる.

教室の環境(佐藤学氏)
 レッジョ・エミリアの教育を理解する上で,教室の環境は極めて重要である.ディアーナ幼児学校の建築空間(平面図)を見てみよう.玄関から入ると,ピアッツア(広場)と呼ばれる空間がある.このピアッツア(広場という意味)を中心に,隣にアトリエが隣接している.さらにはピアッツア(広場)を中心に,それぞれの教室が配置されている(3歳児クラス,4歳児クラス,5歳児クラスの教室).それぞれの教室には,さらに2つのミニ・アトリエが準備されている.片方のミニ・アトリエは,明るい空間,もう一つのミニ・アトリエは,暗い空間になっている.このような,ピアッツア(広場)を中心とし,またアトリエが備えられている学校空間は,乳児保育所においても同様である(例,アルコバレーノ乳児保育所).レッジョ・エミリアの乳児保育所,あるいは幼児学校において,空間あるいは環境というのは極めて重要である.例えば,壁を見てみると,割れた鏡が準備されている.あるいは,ゆがんだ鏡で自分を見ることができる.さらには,3枚の合わせ鏡が準備されていて,その中に入るとまるで万華鏡の中を旅することができる.

教育の出発(佐藤学氏)
 レッジョ・エミリアの教育の出発点は,レジスタンス運動にあった.終戦直後の1945年,レッジョ・エミリアの郊外のヴィラ・チェラという村で,親たちが自分たちの学校作りを始めたわけである.これは非常にドラマティックであるが,親たちは,ナチスドイツが残していった戦車,あるいは軍用機,トラックというものを解体して,それをスクラップにして売ってお金を得る.さらには一つ一つの煉瓦を自分たちで焼いて,手渡しで学校を作っていったわけである.この歴史を書いた英語の本で,BRICK by BRIGKという本がある.これは非常に象徴的なタイトルであると思う.BRICK by BRIGKというのは,BROCK by BROCKと理解することもできる.一つ一つの煉瓦を一つ一つ手渡しで作り上げていった幼児学校.あるいはBROCKというのは区画を意味するので,あらゆる区画に一つの学校という意味で,幼児学校をレッジョ・エミリア市の様々な地域に作っていこうという意味,さらには小さなものを積み上げて大きなものを作っていこうという意味.そういう幼児教育の運動が親たちによって始まった.この運動は,非常に長い時間戦われて,ついに1963年,イタリアで最初の公立の幼児学校がこのレッジョ・エミリアで誕生した.以後各地域において,公立の幼児学校はイタリア全土に広まることになる.
 ところで,レッジョ・エミリアの教育を語る上で,その指導に当たったローリス・マラグッツィという教育思想家のことに触れないわけにはいかない.ローリス・マラグッツィは,レッジョ・エミリアの幼児教育が戦後直後に開始されていくその出発点から,親たち市民たちと協力して,この教育を作り上げてきたわけである.ローリス・マラグッツィは,元々は小学校・中学校の教師を勤めていたけれども,スイスにあるピアジェが主催する発達科学研究所などに出かけて研究を重ね,ピアジェ,ヴィゴツキー,デューイ,さらには新教育の伝統を行くフレネなど,教育心理学のブルーナーなどに学びながら,それらのどの理論にも依拠するのではなく,それらの革新性を総合して,独自な教育思想に高めていったわけである.ローリス・マラグッツィは,残念なことに1994年に志半ばに倒れるが,今日のレッジョ・エミリアの教育を育てたのは,まさにローリス・マラグッツィであったと言っていいわけである.

プロジェクト(秋田喜代美氏)
 レッジョ・エミリアの幼児教育の最も大きな特徴は,プロジェクト型の活動が入っているということである.プロジェクト型の活動というのは,子どもたちが2~3人から5人くらいで,数日間から,多くの場合は数週間,数ヶ月間というような長期間に渡って,例えば,光であったり,水であったり,木であったりというような身近にあるテーマをもって,それについての活動を行っていくというものである.例えば,私が見せて頂いたものだと,子どもたちが「木の葉っぱ」というものに関心を持つ.そして朝,まず来て好きな遊びをし,それから集まって,先生が「今日は何をしたい?」と聞く.各自が何をするかというのを決める.葉っぱに興味を持っている子どもは,「僕は絵を描こう」という子どもがいれば,先生が園庭にイーゼルを立ててくれて,そこで葉っぱの絵を描き始める.また同じ葉っぱに興味がある子どもでも「僕は針金で作ってみよう」という子どもは,アトリエに表現の素材が色々準備されているので,それを通して,自分で葉っぱの形を作っていくということをする.数人でやっているので,お互いに「何をしているの」「君のはこんな風になっているんだ」というような話をしている.先生はそこで必要なものがあれば提供するし,あとはむしろ子どもがやっていることを見つめ,聞き取るということをしている.これはその日によってどれくらい続くかは違っていて,子どもの興味・関心からテーマも出てくるし,そしてその活動の時間や流れというのも,まさに子どもの活動の時の流れというものに寄り添いながら展開されていく.

ドキュメンテーション(秋田喜代美氏)
 レッジョ・エミリアの幼児教育のもう一つの最も大きな特徴が,ドキュメンテーションといわれるものである.ドキュメンテーションというのは,子どもがプロジェクト型の活動をしているときに,先生がその傍らで,その小集団の子どもたちが全体としてどのような活動をしているのか,その中で一人一人の子どもの活動はどんな風に展開していったのか,ということを細かく記録していくものである.その記録というのは,文字記録だけではなく,例えば,絵画表現を使ったり,ビデオを撮ったり,多様な媒体を使いながら,子どもの活動の軌跡というものを丁寧に取っていく.そしてそれを保育が終わった後で,教師同士でお互いに取った記録をもとにしながら,語り合う・話し合う(Discourse)ということが行われる.そしてさらに,そこからどんな意味があるんだろうということを探りながら,長期間に渡って,例えばパネルという形で,取った記録をさらに形にしていく.そして子どもの活動がどんな風に展開していったのかということをパネルに示して,親たち,子どもの送迎に来たり懇談するときの親たちにも見てもらいながら,話し合うということをしていく.そして教室の壁にそういうパネルやドキュメンテーションが多様に掲示されていることによって,子ども自身も自分の活動の流れということをとらえ,自分のやっていることがとても意味があることなんだということに気付くし,また自分の展開の軌跡というものに子ども自身も気付いていくということができる.ドキュメンテーション(記録)を取ることは,3つの窓を開くと言われている.子ども一人一人の学びの軌跡を取ること,そしてそれが集団としての子どもたちの(折り合いながらどうやって広がっていったのかという)軌跡を取ること,そして教師自身がそれをどのように捉えていったのかという学びの軌跡を取ることである.これによって教師も学ぶことができるし,また親もともに学ぶことができる.そして子ども自身も,またその記録をもとにして自分の活動を学ぶことができるということになっている.

子ども達の100の言葉としてのテクノロジー(ジョバンニ:アトリエリスタ)
 子ども達は毎日のように,スキャナ,コンピュータ,OHPのような技術を使って制作している.それは技術を学ぶためだけでなく,新しい<言葉>を作るための道具として,新しい形を与えるために使っている.こうして新しいテクノロジーとともに,伝統的な<言葉>である粘土や針金,絵画なども一緒に,子ども達の新しい表現方法となる.幼児学校が伝統的な文化価値を残しながら,新しく変わっていき,子ども達の新しい経験をつくっていくことは,大切なことだと考える.

共同体の思想(セルジョ・スパッジャーリ氏:市教育局教育主事)
 これまでヨーロッパの文化は,個人の独立性と共同体を分けて考えてきた.私はこの2つのコンセプトを対立する概念には捉えていない.ある共同体の中の個人は,その共同体に「従属」しているとは限らない.人は共同体に入っても自由でいられるのである.独立性と共同性は,混じり合うことが可能である.子ども達の「自由な思考」「自由な行動」「自由なアイディア」は,共同体にとってとても重要で大きな価値を生み出す.子どもは一人だけでも,家族だけでも生きていけない.家族にとっても,他の家族と接することが大切である.人は,「他者との出会い」「他者との対話」によってはじめて成長することができる.

ヴィア・ヴェッキ氏(アトリエリスタ)
 子どもは全て,素晴らしい素質をもって生まれてくる.

セルジョ・スパッジャーリ氏(市教育局教育主事)
 教育は,頭の中に押し込むのではなく,頭の中にあるものを表現させることである.

ティツイアーナ・フィリッピーニ氏(ペダゴジスタ)
 子ども達の自由な表現やコミュニケーションの手段を彼らの感動,知恵,理性,根拠,想像力を通して伸ばすことが大切である.

レッジョ・エミリアから学ぶもの(秋田喜代美氏・佐藤学氏)
 私がレッジョ・エミリアの幼児教育,子どもたちの100の言葉から学んだ最も大きなことは,子どもたちの表現を支えている保育者の専門性としての「3つのD」ということである.一つは,子どもの活動とともにカリキュラムをデザイン(Design)するというデザインのD,二つ目は,子どもたちの遊びや学びの過程を記録するというドキュメンテーション(Documentation)のD,三つ目は,そのドキュメンテーションの記録をもとに,親,地域の人々,保育者がともに語り合うというディスコース(Discourse)のDである.この「3つのD」が子どもたちを支え,そしてレッジョ・エミリア市の全体の教育を支えているのだと強く感じた.
 レッジョ・エミリア市の教育の最大の特徴は,「大人は成熟している,子どもは未熟である」「大人は万能である,子どもは無能である」「大人は教え,子どもは学ぶ」・・・こうした伝統的枠組を根本的に組み替えた点にある.レッジョ・エミリアの教育を見てみると,子どもは絶えず主人公である.大人も主人公である.創造性の教育は,全ての子どもたちが潜在的に抱えている可能性であり,全ての子どもたちに保障されるべき権利である.その教育の姿をこの記録は伝えている.

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