人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』について 1 | 中杉弘の人間の探求

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人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』について 1

 

 これから、『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』の講義に入ります。法華経を守るための観世音菩薩、薬王菩薩もいます。いろいろな仏が法華経を守るのです。その中に、妙音菩薩がいます。「妙音菩薩は、法華経を信じる人をどのように守るのか?」ということを書いたのが、『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』です。

爾の時に釈迦牟尼仏、大人相の肉髻(にっけい)の光明を放ち、及び眉間白毫相の光を放って、遍(あまね)く、東方百八万億那由他恒河沙等の諸仏の世界を照したもう。
 爾の時に釈迦牟尼仏が、大人相の肉髻(にっけい)の光明を放ち、及び眉間白毫相の光を放って、遍(あまね)く、東方百八万億那由他恒河沙等の諸仏の世界を照したのです。

仏陀の頭はとがっています。それを肉髻(にっけい)の相といいます。坊さんになる相があります。

お寺に行って「私はお坊さんになりたのですが」と言うと、お坊さんが「では、ここにきて座りなさい」と言われるのですが、座ると頭を見られて、頭のてっぺんがとがっていると「君は、お坊さんになることを認めます」と言われるのです。

それを肉髻(にっけい)と言います。肉が髷のようになっているのです。日蓮正宗のお坊さんは、肉髻(にっけい)の相になっています。

仏様は、肉髻(にっけい)の相から光り、眉間白毫相からも光るのです。これは、肉眼で見える光ではありません。肉眼で見ようと思っても、眉間白毫相からの光は、肉眼では見えません。仏道修行が進むと仏眼に近くなってきて、見えるようになってくるのです。

普通は肉眼で見ても見えません。仏眼で見るからわかるのです。これをよく覚えておいてください。いくら肉眼で見ようと思っても見えません。信仰が進んでくると、「この人は眉間から白毫の光がでている。これを眉間白毫相と言うのだな」とわかってくるのです。

お釈迦様は三十二相八十種好です。三十二の変わった相があり、八十種の好みがあるのです。お釈迦様の神通力を肉眼で見ようと思っても、見えません。「手に水かきがある」と言っても、そんなものは見えません。仏陀の肌は金色に輝いているのですが、実際はそのようには見えません。

ところが、仏眼を持った人が見ると、仏様の身体は金色に輝いていて、眉間白毫相の光がでていて、手を見ると水かきがついているのです。それは、仏眼で見ると見えてくる世界です。

「東方百八万億那由他恒河沙等の諸仏の世界を照しまもう。」とは、どのようなことなのでしょうか? それは、仏眼で見るから見えてくる世界です。肉眼で見たら、3キロ先でも見えません。

仏様は全世界が見えるのです。肉眼で全世界など見えるわけがありません。これは、仏眼で見る世界です。それを称して、仏力、法力と言います。仏力、法力で見ると、全て見えてくるのです。

「今、仏様は白毫の光を放って、世界の隅々まで見ていらっしゃるな」と見えるようになってくるのです。仏眼で見えるようになってくると、神通力が身についてくるようになるのです。

信仰するということは、肉眼で見るのではなく、仏眼で見ていることに気が付いてくるのです。「私は幸せです」と言っている人を仏眼で見ると、「貴方の心は、地獄界ですね」「貴方は畜生界ですね」と見えてくるのです。これも仏眼です。普通は人間の形をしていると畜生界には見えません。でも、仏教の修行が進んでくると、「この人は畜生界だな」とわかってくるのです。

「この人は天界だな」ということも見えてくるのです。普通の人から見たら、天界にいるなどわかりません。「よい会社に入った」「競馬で当たった!」と有頂天になって喜んでいる人がいます。それは、天界です。これは、仏眼で見ているのです。

「コロナウイルスが流行っているのに、恐れずに看護をしている人がいる。この人は困った人を助けているから菩薩界だな」とわかってくるのです。

或いは、「ここは俺の縄張りだ。みかじめ料を払え!」とヤクザが言っています。これは、畜生界です。畜生界は、恐れるものがありません。肉眼で見たら、恐ろしいものばかりです。

ライオン、ワニ、熊も恐ろしいのです。これは、肉眼で見たらそう思うのです。「なんだ、畜生界か。ひどい恰好をしているな。ヤクザの親分の来世の姿も見えるよ」ということがわかってきたら、仏眼で見ているのです。

「畜生は残害とて互に殺しあふ」(新池御書)と言うのです。ヤクザは、「縄張りを荒らす奴は許さないぞ!」と言って、ドンパチを始めるのです。肉食動物がお互いに得物を取り合っている姿と同じです。

そこに人間がいるのではなくて、畜生がいるのです。畜生ならば、人間の言葉は通用しません。人間は人間の言葉が通用しますから、まだよいのです。畜生界に入ってしまい、畜身に生まれてしまうと、人間の言葉は通用しません。

畜生界は、お互いに殺し合い、食らいあう関係ですから、畜生です。何が「ヤクザの親分」なのでしょうか? そんなことは何の自慢にもなりません。その姿は、畜生界です。それは、仏眼で見た場合です。

そのように見える人は仏眼が備わってきているのです。すると、不思議なことが起きてきて、その人を害することはできなくなってしまうのです。仏眼が備わっている人を害することはできません。(2に続く)

 

 

『妙法蓮華経妙音菩薩品第二十四』

爾の時に釈迦牟尼仏、大人相の肉髻(にっけい)の光明を放ち、及び眉間白毫相の光を放って、遍(あまね)く、東方百八万億那由他恒河沙等の諸仏の世界を照したもう。

 

 

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