人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経見宝塔品第十一』について 19 | 中杉弘の人間の探求

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252 ※まず、空中に宝塔が建ったのです。宝塔の中で釈迦牟尼仏と多宝如来の二仏が並び、「みんな、私の説法を聞くために集まったのだな」と言ったのです。

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経見宝塔品第十一』について 19

 

 「即時に釈迦牟尼仏、神通力を以って、諸の大衆を接して、皆虚空に在(お)きたもう。」
 即時に釈迦牟尼仏、神通力を以って、諸の大衆を接して、皆虚空に在(お)きたもう。
 「大音声を以って、普く四衆に告げたまわく、」
 大音声を以って、普く四衆に告げたまわく、
 「誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。」
 誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。
 「今正しく是れ時なり。」
 今正しく是れ時なり。
 「如来久しからずして、当に涅槃に入るべし。」
 如来久しからずして、当に涅槃に入るべし。
 「仏此の妙法華経を以って付嘱して在ること有らしめんと欲す。」
 仏此の妙法華経を以って付嘱して在ること有らしめんと欲す。

仏様は「お前達を空中に呼んだのは、法華経を説くためです。私は間もなく涅槃します。涅槃していた所から出てきたのです。お前達を残していくぞ」と言われたのです。
 「爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、」
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
 「聖主世尊 久しく滅度したもうと雖も」
 聖主世尊、久しく滅度したもうと雖も
 「宝塔の中に在(いま)して 尚法の為に来りたまえり」
 宝塔の中に在(いま)して、尚法の為に来りたまえり
 「諸人云何ぞ勤めて 法の為にせざらん」
 諸人云何ぞ勤めて、法の為にせざらん。

皆が集まったので私は滅度します。宝塔において、どうして皆を呼んだのかというと、この法を私が滅度の後に誰が説くのかを教えるためです。集まった諸人を皆、空中にあげてあげたのですから、お前達も法華経を説きなさい。
 「此の仏滅度したまいて 無央数劫(むおうしゅうこう)なり」
 此の仏滅度したまいて、無央数劫(むおうしゅうこう)なり。

この時にいた仏様は滅せられたのです。無央数劫(むおうしゅうこう)という長い時間が過ぎたのです。
 「処処に法を聴きたもうことは 遇い難きを以っての故なり」
 処処に法を聴きたもうことは、遇い難きを以っての故なり。

仏様に会うということは、遇い難きことなのです。もう、仏様は空中からいなくなっているのです。集まった皆さんが、法を説くのです。あちこちで法を説きだしたのですが、仏様に会うことは、非常に難しいのです。仏様には、滅多に会うことはできません。
 「彼の仏の本願は 我滅度の後」
 彼の仏の本願は、我滅度の後
 「在在所往に 常に法を聴かんが為なり」
 在在所往に、常に法を聴かんが為なり。

私がなぜ、滅度するのかというと、お前達が法を説くためです。私は滅度したのだから、もう出てきません。でも、お前達を通して法華経の神髄を人々に伝えなさい。
 「又我が分身 無量の諸仏」
 又我が分身、無量の諸仏
 「恒沙等の如く 来れるは法を聴き」
 恒沙等の如く、来れるは法を聴き
 「及び滅度の 多宝如来を見たてまつらんと欲して」
 及び滅度の、多宝如来を見たてまつらんと欲したのです。

釈迦牟尼仏も多宝如来も滅度しているのです。死んだものを見ようと思っても、見ることはできません。見えないけれど、『妙法蓮華経如来寿量品第十六』で、「仏の正体とは何であるのか?」という布石を打っているのです。

まず、空中に宝塔が建ったのです。宝塔の中で釈迦牟尼仏と多宝如来の二仏が並び、「みんな、私の説法を聞くために集まったのだな」と言ったのです。大衆は、「私もお釈迦様の傍に行きたいのです。どうか、法を聞かせてください」と言ったのです。お釈迦様は、遙か雲の上にある天にいるのです。「よし、わかった。皆を空中にあげてあげましょう」と言われて、「衆生が空中に浮いて、釈迦牟尼仏と多宝如来の近くに運ばれた」という話です。(20に続く)

 

 

『妙法蓮華経見宝塔品第十一』

即時に釈迦牟尼仏、神通力を以って、諸の大衆を接して、皆虚空に在(お)きたもう。

大音声を以って、普く四衆に告げたまわく、

誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。

今正しく是れ時なり。

如来久しからずして、当に涅槃に入るべし。

仏此の妙法華経を以って付嘱して在ること有らしめんと欲す。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、

聖主世尊 久しく滅度したもうと雖も

宝塔の中に在(いま)して 尚法の為に来りたまえり

諸人云何ぞ勤めて 法の為にせざらん

此の仏滅度したまいて 無央数劫(むおうしゅうこう)なり

処処に法を聴きたもうことは 遇い難きを以っての故なり

彼の仏の本願は 我滅度の後

在在所往に 常に法を聴かんが為なり

又我が分身 無量の諸仏

恒沙等の如く 来れるは法を聴き

及び滅度の 多宝如来を見たてまつらんと欲して

 

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