自力本願と他力本願 | 中杉 弘の徒然日記

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自力本願と他力本願

 

 法華経は、仏になるための教えです。どちらかというと、自力で仏になるのです。他力本願の教えは、念仏宗の教えです。

 念仏は、自分が仏になるのではなくて、阿弥陀仏の誓願に従って、極楽浄土へ逝くことができるのです。

 人間には善人もいれば、悪人もいます。仏道修行に縁のない人達もいます。その人たちのために阿弥陀仏がこの世に現れて、「悪人を救う」という話です。自分の力で仏になることができない人が阿弥陀仏にすがって、浄土に生まれるという教えです。

 それを往生(おうじょう)といいます。法華経には、往生という言葉はありません。もし、「往生する」などと言っている人がいたら、それは間違いです。「往生」とは、西方極楽浄土に連れていってもらえる、念仏の思想から出てきた言葉です。

 法華経には往生などという考え方はありません。法華経は、「成仏」といいます。この世で生きたままで、仏になるということを成仏といいます。

この背景を考えてみると、世の中は、法からできているのです。男は男、女は女、豚は豚、馬は馬、草は草、木は木です。千差万別の生命になっているのです。それぞれの生命は、自分から世界を見ているのです。でも、本当はそうではありません。

 この世界の中心は、法ではありません。実際は目に見えない妙が法の奥にあるのです。この世界は、妙法の世界です。法だけの世界ではありません。「この世界は妙法の世界だ」ということがわかった人は、成仏が近いのです。

 妙法の世界がわからない人にとって、この世は法に従って生きているだけです。生まれたものは、それぞれの法を生きているのです。一般の人は、妙があるなどということは、考えもしません。

 我々は、法の世界を生きているけれども、実は法の奥に妙の世界があるのです。妙が生命を生んでくる母体です。生を享けた者は、法則性があります。だけど、妙は見ようと思わないと見えません。

 妙を見ようと思っても、教わらないと妙の世界はわかりません。人間の世界は、男は男、女は女、庶民は庶民、権力者は権力者として生きているのです。その上には、もっと大きな妙法というものがあります。

 「私は妙法だ」ということを知れば、仏道修行の第一歩は、大成功です。「この世は、妙法からできているのだ」ということが、わかってくるのです。これは、なかなかわかりません。

 皆、「自分の力で生きている」と思い込んでいるのです。法の力で生きているのです。「私は、自分の努力で有名人になったのよ」と考えてしまうのです。そこで次にくる言葉は、「私くらい偉い者はいない。自分の努力で獲得したのだから、自分よりも偉い人はいない」と思うのです。

 一般の人達は、「この世は法の世界だ」と考えているのです。それは、違います。有名人になった人も、芸能人も、タレントも、政治家も、元の姿は妙法です。貴方には、妙法が見えないのでしょうか?

 妙法が見えてくれば、仏道修行は進んでいると考えてよいのです。人間の存在とは何か? 私というものがあります。私というものは、わかりやすく言うと、抜け殻です。妙なる世界から、「この車に乗ったほうがよい」と言われて、我々は与えられた車に乗っているのです。

 自分の身体というものは、自分のものではありません。人体は、知れば知るほど神秘に満ちています。どれほどの神秘があるかわかりません。「ここに大脳があり、心臓、肺、すい臓、腎臓がある」という理解では、生命全体をとらえることはできません。

 科学の目で人間を見ても、実相は見えません。貴方の身体は、自分でつくったものではありません。自分で「心臓よ、動け!」「このような身体にしてくれ」と言って、生まれてきたわけではありません。

 何しろ、生まれたということは、体は乗り物です。タクシーのようなものです。「ヘイ、タクシー」と車に乗って、生まれてくるのです。そのタクシーで世の中を一生走り続けていくのです。

 用事が澄んだら、「タクシーを降ります」と言って、タクシーを降りて、また妙の世界に帰るのです。それが死です。そのように言うと、わかりやすいでしょう。この妙というものを全く考えないのが現代社会です。

 現代科学が発達しているから、科学で世の中を見てみます。科学では、世の中の全てはわからないでしょう。人間は、UFO一つをとってみても、わかりません。UFOの現象を見ても、何もわからないのです。

 何故、UFOは瞬間移動できるのでしょうか? 「UFOが現れた」と思うと、パッと消えてしまうのです。UFOは、海にも潜ることができるのです。また、不思議なことに火山の火口にも入っていくのです。そんな乗り物を人間は考えることもできません。

 UFOという問題を考えてみても、とても人間の頭脳でわかるものではありません。人間の理解できる範囲を超えているのです。だからアメリカ政府は、「UFOは存在しない」と言い続けてきたのです。

 「UFOが存在する」と言ったら、国民が不安に思います。「UFOは存在しない」と言いながら、ずっと監視を続けてきたのです。人間より優れた宇宙人がいるならば、アメリカ政府の権威は失墜してしまいます。

 「アメリカ合衆国の大統領は、権威があるぞ!」と言っても、「何を言っているのよ。UFOのことは、一つもわからないじゃないの」と言われてしまいます。だから、UFOの存在を認めることはできません。

 アメリカの民間では、7万5千件のUFOの目撃例があるのです。でも、それは一つも説明はできません。「説明ができないので、なかったことにする」ということです。

 人間が、UFOのことをいくら考えてもわかりません。羽もない円盤がどうして空を飛べるのでしょうか? UFOは、パッと現れて、パッと消えるのです。UFOを追跡して、機関銃でも撃とうとすると、計器が止まって、飛行機が墜落してしまうのです。

 UFOが原爆の格納庫の近くを飛んでいると、原爆のボタンを押しても、スイッチが入りません。これは有難いことです。宇宙人も人間の原爆投下を心配しているのです。「原爆の使用を止めなさい」という宇宙人の意志が感じられるのです。

 UFOが人間を誘拐する、アブダクションという現象もあります。UFOは、人間を空中に浮かばせる技術もあるのです。それもどうなっているのかわかりません。どうして宇宙人が人間を誘拐するのか意味不明です。

 イギリスのミステリーサークルも不思議です。これもUFOの仕業だと言われています。何故、こんな図形を残しているのでしょうか? 全くわかりません。

 人間にはわからないことだらけです。コロナウイルスが、どうしてできてくるのかもわかっていません。コロナウイルスの次には、どのようなウイルスが流行するのかもわかりません。

 要するにわからない部分が、「何故、生まれたのか?」「生命とは何か?」ということです。いくら科学で立証しようと思っても、全くわかりません。

わからないのは、妙の世界だからです。妙は死、法は生なり。「生死の二法は一心の妙用」(伝教大師)です。法は生です。死は全くわかりません。

 昨日まで生きて動いていた人間が、死んでしまうとピクリとも動きません。何がどう変わったのでしょうか? 生きているときの姿は残っているのです。でも、ピクリとも動きません。息を吹きかけても、電気ショックを与えても、生き返りません。

 では、どのような作用があって、人間は生きているのでしょうか? 全くわかりません。何故、生命にはこんなに種類があるのでしょうか? ダーウィンの唱えた進化論で生命を考えても全くわかりません。

 妙は死です。死の先は生きている人間にはわかりません。「生きている」ということは、法があります。でも、その源は妙からできているのです。人間の存在は、妙法から成り立っているのです。

 妙法とは、言葉を変えると、「生と死」です。妙は死、法は生なり。「生死の二法は一心の妙用」(伝教大師)です。一心の中に、妙法が入っているのです。生命は、妙法が現れたものです。

 人間は、妙がわからないと一人前ではありません。人間は生まれて成功すると、「俺は人生の成功者だ。俺の努力でそうなったのだ」と思いたいのです。何をバカなことを言っているのでしょうか?

 貴方がこの世に生まれてきたのは、貴方の力ではありません。生まれてくるのも、妙法の力です。死ぬときも妙法の力です。妙がわからないと、「人生がわかった」とは言えません。

 ところが今の学校教育は、死について教えません。生きている法の世界だけ教えるのです。「科学だ、相対性理論だ、量子力学だ!」と言っても、妙の世界は全然わかりません。

 妙の世界は、まるっきりわかっていません。人間は妙法の存在ですが、妙が全くわかっていません。これが、仏教をわかるための第一歩の考え方です。それがわかってくると霊魂のことも、だんだんとわかってくるのです。

 それがわかってくるにしたがって、「自然に仏界にいたるべし」(開目抄下)ということがわかってくるのです。仏界とは、妙が分かった世界です。生きている間に、妙の世界がわからないと、川に流されているアブクのように、流されていくのです。

川に流されたアブクが消えると、「ご臨終です」となるのです。妙がわからないとそれで人生は終わりです。生命は妙法から成り立っているのです。それは、因果の理法から成り立っているのです。因果倶時不思議の一法です。

 それを説いた経だから、南無妙法蓮華経と言うのです。これが仏法の極意です。お釈迦様は、妙法蓮華経という生命を客観的に言われたのです。

 日蓮大聖人様の仏法は、客観的ではありません。貴方の一念を説いているのです。だから、「南無」がつくのです。「妙法蓮華経」は、主語がありません。客観的な言い方です。

 日蓮大聖人様は違います。貴方の一念は南無です。何もわからない貴方の一念心を南無と知り、蓮華の法と知っていくことが、仏になっていく修行の道筋です。

 

 

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