三島由紀夫論 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※最高峰の三島由紀夫論です!

 

 間もなく11月25日になります。今から、50年前、有名な「三島事件」というものが起きました。自衛隊に乱入した楯の会の事件です。あれから、もう50年経ったのです。

 三島事件とは、真に複雑な事件です。一筋縄ではいきません。「三島先生はどのような人だったのか?」というと、そこから見ていかないとわかりません。文学者であり、哲学者でもあり、戯曲作家でもあり、さらに格闘家でもあります。やった格闘技はボクシング、剣道、ボディービルです。その他では、自衛隊にも体験入隊をして、自衛隊の諸君と共に野山を駆け回ったのです。

一人の人間がこんな多彩な才能を持っていたのです。三島先生の一つの面を見て評論しようとしても、後の面が欠けてしまうのです。

文芸評論家は、文学作品を評論します。その人達は、それしかわかりません。それから見ると「三島由紀夫の作品はこうだ」と評論するのです。

三島先生は、それだけではありません。多彩な面を持っていたのです。「文学者の道とは何か?」というと、三島先生は、このように言っています。「俺の文学は、飯を食うためにやっているのだ」と言っていたのですから、目的が明確です。文学は飯を食うためにやっていたのです。

三島先生は飯を食うために文学作品を書いているのだから、三島先生の文学を読んで「弟子になりたい」と言ってきた奴はダメなのです。文学なんかに感心してもらいたくないのです。「文学は売れればよい」と思って書いていたのです。それが読者には、わからないのです。

三島先生は、文学に行き詰まりを感じていたのです。行き詰まりというのは何かというと、限界です。文学という表現を持って何かを表現しようとするのですが、それが「表現できないものがある」ということに気が付いたのです。

その時をきっかけにして、ピタリと文学を止めたのです。とは言っても文学は飯を食うためのものであるから、文学は書き続けたのです。そんな意識で書いていたら面白くありません。「本当にやりたいことは何か?」ということが、しっかりとわかってきたのです。

それは、哲学者としての一面です。まだあります。三島先生は仏教者でもあったのです。仏教の研究も相当しています。そのような点でいうと、カッコイイ人です。東大卒で、経歴はピカ一です。

しかも、学生の頃に『花ざかりの森』という小説を書いていたのです。中学生の頃に小説を書いていたのですが、三島先生は小説などで飯が食えるなどとは思っていません。

「就職しなければ」と思って、就職したのが大蔵省です。一番花形の高級官僚の道に入ったのです。ところが、大蔵省は1年くらいで辞めてしまったのです。「こんなところでやっていられるか!」と思って辞めたのです。官僚は、バカばかりで、出世のことしか考えていません。だから、東大卒の大蔵省のキャリアを捨てたのです。

それだけ見ても、凄い経歴です。中学時代に作品を書いていたのです。それも結構売れてしまうのです。しかし、官僚としての三島先生は何も発言していません。小説家は物を書く人ですから、「何が言いたのか?」ということはわかります。

まず、「三島先生は、そのような多彩な人間である」ということを、きちんと抑えておかなければいけません。そうしないと、市ヶ谷乱入事件も、「どうしてこのような行動をしたのか?」ということも全然わかりません。

何故、文学を志した人がボクシングに打ち込んだのでしょうか? 三島先生は、剣道五段です。半端な修行ではありません。何でも徹底的にやったのです。やせ衰えていた男が、筋骨たくましくなったのです。

その辺の感情がわかるエッセイがあります。それは、『太陽と鉄』という本です。太陽とは、お日様の太陽です。鉄というのは、体を鍛える鉄アレイなどの道具があります。太陽で体を焼いて、鉄アレイで体を鍛えたのです。素晴らしい本です。

僕も一冊もっています。まさに名文です。それは、自分の体を鍛えるごとに、変わっていく心境を書いたエッセイです。青瓢箪で文学少年だった自分が、何に憧れたのかというと、「筋骨たくましいスポーツ万能で、ギリシャ彫刻のような肉体に憧れた」というのです。

文学を書いて、周りを見ると川端康成も青瓢箪です。骨と皮ばかりの体で浴衣にくるまっていたのです。それは、何とも言えないくらい醜悪だったのです。髪の毛は伸ばしたい放題伸びてボザボサです。

それと比べると、ギリシャ彫刻のような肉体に憧れたのです。三島先生は憧れただけではありません。「私もこのような体をつくろう」と考えたのです。それが普通の人とは違うのです。

もっと違うのは、「体を鍛えることによって、精神がどのように変わっていくのか」ということを克明に書いたのです。三島先生は「疑問があった」と言うのです。「ワッショイ、ワッショイとお神輿を担いでいる青年の頭の中には何があるのだろうか? 文学者の自分は知ることができない。だから、あのような体になって神輿を担ぎたいのだ。担いだ時にどのような心が出てくるのか知りたい」と思ったのです。

国立競技場で、何周も一人で走ったのです。その時に、「心がどのように変わるのか? それが知りたい」と思ったのです。自衛隊の体験入隊もそのような理由です。「自衛隊に入って、愛国のために戦っている青年たちはどのような気持ちで戦っているのか?」ということを知りたかったのです。「どのような気持ちで」ということを知りたいというのが文学者です。

ただ、「国のためにやったるぜ!」というのではありません。「どのような気持ちで野山を駆け回っているのか? 自衛隊員とは、どのような気持ちでいるのか?」ということを知りたかったのです。三島先生は二等兵で体験入隊をしたのです。先輩と野山に伏し、野営をして、「その時にどのような心になるのだろうか?」ということが克明に書いてあります。

「ジェット機に乗ってみたい。果たして、ジェット機のパイロットは、どのような心で操縦しているのだろうか? 知りたい」と思ったのです。それが『太陽と鉄』には、書かれているのです。

自衛隊に入隊した時、ボクシングをやった時、剣道を習った時、全て書いてあるのです。面白い本ですから、僕は何回でも読んでいます。それが文学作品というものです。

それは、映画でも表現できません。書いたものでないと、あの感じはつかめません。

三島先生が最後に書いた『豊饒の海』四部作があり、これは生まれ変わりの小説です。「暁の寺」などのテーマで、四巻がセットになっているのです。主人公は4回生まれ変わります。生まれ変わった最後の青年が、8月15日に切腹をするのです。

その時に正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼(まぶた)の裏に赫奕(かくやく)と昇った」と書いてあります。この小説は、この表現で終わっているのです。三島先生はそのように考えたのです。そこで、三島先生が何を考えていたのかわかります。

三島先生が考えていたこととは、「生と死」なのです。それが文学のテーマです。普通の文学者は、そのようなテーマではありません。愛、エロス、心中、失恋などの、くだらないことが作家のテーマになっているのです。

三島先生はそんなことは、最初から相手にしていません。多少は、そのような小説もありますが、飯を食うために書いているだけです。本当のテーマは、「生と死」です。人間は死ぬとどうなるのでしょうか? 生きている者が死ぬということは、どのようなことなのか? 「この生と死とは何なのか?」これが三島先生のテーマだったのです。

テーマの取り方がとてつもなく大きいのです。大きいテーマでいうと、ドストエフスキーの戦争をテーマにした小説がありますが、三島先生に言わせたら戦争というテーマもまだ小さいのです。

「生と死」というテーマが人生の大問題です。これに真っ向から立ち向かった人だと言えるのです。なかなか、このテーマに対して真っ向から立ち向かえる人はいません。斜めでチョロチョロと見て「俺もやがては死ぬらしい。死んだらどうなるのかな?」と横目でチョロチョロと見ているだけです。そのような文学者はいるのです。

横目で見ていた芥川龍之介は自殺してしまい、川端康成も自殺してしまいます。太宰治も自殺したのです。自殺した作家は大勢いるのです。まともな作家は、死んでいると思ってよいのです。

それも、死をちょっとだけ見たのです。ちょっと見たからいけないのです。真っ向から睨んだら、太宰治のように玉川上水で自殺などしません。玉川上水は浅い所です。そんな所で死ぬなど、考えられません。

太宰治は愛人と共に2回も自殺未遂をしたのです。3回目に本当に死んでしまったのです。チラッと死を見たのです。そんなことではいけません。「生と死」という問題を真っ向から見るのです。

すると、このようなことが出てきます。人間には「生の哲学」があります。élan vital(エラン・ヴィタール )といいます。その反対に「死の哲学」もあります。それは、どのような関係になっているのでしょうか?

文学にも生の文学、死の文学があります。死の文学は壊滅的な文学です。太宰治などは、『人間失格』など書いています。

それから、耽美と言って「女の体が美しい」などということに目がいってしまった作家が谷崎潤一郎です。

「生と死」という問題に真っ向から取り組みたいと思って、三島先生は仏教を勉強したのです。お寺に入って修行するなどということはしていません。仏典を読んで「仏教は何を説いているのか?」ということを研究したのです。

面白いことに気が付いたのです。「仏教は輪廻転生しない、無我なのだ」と説きます。それなのに、「輪廻転生する」と言います。これは矛盾でしょう。「我がない」と説いておきながら、「輪廻転生する」と言っているのです。

我がなかったら、輪廻転生もありません。我はないのだから、死んだら終わりです。でも、「輪廻転生する」と言うのです。この「輪廻転生するという問題は何でしょうか? 魂なのだろうか? 霊魂なのだろうか?」と疑問に思ったのです。

仏典では、「輪廻転生する」と書いてあるのです。「死んで、七日の後に輪廻転生する」と書いてあるのです。これは、どのようなことなのでしょうか?

これが『豊饒の海』四部作の「暁の寺」のテーマです。結論を言うと、結論は出ていません。わからないままで小説は終わっているのです。それはそうです。三島先生が勉強したのは、法相宗の唯識論です。

法相宗の唯識論では、「生と死」の問題は解けません。法華経でないと説けないのです。何故かというと、仏教というものは、法華経です。他のお経文は沢山ありますが、ニセ経典とまでは言わないまでも、本当の教えに到達していません。

仏教で一番深い所に到達したのは、法華経です。法華経を勉強して、信じた時に初めて生と死の問題は解けてくるのです。彼はそのような哲学的な思考を持って、生と死を応用したのです。(②に続く)

 

 

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