モーゼに学ぶ神の教え | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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僕とユダヤ教の出会いは、偶然です。その人は司法書士だったのです。「私は仏教の経典を読むと心が安らぎます。ところが聖書を読むと頭が冴えて眠れなくなる」と言っていたのです。

何故かと思って考えてみたら、お経は意味がわかりません。爾時世尊。従三昧安詳而起。告舎利弗。と読んでも意味がわかりません。聖書の場合は「始めに神がありき」と読めばわかります。だから、「聖書をわからなくすればよいのだ」と考えて、一生懸命になって聖書を漢文に訳していたのです。

聖書を漢文で読み下すと「訳がわからなくなるから、楽な気持ちになる」と言っていたのです。その人からモーゼのことを色々と教わったのです。だから僕は知っているのです。その人は「モーゼ大明神」というものをつくってしまい、創価学会の仏壇に安置していたのです。

五島列島の出身で元クリスチャンです。五島列島に伝わるモーゼを教えてくれたのです。それは非常に役立っています。その中で印象深かったのは、ロゴスとイデアの話が面白かったのです。

「神様はどのように世界を創ったのかわかりますが?」と聞くのです。まず、「この世界を創ろう」という神様の意思があったのです。意思がなければできません。「この世界をどのように創ったのだと思いますか?」と聞くので、「どうやって創ったのですか?」と聞くと、「神は言葉をもって創ったのです」と答えたのです。

最初に「この世界を創ろう」というのが閃き(ひらめき)です。それをイデアといいます。それが「神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(God said, "Let there be light," and there was light.)」これが最初の言葉です。神には「世界を創ろう」という意思があったのです。

この世界とは、全ての世界です。神様は「この世界を創ろう」という意思があったのです。それで、ビックバンから順番に世界を創っていったのです。これは、言葉で考えたのです。

まず、「物を作ろう」というのは、閃き(ひらめき)です。それがない人は何もできません。「何か作ろう」と思っていないのですから、豚と同じです。ただ、ご飯を食べて寝るだけです。「何かを作ろう」と思った人は、人生が創造的に変わってくるのです。

言葉をもって考えるのです。もし、「この世に船というものがなければ、船というものを造ってみたいな」と思います。「どのように船を造るのかな?」と思って木を切り、材木を削って丸太船をつくれば、船になります。「船を、このような材料で造りましょう」と言葉で考えます。それから行動にうつします。

実際に材木を削り、縄で縛り丸太船を造れば、筏(いかだ)ができます。それはこの世の中になかった筏(いかだ)というものが、初めて出現したのです。この筏(いかだ)は何処にあったのかというと、最初に「筏(いかだ)を造りたい」と思った人の頭の中にあったのです。これをイデアといいます。

だから、人間は志が大事です。志がない者は、何もできません。何かを作ろうと閃くのです。それが光です。"Let there be light"です。アイデアがパッと閃くのです。みんなそうです。地上にある物は誰かの頭の中にあったのです。それを実現化していったのです。

どんな橋も、「このような橋を造ろう」と考えて、強度を計算して言葉で表して、実際に橋を造っていくのです。この世にあるものは、誰かの頭の中にあったものです。

それと同じで「世界が存在する」ということは、神様の頭の中にあったのです。太陽系があり、アンドロメダ星雲があり、ペガサス星雲があって、「そのような世界を創りたい」と神様は思ったのです。

そして、「どのような順番で物を創ろうか」と考えたのです。順番を考えないと世界はできません。ここで「大きな橋を造りたい」と思っても、「どのように橋を造るのか?」ということを言葉で表さないと橋はできません。

「橋を造ろう」と思うのはイメージです。それを実際に「どのような材料を使い、どのような橋を造るのか?」ということは、ロゴスです。「ああそうか、この世は神様のイデアから始まって、ロゴスで創られているのだな」とわかるのです。

だから、偽ユダヤ人のアインシュタインはそのように考えたのです。「私は、神の創造の後付けをしているだけなのだ。神様が「光あれ」と言ったから、光に注目したのだ。光の速度、空間を考えて物理学をつくったのだ」ということです。

なるほど、これは私たちの日常の生活の中でも大いに応用することができます。まず、アイデアが閃くのです。普通は「考える」ということすらわかりません。何を考えているのでしょうか? 閃きがないから、何を考えているのかもわからないのです。

何を考えているのでしょうか? それは、考えているのではなく、ボーとして休んでいるのです。ボーとして何も考えていないのです。それを「考えている」と言っているのです。だからダメなのです。

本当に一つ一つ具体的に考えていかないと、この世に物は生まれません。「この柱に柱をつなぐものは何か? それはネジで止めよう」或は、「ここに釘を打つ」など、造る前に具体的に造る物の構造を頭の中に入れておかないと物は完成しません。

イデアとロゴスが創造の秘密です。モーゼは、そのことを強調したのです。我々も大いに閃きを大事にしていくのです。「このような物を造ろう」「月に行けるロケットを造りたい」という閃きが最初です。

頭の中に造りたい物のイメージがわいて、「具体的に材料は何を使ったらよいのか?」ということを考えるのです。一つ一つ考えていくごとに頭の中でイメージが出来上がるのです。それが設計図です。

今度は肉体を使い、木を切ったり、材料を集めて組み立てて、本当に物が出来てくるのです。神様もおそらく、創造の原理として同じように世界を創ったのに違いありません。「この神の創造の原理が本当にわかれば、人間は神になるのだ」と言ったのが、モーゼです。

人間は神になるのです。豚とは違います。豚は何十年経っても人間にはなれません。人間はちゃんと考えていくと、神になるのです。もうなってきているのです。人間は物事ができる最初の粒子であるヒックス粒子を発見したのです。

物理学の力でブラックホールを起こして、宇宙を変えてしまう実験をやっているのです。そのような力が人間に与えられているのです。この延長線上を大事にしているから人間は、だんだん神になってきているのです。

遂にヒックス粒子に触れることができる人間が出来てきたのです。何も考えていない人、目的を持たない人、光を持たない人は何もできません。そのような人は、何も実現できません。

その人も「考えている」と言うのですが、それは考えているのではなく、気をもんでいるのです。気をもんでいるのか、休んでいるのか、どちらかです。何も考えていないのです。

そのような人間からは、何も生まれません。自分が豚や獣以下になってしまっているのです。この能力を高めていくと、日常生活の中でも凄い工夫が出来てきます。「あの人は立派な奥さんだな。凄い工夫ができる人だな」と思うと、イデアとロゴスを使いこなしているのです。

「今夜のおかずはこれにしましょう」と閃いて、実行しているのです。そのような人はどんどん料理が上手になってきて、終いには神の領域まで高めていくことができるのです。江戸時代の女将さんは、学問などなくても、すごく良い女将さんがいたのです。

そのような人は人を見る目も出来ていて、ダメ男はすぐにわかるのです。だから、プー小室を見れば「これはダメ男だ」とすぐにわかるのです。プー小室を見て「これはダメ男だ」とわからなければ、ダメです。

しかもあのダメ男が皇族になれるように企むなど、馬鹿なのです。全く真逆です。このような人は、人間まで進化をしていないのです。イデアとロゴスを使いこなせる人間になっていきましょう。

 

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