大阪市民の朝鮮人に物申す ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 大阪市民というハンドルネームをもっている人が書きこみをしています。まず、僕のことを「おっさん」と言っています。

 僕はこの人に「おっさん」と言われる男ではありません。あまりいい気持はしません。このような発言はやめるようにしましょう。僕のブログにコメントを書きこんでいるのだから、もっと礼節を持ちなさい。

 僕は心が広いから反対意見でも君たちのコメントを消していません。他のブログを見て御覧なさい。コメントが書きこめないようにしてあるか、反対意見はすぐに消してしまう人もいます。僕は相当へそ曲がりのコメントは削除しますが、それ以外は反対意見があっても載せています。

 だから大阪市民のコメントも載せています。そこに「中杉先生は公平だな」と、公平さを感じなければいけません。僕は「おっさん」ではありません。

 「またおっさんの妄想がはじまった」と書いているのです。これもまた気に食わないコメントです。小説家も歴史家も含めて妄想です。司馬遼太郎の『燃えよ剣』は、妄想です。1話から25話までありますが、全ての話が妄想です。

 さらに司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』も全て妄想です。本当のことを知っている人がいて、書いてくれていたから僕はわかったのです。

昭和二〇年、十四代(沈 壽官)は旧制中学を卒業すると鹿児島医専(現鹿大医学部)に入学、中退。その後、早稲田大学政経学部卒のあと、鹿児島選出の自民党代議士床次の秘書となっている。その秘書稼業をやめ、帰鹿し窯場の苗代川に落ち着いても十四代が作陶に精出している姿を地元の陶工家で見た者はない。十四代は政治向きのことで奔走しているのだ。昭和四六年、四七年には大迫恵吉の名で鹿児島県PTA連合会会長となっている。そういう下地を作ったあと十四代は参議院選挙に打って出る準備もしている。こういう経歴の持ち主が、昭和四三年刊行の司馬の書では早くも名工扱いになっている。

司馬遼太郎は、第十四代の沈 壽官は如何にも激しい焼き物の修行をしたようなことを言っていますが、早稲田大学に通っていた男で焼き物には縁がなかったのです。それが司馬遼太郎の話になると、最も男らしくて薩摩隼人になってしまうのです。これが妄想というのです。司馬遼太郎の話はみんな妄想になってしまうのです。司馬遼太郎の小説はみな妄想です。妄想でないのは、『坂の上の雲』です。あれは実録に近い小説です。

君に教えておいてあげましょう。妄想が世の中を変えるのです。妄想力のない人は、つまらない人です。 

 僕は人と話していると「この人間は妄想力のない人間だ。馬鹿だな」とわかるのです。妄想力のない人間はつまらない人間です。物事は妄想からつくられていくのです。人間があちこちにいる中で「国を造ろう」と思った人がいるのです。これは妄想です。

 国というものは、造らなければこの世の中にありません。無いのですが、「もし、国というものがあるならば」とその人の頭の中にあるだけの話です。その段階では妄想です。それを実際に行動して国を造っていくのです。

 神武天皇の時代には「国」などというものはありません。村はあっても国はありません。村は人間が群れているだけです。それはあちこちにあったのですが、国というものはなかったのです。

 人間を束ねていかないと国はできません。人間を束ねると何でもできてしまいます。万里の長城も、巨大なお城も出来てしまうのです。驚くべきことが人間にはできるのです。人間一人一人はアリンコのようなものです。アリンコがモッコを担いでやっているようなものです。権力者が「あそこにお城を造れ」というと出来てしまうのです。

 それは一人の人間の妄想に向かって働くからです。文化や文明は妄想の中から生まれてきているのです。「シナ大陸を征服しよう」というのは、成吉思汗の妄想です。「シナ大陸に大元帝国を造る」など、妄想なのです。それを実行に移したから、巨大な大元帝国が出来たのです。

 小説家というのは妄想の固まりです。「お前の話は妄想だよ」と言うのは簡単です。普通の人には妄想もできません。何か妄想しようと思っても、頭の中に何も出てきません。妄想できる人が作家です。頭の中に妄想がわくのです。「このような映画をつくろう」これも妄想です。「このような小説を書こう」これも妄想です。

 妄想と僕の違う点は、まず何かについて書く場合に、全ての資料を集めます。プー小室の問題を書こうと思ったら、ネット上に出ている問題を全て頭の中に入れます。まずプー小室を擁護する意見があります。「恋愛の自由だ」と言っている人間もいます。「皇室といっても個人の結婚を反対することはできない」という人もいます。様々な意見があり、全てを吸収します。

 朝堂院大覚先生は、「個人の結婚を国家権力が邪魔をするものではない」と言っています。そのような意見を右から、左から全て集めて、次に考えるのです。「自分が様々な情報を集めたけれども、どうしてもこの情報とあの情報は結びつかない」と考えるのです。

 まず第一番にお金の問題です。プー小室の母親の小室佳代は「お金がない」と言っています。近所の人にまで「お金を貸してくれ」と言っているのです。元婚約者のAさんに「お金を出せ」と言っていたのです。

 この話はおかしいのです。小室佳代はお金をもっているのです。何故、持っているとわかるのでしょうか? 小室敏勝さんの実家は資産家だったのです。小室敏勝さんのお父さんが死んだ時に、暴力団に頼んで遺産相続の交渉にいかせたのです。

 それで遺産の現金をプー小室がもらい、土地を他の親族が相続したのです。相当な金額が手に入ったのです。昔から続く家は出ていく人間はお金で処理をするのです。残った人間が土地や不動産を相続するのです。それでプー小室は遺産相続したのです。

 それから、保険金をもらっています。お父さんの自殺の保険金と、お爺ちゃんの保険金とお婆ちゃんの保険金です。みんなプー小室がもらっているのです。プー小室がもらっているということは、小室佳代がもらっているということです。

 その他、婚約者のAさんから430万円借りて、「保険に入ってほしい。圭を養子にするから、保険に入ってくれ」と言ったのです。Aさんは、500万円の保険に入ったのです。

 すると小室佳代は「そんな金額では足らない。もっと金額を大きくして」と言ってやり直しをさせたのです。小室佳代には、1,小室敏勝さん、2,お爺ちゃん、3、お婆ちゃんと保険金が全て入っています。遺産相続と保険金が3つ入ったのです。

 小室佳代は「資産はいくらありますか?」と聞かれて「7億円あります」と口をすべらしてしまったのです。お金がないわけではありません。何しろ、遺産相続と保険金で1億円以上はもっています。お金がないということはありません。

 カナディアンインターナショナルスクールの学費は小室佳代は全額払っています。お金はあるのです。それから、ICUの学費もお金がかかります。それも払っています。それは誰がお金を出したのでしょうか? 

Aさんが出したわけではありません。Aさんは430万円貸したのです。プー小室の学費は小室佳代が出したのです。小室佳代はお金をもっているのです。マスコミはそのことには一切触れませんが、僕は触れているのです。小室佳代はお金をもっているクセに、お金を借りるのです。

 小室佳代はお金を借りたら返さないのです。本当に金の亡者だとわかります。自分がつかんだお金は一銭も使いません。子供には使うのです。子供は将来のお金儲けの道具だからです。教養を身に付けさせて、何処かのお嬢さんとくっつけて、道具として使おうと思っているのです。

 だから、小室佳代はお金をもっているのです。そのように考えると、「これは正しい考え方だ」とわかるのです。「小室佳代はお金をもっているのか、いないのか?」ということではありません。小室佳代ははお金をもっているのです。お金をもっていますが、ドケチなのです。保険金殺人まで犯して貯めたお金だから一銭も出したくないのです。

 しかも、家も買っているのですからお金はもっているのです。そのように考えるのが普通ですから、これは妄想ではありません。”大阪市民君”は「妄想だ」と言いますが、妄想ではありません。これは僕の推理です。(②に続く)

 

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