本質に迫れない日本人 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

武田邦彦先生が「ニュース女子」でブチ切れたというのです。その原因は簡単で、日本人は本質に迫れないのです。本質に迫ると怖くなって逃げてしまうのです。「この問題の本質を探り当てよう」と思っても議論に乗ってきません。

僕のブログを読んでいる人もそうです。僕が出しているテーマに対してコメント欄に書きこんでいる人は、自分の言いたいことだけを発言しているのです。このブログは僕がつくっているので、僕がブログ主です。ブログ主の意見に対して「僕はこう思います」と言えば議論になります。その議論ができないのです。だから違う話を持ってくるのです。僕が触れてもいないフリーメイソンの話とか、ユダヤ問題などをパッと貼り付けて全然関係ない意見をパッと出すのです。

僕は「不思議だな」と思って見ています。自己中心的で僕の話が全然通じていません。僕は、「全てに渡って根本について考えようではありませんか」と言っているのです。それには「入り口論」が大事だと言っているのです。「入り口論」を間違えてしまうと、その後の道を全て間違えてしまうのです。

そのような点から憲法の問題を考えると、憲法は占領基本法です。それが「入り口論」です。GHQはハーグ陸戦条約を違反して、主権のない我が国に押し付けたのが、日本国憲法と称する占領基本法です。これが本質です。

憲法の問題はそこから考えないと全て間違えてしまいます。そのことを議論しないで、日本国憲法について議論しても意味がありません。根本を間違えているのです。その根本を突き詰めていくために、テーマを出して「皆さん、どのように考えていきますか?」ということです。

「占領基本法ではない」と言うならば、そのように言えばよいのです。「これは日本人がつくった立派な憲法なのだ」でもよいのです。その議論は素通りです。議論はしないのです。安倍晋三は議論をしないで「憲法改正」と言うのです。そのような考え方では議論できません。だから変だなと僕は思っているのです。これでは議論はできません。

僕のコメント欄にフリーメイソンやユダヤなど載せてきて、「変だな」と思っていたのです。「今はここに問題点があるのだ」と言っているのです。

僕のテーマはいくつもありません。まず、「朝鮮は日本の植民地であったのか?」これが一番大きな議論の根本です。韓国は「植民地だった」と言っているのです。

「朝鮮の女も日本軍にさらわれて、従軍慰安婦にされた。徴用工にされたのだ。朝鮮人の字を奪い、苗字も奪われたのだ」と言うのです。根本をたどっていくと、原因は「植民地にされた」ということです。

「朝鮮は植民地だったのかどうか?」という理論は、徹底的に議論しなければいけません。そこにはいきません。だから問題の本質がみえてこないのです。問題の本質は「朝鮮は植民地だったのかどうか?」ということです。

朝鮮人が日本の新橋や新宿で土地を持っていますが、これは買ったのでしょうか? 買うわけがありません。朝鮮人がなぜ日本で金持ちになったのでしょうか? それは日本人の物を奪ったからです。日本人をぶっ殺して土地を占領したのです。日本の土地の一つも買っていません。

吉祥寺の駅前もそうです。オンボロ長屋の呑兵衛横丁がありますが、あれも朝鮮人が占領した土地です。権利関係が複雑で誰の土地なのかもわかりません。「ここは俺の土地だ!」と朝鮮人が言うと、他の朝鮮人が来て「ここは俺の土地だ!」といいますから、争いになってしまうのです。

「それは俺の物だ!」と争いになるので、権利関係がグチャグチャになって誰の土地かわかりません。そのようなことはきちんと論じなければいけません。朝鮮人はなぜ駅前の一等地をもっているのでしょうか? これは、大問題です。そのような問題の本質に入れません。問題の核心に迫ると、朝鮮人はすぐにすり替えて他の問題を出してくるのです。

日本人の公務員の中にも在日朝鮮人が大勢いますが、これは本質において間違えています。日本国憲法では、第15条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」と書いてあります。

それから、生活保護法(せいかつほごほう、昭和2554日法律第144号)は、生活保護について規定した日本の法律です。社会福祉六法の1つです。

生活保護法の目的は、「日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」(第1条)とされています。

両方とも「国民」と書いてあるのに、どうして外国人が公務員になったり、外国人に生活保護を受けさせるのでしょうか? 

それを追及していくと、今度は「人権問題だ!」とすり替えてくるので、問題の本質が掘れません。この問題を解決できないようにしているのです。

プー小室の問題もそうです。「何が問題の本質なのか?」ということが、みなわかっていません。「平民が皇女に結婚を申し込んだから悪いのか?」「母親がお金を借りているから悪いのか?」、そうではありません。この問題は簡単です。

これは、権威ある皇室に1万円もないプー小室が土足で入り込んできて、皇室会議の承諾を得る前に皇女を犯してしまった事件です。それで乞食男が眞子さまを物にしてしまったのです。ここに問題の本質があるのです。

権威ある皇室に土足で踏みにじって、皇族の許可も得ていません。本当に真面目な青年であれば「眞子さまをお嫁にください」と言います。それから調査があって「貴方は皇室にふさわしい人です」と言われます。

プー小室は土足で入ってきて、皇室の許可も得ないで、気が付いたらもう皇女をやってしまっていたという事件です。この図々しいやり方は、「子供をつくれば女は逃げない」という朝鮮人独特のやり方です。そこに問題の本質があります。これを論議しなければいけません。

そんな野郎が皇族になり、天皇になることがあり得るのでしょうか? 絶対にあり得ません。みんなプー小室の問題の本質が見えていません。そこに問題があるのです。このように言えば、プー小室の問題はスッキリします。(②に続く)

 

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

 

『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137