オウムの死刑が始まった! ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 オウム事件については今でもいろいろな謎があります。全容は解明されていません。リチャード・コシミズ氏は「第二のオウム事件が存在する」と言っていましたが、麻原彰晃の処刑によってその話はなくなりました。「麻原彰晃がいる拘置所を狙って、奪回して武装蜂起する」ということを言っていましたが、これもなくなったと思ってよいのです。

まだ多くの問題点があります。まず、一つの問題点は、オウム真理教が選挙に出たときに、25人全員が落選しました。

 7月6日は、オウム真理教の特集が報道されていましたが、阿含宗の話が報道されていませんでした。松本智津夫(麻原彰晃)は最初、阿含宗に入信したのです。そこで早川と知り合ったのです。それから、オウム神仙の会が出来たのです。阿含宗で金の集め方、宗教儀式を学んだのに違いありません。

 阿含宗くらいインチキな宗教はありません。何故かというと、阿含宗は「釈尊の悟りはアーガマにあるのだ」と言います。「アーガマ」とは、阿含経ということです。阿含宗では、「アーガマ以外は釈尊の教えではない。釈尊が説いたのは、アーガマ経典だけである」と言うのです。

 教祖の桐山靖雄の格好を見ると、山伏の格好をしています。阿含経は火を使います。「釈尊の教えはアーガマだけだ」と言いながら、火を使い真言密教を取り入れているのです。格好は山伏です。阿含宗の教えによると、真言密教も山伏も出てきません。

 桐山靖雄は山伏の格好をして「阿含の火渡り」をやっています。阿含宗に松本智津夫が入信したということが重要なテーマです。

 それから、「オウム神仙の会」をつくり、ヨーガを中心にしたけれども、実は阿含宗の教えが、たっぷり入っているのです。そのクセ「仏教団体だ」というのですが、釈尊を敬っていません。オウム真理教はシバ神を拝んでいたのです。滅茶苦茶です。

 オウム真理教になり、麻原彰晃は図に乗って、全国区から25名選挙に出したのです。供託金は一人300万円くらいかかりますから、1億円近く吹っ飛んでしまいます。「教団の金庫は、この時点でカラになった」と言っていたのです。

 オウム真理教は、選挙でお金を使い果たしてお金がなくなってしまったのです。麻原彰晃は選挙で勝って、悠々と天下取りに出ようと思ったのですが、誰も当選しなかったのです。

 次に出てきたのが、「陰謀論」です。「これは操作された選挙に違いない。本当は、我々は当選していたのに、票のすり替えが行われたのに違いない」と言ったのです。当選しないと、必ずそのようなウソをつくのです。

 オウム真理教は選挙でお金を使い果たしてなくなってしまったのですが、それから2年も経つと大教団になっているのです。その時に村井がインタビューされて「教団はいくらお金をもっていますか?」と聞かれて「2千億円持っている」と言っていたのです。

 オウム真理教は選挙で敗北して、お金が一銭もなくなったのに、空白の時間に2千億円というお金がどこから出てきたのでしょうか? 村井は口が軽くペラペラとしゃべってしまう男だったのです。

 このお金を出した奴がいるのです。ここに黒幕がいるのです。誰が2千億円を出したのでしょうか? これは推測ですが、創価学会が1000億円、統一教会が1000億円出したのかもしれません。

 オウムを利用しようとする連中が、ワンサと出てきたのです。幸福の科学も同じです。西荻窪の2階の一間に50人くらい集めてやっていた宗教団体です。それからアッという間に紀尾井町の国会の前に一月の家賃が5千万円のビルに入ったのです。何故、そんなことができるのでしょうか? 

 幸福の科学は、アパート宗教教団だったのに、いきなり5千万円の家賃の高層ビルに入ったのです。これは疑問です。それから幸福の科学の道場を全国に建てたのです。このお金は何処から出ているのでしょうか? このお金の流れは明らかにおかしいのです。

 それから、顕正会があります。顕正会も全国に会館を150件くらいもっています。何処から金儲けをしているのでしょうか? 信者から会費をもらっているだけでは、そんな会館を建てることはできません。何処からお金が入ってきたのでしょうか? 顕正会は「100万人が終わったので、200万人の結集をする」と言っています。何故、こんなにお金が入ってくるのでしょうか?

 これがカギなのです。「誰が何の目的でお金を入れたのか?」ということが、問題点です。石原慎太郎、朝堂院大覚先生も絡んでいると言われています。個人から1億円や2億円集めても2千億円にはなりません。もっと巨大なお金で考えられるのは、北朝鮮のパチンコマネーです。

 それと同時に名前も出ていない宗教団体がガサッとお金を出しているのかもしれません。それで急速に教団が大きくなり、サリンをつくり、上九一色村に建物を買い、広大な施設を造ったのです。

現在、オウムから脱会したアレフも、100ヶ所くらい宗教施設があります。信者は千人くらいしかいません。アレフの建物を建てた人がいるのです。

 上祐 史浩はアレフを止めて、宗教団体ひかりの輪をつくったのです。不思議な流れです。

 僕はその頃、創価学会の大幹部の梅沢登四男と付き合っていたのです。梅沢登四男は、創価学会法務部の人間です。法務部は弁護士を養成しているところですから、弁護士崩れを集めていたのです。梅沢登四男の前任者が、山崎正友です。これを頭にして創価学会は邪悪な活動をやってきたのです。山崎正友が辞めて、梅沢登四男が後任でやってきたのです。

 梅沢登四男は、僕のところに偵察に来ていたのです。定期的にやってきて、「創価学会のこんな資料がありました!」と持ってきたのです。「梅ちゃん、たいしたものだね。そんなボロイ格好をして、反学会の組織をみんな壊して周っているのかい? 凄い人材だな。学会は凄い人材がいるのだな」と言ったのです。僕がスパッと当てるから、梅沢登四男も恐れをなしていたのです。

梅沢登四男は、乞食のような恰好をしてくるのです。紙袋をブラ下げて、汚い格好をして、草履をはいて「中杉先生、僕は学会のおかげで乞食になってしまったんですよー」と言ってくるのです。梅沢登四男は、歯が抜けていて、ボロを着て乞食のような恰好で来るので、みんなそれで信用してしまうのです。

学会の悪口の資料を紙袋に沢山もって、「学会はこんなに悪いのです」と言うのです。それが定期的に来るので、そのような意味で付き合っていたのです。

 梅沢登四男は、ある日「僕はオウムと関係があるんです」と言うので、僕が「創価学会とオウムは何の関係もないだろう?」と聞くと、梅沢登四男は、「ヘッヘッヘ・・・」と笑うのです。「中杉さん、オウムの大幹部と会いますか?」と言うので「誰が来るのだ? 上祐 史浩ですか?」と聞くと「上祐 史浩ではないけれども、経理をやっている柴田という者です。そいつを紹介してもいいですよ。連れてきます」と言うので、「本当に連れてくるの?」と聞いたのです。

 それから何日か経って、柴田が本当に僕の事務所に来たのです。話をしたのですが、合致する点がないので、そのまま帰っていったのです。(②に続く)

 

 

■阿含宗(あごんしゅう)

阿含宗は、桐山靖雄(きりやませいゆう、本名:堤 眞壽雄(つつみ ますお、真寿雄)により1978年(昭和53年)48日に創設された仏教系の新宗教である。

1948年頃に桐山靖雄が横浜生麦に創設した観音慈恵会を前身とする。 阿含宗の名称である阿含(あごん)は、釈迦とその弟子たちの教法を伝える唯一の経典とされる『阿含経』(アーマガ)を依経とするところから名付けられた。

 

早川は元統一教会の信者だったが、阿含宗に入信していた。
早川が麻原と初めて会ったのが、阿含宗の信者時代。
麻原が阿含宗を辞めると、早川も後を追うように退会。麻原が「神仙の会」を結成すると早川も入会し、87年に同会が「オウム」と改称した時に、早川も妻と共に出家し、麻原の側近になっている。

 

■早川 紀代秀(はやかわ きよひで、1947年7月14日―2018年7月6日)

オウム真理教幹部。ホーリーネームはティローパ。教団内でのステージは正悟師で、省庁制が採用された後は建設省大臣だった。麻原の信頼が厚く、裏のトップといわれた。 

兵庫県川辺郡東谷村(現・川西市)に生まれる。その後大阪府堺市に転居し、大阪府立三国丘高等学校を経て神戸大学農学部に進学後、大阪府立大学大学院では緑地計画工学を専攻。学生運動にも参加し公安にマークされていた。大学院修了後、鴻池組に勤務。197911月結婚。1980年に退職する。

社会人時代から、『幻魔大戦』などのSFや超常現象に次第に傾倒していき、1984年、阿含宗に入信。その後麻原の著作に共感を覚え、1986年4月にオウム神仙の会に入会し、1987年11月1日に出家。7月6日にオウム真理教の麻原彰晃をはじめとする7人死刑。

 

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