朝鮮人の鮮害(せんがい)について ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 昨日の僕のブログのコメント欄の書きこみ、よかったですね。

「偉人の言葉」

伊藤博文 『嘘つき朝鮮人とは関わってはならない』

吉田松蔭 『朝鮮人の意識改革は不可能』

夏目漱石 『余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、善かつたと思つた』

新井白石 『朝鮮人は、己に都合が悪くなると平気で嘘をつく。』

福沢諭吉 『この世界に救いようのないどうしようもない民族がいる。朝鮮人だ』

新渡戸稲造 『朝鮮亡国の原因は、朝鮮民族という人間にある』

本田宗一郎 『韓国人と関わるな』

 非常によく調べています。書き込みをしてくれてありがとう。昔から朝鮮人は嫌われていたのです。もっと言うと、朝鮮人問題は今始まったことではありません。朝鮮通信使の時代から始まっています。その前は元寇から始まっています。元寇は最近の教科書では教えないらしいのですが、高麗が蒙古の手下となって日本に攻めてきたのです。

 そのきっかけは、高麗の王様が「日本を攻めましょう!」と蒙古人を焚きつけたのです。「わかった。そんなに日本はよいのか。では、お前達が船を造って日本を攻めろ!」と言われたのです。蒙古人は草原の民ですから船などできません。

 「高麗人が考えたのだから、お前達で船をつくれ。遠征軍はお前達でつくれ」と言われて、思惑が外れたのです。それで文永11年(1274年)、高麗軍が日本に攻めてきたのです。高麗軍は日本で残虐なことをやったのです。壱岐対馬の住民は、男は皆殺しです。女は全員強姦です。ババアも娘もありません。女は全員強姦です。強姦したあとで殺したのですから、男も女も皆殺しにしたのです。

 その時、対馬には宗氏の武士が400人いて、徹底的に戦ったのですが、高麗軍は約1万人の軍勢ですから敵うわけがありません。全員皆殺しになったのが、対馬の歴史です。殺した対馬の人間の手に穴を開けて、手に紐を通して、船の舳先にぶら下げたのです。

 高麗の軍船が進むと死体が魚の干物ようにぶら下がっていて、ブランブランと揺れるのです。恐ろしい光景です。それでドラで太鼓を叩いて、「ドンチャンドンチャン」とやってきたのです。1回目は博多にはよらず、途中で引き上げたのです。

 しょうこりもせず、弘安4年(1281年)に高麗軍が攻めてきます。今度は、南宋軍も入れて、14万人の軍勢です。14万人が日本に攻めてきて、海がまっ黒になってしまったのです。彼らは上陸するために、鍬や鍬を持ち、家畜も連れてきたのです。永住するつもりだったのです。蒙古軍に対して鎌倉武士は壮絶な戦いをやったのです。鎌倉武士は勇敢であったので、小舟に乗って、夜になると蒙古船に奇襲攻撃をかけたのです。この戦は神風が吹いて14万人の軍勢が海に沈みました。これが結末です。

 江戸時代に入ると、朝鮮通信使が始まります。これは秀吉が関係しています。秀吉はシナ大陸を取ろうとしたのですが、朝鮮は通り道です。朝鮮人は「通させない」と抵抗してきたのです。だから、みんなやっつけたのです。

 江戸時代になると李氏朝鮮は、日本の怖さがわかっているので、日本に攻めてこられたら大変なので、将軍家にお目通りをしてご機嫌をうかがったのです。それが朝鮮通信使(1607年~1811年)です。将軍が変わると、朝鮮通信使がやってくるのです。約204年間の間に12回行われたのです。だいたい、400名、多いときで1200名です。大変な人数です。

 朝鮮通信使は行儀が悪く、鶏をかっぱらって食ったり、女の子は強姦したのです。それが実態なのに、NHKの放送では、「日本人は朝鮮通信使が来るのを待ちわびていた」と言うのです。「朝鮮通信使が来ると「先生、教えてください」と言って、字を教わった」とNHKで放送しているのです。

 事実は違います。日本は大変な迷惑だったのです。「将軍が変わったので、朝鮮通信使がお祝いに来る」というのですから、断るわけにもいきません。どうして困ったのかというと、1千人も泊まる宿は日本にはありません。

 大名行列の場所は殿様を泊める場所ですから、そんなところに不潔な朝鮮人は泊められません。村を抑えて、お寺を使ったのです。お寺でも千名も泊まれません。民家にも泊まって、一つの村を占領するようなことになってしまうのです。ご飯も用意しなければいけませんから、大迷惑です。朝鮮通信使は、臭くて汚くてドロボウもするから毛嫌いされたのです。

 小名木善行さんよると、この連中が朝一斉に野グソをします。朝鮮は便所がありません。日本の街道で、1200名もそろって、朝ウンコするのです。朝鮮人にとっては当たり前です。大変な迷惑です。朝鮮人がケツを一斉に出して、ブリブリとウンコをするのです。朝鮮人が泊まった後は、道がクソまみれになってしまうのです。しかもかっぱらいをやって、鶏を食ってしまったのです。このようなかかわりがあったのです。

朝鮮通信使が来たのは、日本が怖いからです。その頃から「朝鮮人は野蛮人だな」と、日本人はみんな思っていたのです。朝鮮人は下卑ている連中です。だいたい風呂に入りません。風呂に入る習慣がないのです。色のついた着物もありません。

 これが朝鮮と日本の関係です。それで明治になると、西郷隆盛は「征韓論」を唱えたのです。何故、征韓論なのかというと、朝鮮は日本に無礼な態度を示してくるのです。日本は近代化して幕府を廃止して、明治政府ができました。李氏朝鮮に書簡を出すと「ふざけるな、そんなものは受け取れるか!」と突っ返してきたのです。それで日本は2~3回書簡を送ったのです。

 朝鮮がどうして受け取らないのかというと、「日本は天皇という言葉を使っている。そんな名前を使うのではない。皇帝はシナの皇帝だけなのだから、天皇などという言葉を使うな」と押し返してきたのです。

 「では、書き直しましょうか」と書き替えてもまだ受け取りません。だから、明治政府は怒ったのです。その当時、一番の脅威はロシアです。北にいるシロクマが日本列島を狙っていたのです。イギリスやアメリカが日本に入ってくる前に、ロシアは対馬を占領したのです。

 ロシアは不凍港が欲しかったのです。冬になるとウラジオストクの港は凍ってしまい使えません。なんとか東に軍港を造りたいと思っていたので、虎視眈々と朝鮮を脅かして狙っていたのです。

 日本は「シナとの関係を切って、朝鮮を独立国にしようではないか」ということで、独立させたのです。これは大変な戦いになり、これが日清戦争(1894年)です。まず、シナと戦って日本が勝ったのです。「朝鮮を独立させる」という条件を出したのです。

そこで、1897年に大韓帝国という独立した国が始めて出来てきたのです。それが日本と朝鮮の付き合いの始まりです。大韓帝国の初代皇帝は李高宗です。ところが、国内で内乱が起こり、殺し合って、朝鮮人は全然まとまりません。(②へ続く)

 

 

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