歴史のない国 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 南も北も朝鮮には歴史がありません。戦後、北朝鮮は戦前の日本の真似をして、韓国は戦後の日本を真似したと言われています。いずれにしても、歴史というものがありません。あるはずがありません。日本は天皇をいただいて、2800年の歴史をもった国です。本当に希なことなのです。世界のどこにもそんな国はありません。

 天皇の存在が日本の歴史の連続性を示しているのです。2800年の昔から今日までつながっているのです。神代の時代から日本は同じ民族が伝わってきているのです。

 日本の歴史の中には帰化人が大勢入っていることも事実です。今来人(いまきびと)・古来人(こぞきびと)として、朝鮮半島から、シナ大陸からも来ています。始皇帝の子孫と称する秦一族は10県以上から徒党を組んで日本に来て、朝廷が「あの土地へ行け」と指示したのです。

 朝鮮半島からも結構来ているのです。どこかの段階で完全に日本人と同化しているのです。朝鮮半島から渡ってきたと言っても民族全体が渡ってきたわけではありません。日本の国に溶け込んでいるのです。

 外国人と称する朝鮮もシナもそれぞれ技術はもっていたのです。はたを織る技術などをもっていたので、朝廷は渡来人を結構重要視したのです。これが日本人になっていったのです。太秦に住み着いた秦一族は始皇帝の子孫と称しています。しかし、これらの人は完全に日本人になっているから、日本人です。

 最初は一枚岩の日本だったのに、遣唐使を派遣する頃から渡来人が入ってきたのです。それは一人や二人ではありません。何万人という単位で渡ってきて、朝廷から土地をもらい土着して日本人になったのです。この子孫の遺伝子を調べればDNAが出てきます。元来の日本人ではないということがわかってきます。

 戦前の天才、「東洋の論客」と言われた大川周明は「北の部族は野蛮人が多い」と言っています。突厥やモンゴル、女真族は北に住んでいます。北の民族は戦争で食っているのです。だから、必ず攻めてくるのです。万里の長城も北からの侵入を防ぐために造ったのです。

 南の部族は米作をしているから食べていけるので、人を攻めることはありません。北は攻めてかっぱらわないと食えないのです。

 大川周明は、「アイヌ民族は北方民族である。南方から来た大和民族は残虐非道なるアイヌ人と混血することによって、北方民族の残虐性を持ち、平和の民族性を持った日本人が合体して出来上がった」と言っているのです。

 これは残念ですが、「東洋の論客」と言われた大川周明の間違っている点です。これは、トンチンカンな物の見方です。アイヌ人は残酷ではありません。非常に大人しい民族です。大川周明は「アイヌ人と朝鮮半島から渡ってきた民族と衝突した」と思いたいのです。アイヌ人は日本人と同じです。アイヌ語は、言ってみれば方言みたいなものです。大和言葉とアイヌ語のどちらが方言なのかは知りませんが、アイヌ人と日本人は同じ民族です。

 わけのわからない地名はアイヌ語です。北海道だけではありません。東北にも九州にもアイヌ語が入っているのです。

 DNAから言うと、アイヌ人と日本人は一体です。アイヌ人は一種のコーカサスです。白人の血は入っているのですから、アイヌの女性はキレイです。すごい美人です。目が大きくて、色が白くてスタイルがよくて美人です。

 「日本人に白人の遺伝子が入っているな」と思うのは当然のことです。アイヌ人と大和人は戦争して相手を征服したのではなく、溶け込んでいったのです。最後まで溶け残ったのが蝦夷です。大部分は溶け込んで一体のものになってしまったというのが真相です。今は遺伝子学で日本人のDNAがわかりますから、大川周明でも間違いがあるとわかります。

 要するに、日本は天皇を中心にした神の国です。帝はそのように思っていたのですが、古代には国家はまだ出来ていなかったのです。各土地を豪族が支配していたのです。豪族の一番大きな勢力が天皇であり、「天皇が国家の中心ではなかった」というのです。

 豪族は群雄割拠の大名のようなものです。豪族がいて、領民を治めていたのです。その一番大きなものが天皇であったのです。そのような解釈をしています。

 古事記にも「今のうちに書いておかなければいけない各地方に伝説が残っている。その伝説を廃れないうちに書いておかなければいけない」というので、「一書にいわく」と出てくるのです。「この伝説ではこうです」という意味で、「一書にいわく」と言っているのです。

 そのように言われるとわかるのです。古代大和連合国家の中心が天皇だったのです。その天皇が国家を造ったのです。国家というものはまだありません。豪族が勝手に税金を取って「庶民は自分たちのものだ」と考えていたのですから、好きなだけ税金を取って使っていたのです。

 天皇は「それではいけない」と考えて、「なとかして一つの国家を造りたい」と考えていたのです。そこで目をつけたのが、シナの都です。シナの都では、様々な制度ができていて、国家というものができていたのです。

 日本は国家もどきのものであったけれども国家ではありません。国家とは、律令制度です。法律をつくって法律から命令を出して、一体が動き、初めて国家といえるのです。豪族が勝手に税金を取っていたら国家ではありません。

 それを学びたくて、唐や長安の都に遣唐使・遣隋使を派遣して学んだのです。ところが当時の中国の思想の中心になっているものは儒教です。儒教を見たときに日本人はビックリしたのです。

 儒教とは易姓革命です。我が国には易姓革命はありません。儒教とは道徳を説いているように見えますが、一番根本のところが我が国と一致しません。それが易姓革命です。天は「この人を王様にする」と思うと、その人に白羽の矢を当てます。

 そして、「その人が統治をするのだ」という考え方です。それを「徳」といいます。「お前、天主をやれ」と言われるのは、その王様に徳があるのです。徳がなくなると、悪いことばかりやるので、「お前はもう終わりだ」と言われて、次の人間を探して「ここに徳が移る」というのです。その人に天が命令を下すのです。それを易姓革命というのです。

 天が自ら命令してふさわしい人間を選んでいくのです。儒教の根本はそこにあるのです。これは我が国の国柄とは合いません。そのように考えたのです。しかし、よいことを言っています。「このようにすれば天下が治まる」「このようにすれば家がよく治まる」という儒教の教えがあります。これは、なかなか素晴らしいのです。(②に続く)

 

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