山葡萄原人が朝鮮人の先祖である ① | 中杉 弘の徒然日記

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 文大統領は「日韓問題は国民の指示を得ないで前大統領がやったことである。これは後で戻す」と言ったのです。それに対して日本では喧々諤々(けんけんがくがく)です。何故、韓国人はこんなに約束を守らないのでしょうか? 

 韓国との約束は守られたためしがありません。よく考えてみてください。北朝鮮の拉致問題もそうです。「1年以内に帰す」という約束も全て破られています。みんな約束を破られています。「原爆も止める。その変わり軽水炉もガソリンも提供しましょう」と言われて、提供されながら、実行していません。

 韓国もそうです。約束を守ったためしがありません。この件だけで考えても、朝鮮人に対する考えが甘いのです。これは僕が指摘していることですが、誰も指摘していません。もう僕の読者の方はわかっていると思いますが、朝鮮人は現代人(ホモ・サピエンス)ではありません。

 ヒト科の発展の形態を見ると言語は途中からできてきたのです。猿がいて、猿人がいて、原人が出てきて、ホモ・サピエンスが出てきます。どこかの段階で言葉をもったのです。ホモ・サピエンスは完全に言葉を使いこなしますが、ホモ・サピエンスの前に出てきた原人には言葉がなかったのです。

 北朝鮮人の歴史教科書では、「我らは人間ではない。人類の出てくる前に出てきた原人であり、それは山葡萄原人というのだ。人間よりも発達しているのだ」と言っているのです。

 それを逆にとれば「朝鮮人は現代人ではない」と言っているのです。わかりました。その話をしましょう。人間に似ているけれども、猿も、ゴリラも、山男も、雪男も、言葉はありません。言葉は無いけれども記号はあります。「アー(それ)」「ギャー(こっちへよこせ」とかいうのはありますが、言語はないのです。

 ホモ・サピエンスはすべからく言語を持ちます。ホモ・サピエンスの前の亜人は言語がありません。言語がないということは、まず第一番に思想がありません。思想は言語で考えることですから、言語がないと物を考えることはできません。

 言語が無いとお互いに仲良くできません。言語が無いと親子でも母子相姦になってしまいます。「母子相姦はいけないことだ」と言うのは、現代人が言葉をもって、文章で言うから知っているだけのことであり、言語がない民族にとって近親相姦は当たり前です。

 人類も最初はアダムとイブだけです。2人が子供を産んで、それと近親相姦をして人間が増えていったのです。言語が無いとそうなってしまいます。

 これが朝鮮人の本質です。言語はありません。しかし、記号はありました。「アー」「ウー」「ギャー」という記号はありますが、思想はありません。これが朝鮮人の本質で、全体につながる構図です。

 今の朝鮮人の中には、漢人が朝鮮半島に来て朝鮮人になった場合もあります。基本的には朝鮮人と言うならば、山葡萄原人です。山葡萄原人には思想がありません。

山葡萄原人と混血したエベンキ人は、人間だから少しの言葉はあったのです。難しい言葉を言う必要はありません。言葉は少しあったのです。このエベンキ人と山葡萄原人は混血したので、少し言葉が増えたのです。今まで言葉を持たなかった山葡萄はエベンキ人と混血することによって、言葉が少ししゃべれるようになったのです。

 しかし、ホモ・サピエンスが持っている「契約」という概念はありません。「契約する、約束する、協力する、お互いに守り合う」、というような言葉はありません。彼らの頭の中にはこのような概念が全然ありません。「契約」「約束」など、言葉だけ知っているのです。

 もともとそんな言葉はないのです。「約束は守らなければいけない」と文章は続いています。山葡萄原人には文章がないので、「約束」という言葉だけ知っているのです。だから契約書に簡単にサインしても契約は守りません。「契約書、それが何なの?これはやらないよ」ということになってしまうのです。

 ロシアもそうです。山葡萄原人が少しは入っています。だから日ソ不可侵条約など平気で破ってしまうのです。ロシア人も「約束は守らなければいけない」という概念がないのです。結婚も一つの約束事です。

 キリスト教では牧師が出てきて「貴方はこの奥さんを永遠の奥さんとして大事にしますか?」と聞かれて指輪をお互いにはめます。それが約束です。牧師の言葉は神との約束です。奥さんに対して「永遠の愛を誓います」と言うのですから、約束です。

 山葡萄原人には、そんな約束はありません。彼らは結婚式のまねごとをしますが、それは女を奴隷する儀式です。原人は現代人とは違うのです。この違いをいくら言っても山葡萄原人にはわかりません。ここにもう一つの特徴があります。

 朝鮮人に「契約とはこのようなものですから、守らなければいけません」といいくら言ってもわかりません。ここに特徴があります。「契約は守るものですよ」と言っても、朝鮮人には絶対にわかりません。それが染み込んでいるのです。

 朝鮮人は「契約は破るためにする。お互いに戦争を一時的に止めましょう」と油断させて裏に回ってぶっ殺すのです。これは「山葡萄原人に原因がある」と見抜いたのは僕だけです。するとわかるでしょう。

 「朝鮮人は約束をしない。ウソを言う」というのは、日本人が言っていることであり、朝鮮人にはウソと本当の区別がありません。山葡萄原人には言語がなかったのです。「ウソとはどのようなものか、現実とはどのようなものか?」という区別がないのです。

 朝鮮人が想像したことは現実になってしまうのです。想像したこと、考えたこと、現実に起きて来るリアリティの区別がわからないのです。それが彼らの言うところの「ウソ」なのです。

 さらに朝鮮人には残虐性があります。どこから出てきているのかというと、山葡萄原人です。山葡萄原人は悪魔の洞窟門に住んでいて、その洞窟の前を通る人間を引きずり込み食っていたのです。捕まえたものは何でも食ってしまうのですから、残酷という概念もありません。日本人には「残酷」という概念があります。

山葡萄原人はそこにいた人間を殺してしまうと、それはよいも悪いもありません。広島で2人を刺して1人が死亡した事件がありました。「人間を殺してはいけない」ということはありません。殺したいから殺すのです。それを残虐とも思いません。

 「俺はこいつを殺したいから殺すのだ。ああ、スッキリした」ということです。そこに死体があれば食ってしまうのです。それはそうです。肉を食うのが当たり前です。肉には区別はありません。人間の肉も、牛や豚の肉も、肉そのものに区別はありません。「何の違いがあるのだ?」このような考えです。(②に続く)

 

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