妄想と現実の区別がつかない朝鮮人 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 トランプさんの東南アジアをめぐった旅は終わりました。この旅の目的は何かというと、日米の絆を確認するということです。もう一つは韓国をどのように対応するのかということです。日本との同盟を確約した上で韓国へ行き、トランプは自分の目で確かめると「どうも北に傾いているな。これは国交断絶だ」という決意を固めたのだと思います。

 韓国の晩餐会のお粗末な料理の写真を見たでしょうか? 定食みたいな料理です。あれが大統領を招く晩餐会のメニューでしょうか? 馬鹿にしているのではないでしょうか? そこで自称元従軍慰安婦がトランプに抱きついているのです。そして、文在寅がトランプに近寄ってニンニク臭い息を近づけて「金を貸してくれ」と言うのです。そんな晩餐会があるのでしょうか? 

 韓国の晩餐会の食べ物を見ただけでキチガイだと思いました。よく見ると文在寅の目つきも異常です。普通の人間ではありません。

 トランプは続いて中国へ行きました。中国には日米の同盟を見せつけておいて、習近平に「どうするのだ? 文句があるならば日米で対応するぞ」ということです。盛んに「日本をなめるんじゃないぞ。日本は武士の国だぞ。日本をなめたら国家が吹っ飛ぶぞ。そのくらい日本は実力をもっている」とアメリカが言っているのです。

 これは脅かしです。1万キロ以上離れたアメリカが北朝鮮をやっつけるための準備をするのもおかしな話です。本来ならば、日本がやるべきことです。アメリカは日本を動けないように縛っておいたから、その間に北朝鮮がどんどん膨張していったのです。

 アメリカはそれを言っているのです。「日本を解禁する。何でも自由にしていいようにする。原爆を持とうが全て日本の自由である」と言いだしたのです。すごいことです。これで中国を脅かして「協力しろ」と言ったのです。

 トランプはニコニコ笑って、脅すのです。「北朝鮮とも友達になれるかもしれない」と言っています。そんな話はウソです。外交辞令です。油断させておいてやるのです。青山繁晴さんは、「完全にアメリカはやります。これは避けられない」と言っています。

 何故、朝鮮人はこんなに追い詰められるまでやってしまうのでしょう。朝鮮人は馬鹿ですね。大恩ある日本に喧嘩を売って、在日朝鮮人も大事にしてあげているのに、それにもかかわらず恩を仇で返してくるのです。

 韓国人は従軍慰安婦がウソだとバレると、今度は徴用工問題です。その次は従軍看護婦です。いろんな問題をどんどん出してくるのです。徴用工も従軍看護婦も給料で働いていたのです。何の問題もありませんが、日本も悪いのです。一歩譲ったからです。植民地支配を認めてしまったから、何度も韓国に脅かされることになってしまったのです。

 それを認めさせたのはアメリカです。日本政府は「日本と韓国は合弁したのである。植民地支配ではない」と言い張ればよかったのです。韓国には「お前達は戦争に負けても日本なのだ。独立したいならば、手切れ金を払いなさい」と言えばよかったのです。それを「すいませんでした」と日本政府が謝ってしまったのです。挙句の果ては賠償金まで払って朝鮮人のウソを認めたからそうなってしまったのです。

 問題は、どうして朝鮮人はこんなに馬鹿なのでしょう。これを考えてみると、一番の問題点は妄想と現実の区別がつかないのです。例えば、インド人は暑いから働きません。気温が45度くらいだと暑くて働けません。木陰で休み、うとうとします。そのような生活を送っているのです。暑いので勤勉に働くことができません。

 木の下に座って、うとうとしていると妄想がわいてきます。妄想の世界に入ります。ここがインド人の面白いところで、「妄想のほうが現実なのだ。自分が今働いている姿は夢なのだ」という解釈です。このように考えているのです。

 空想の世界だと空も飛べるし、海も潜れるし、宇宙にもいけるし、高い山から飛び降りることもできるし、何でもできるのです。仏教の経典の多くは、この妄想が主体になって書かれています。

 観音経で書かれていることは、これと同じです。これがわからないと仏典の意味はわかりません。「空を自在に飛べる。崖から突き落とされても死なない。火の中に入っても焼けない」と、書かれているのです。空想の世界では火の中でもどこでも入っていけます。経典は、それと現実をすり替えて書かれている面があります。

それと同じで朝鮮人は唯一生き残った現代人に非ざる亜人です。亜人はどのように生活していたのでしょう。ホモ・サピエンス以前のヒト科は滅ぼされてしまい、山葡萄原人だけ生き残ってきたのです。

 クロマニヨン原人・北京原人・ジャワ原人、様々な原人がいたのです。人に近い生き物がいたのですが、この連中と現代人の違いはハッキリしていません。まず、原人は言葉をしゃべったのでしょうか? しゃべった原人もいれば、しゃべらなかった原人もいたと思います。言葉そのものがなかったのではないかと思います。猿に言葉はありません。

 「道具をつくったかどうかが、ホモ・サピエンスと原人の違いだ」と言われていますが、そんなことはありません。クロマニヨン原人は石器を使い、死体を埋葬した形跡もあります。「原人には言葉があったのだろうか?」ということです。それを学者は調べなければいけません。

 原人には文献がないのですから、原人がしゃべったかどうかわかりません。永久にわかりません。原人は言葉をしゃべれなかったのではないかと思います。ごく少数の原人が言葉らしきものをしゃべったのではないかと思います。

 「あれ」「それ」「腹減った」その程度の言葉はしゃべったのだろうけれども、難しい話はありません。言葉がないと夢も妄想もありません。人間は言葉で妄想します。「俺は空を飛んでいる」と妄想するのですから、言葉がないと妄想することはできません。

 すると、言葉がないと現実ではないのです。「ああ、疲れた」「ああ、気持ちがいいな」これは言葉です。「太陽は暑いな」「あそこに美味しそうなものがある」これも言葉です。言葉がないと「あ~あ、う~う、」というだけです。

 言葉があって人間は「妄想する」ので、原人は「妄想する」ということは理解できません。ということは原人には現実と妄想の区別がないということです。言葉がないのです。「これは現実、これは空想」という区別もありません。だから頭の中は、ごちゃ混ぜになっているのです。妄想と現実の区別がつかないで混然一体となっているのです。それを称して「ウソつき」というのです。

朝鮮人がウソつきだというのは現実と妄想の区別がつかないからです。これは山葡萄原人に源を発しています。人類に最も近い原人です。山葡萄原人の段階でウソつくという体質が出来上がったのではないかと思います。(続く)

 

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