プライムニュースで公明党党首の山口那津男の話を聞いた ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 公明党党首の山口那津男の話を聞いていて、いろいろ気が付いたことがあります。特に憲法論で気が付いたことを述べます。なっちゃんはこう言います。「今の日本国憲法は実に優れた憲法です。基本的人権も、平和第一主義も書かれているので、真に素晴らしい憲法である」と言っています。

 山口那津男の憲法論はこれが主軸です。彼はたいしたもので、東大法学部出身の弁護士です。法律の専門家であることは間違いありません。私など足元にも及ばないということはわかっていますが、どんな優れた勉強をしても間違っていることがあります。入り口を間違えると全て間違えてしまうのです。

 例えば「仏教とは何を説いたものなのか?」ということがわからないとどんなに仏教を習っても仏教はわかりません。入り口を間違えてはいけません。入り口を間違えています。「今の憲法問題の入り口は何か、誰が何のためにつくったのか?」ということが入り口です。

 憲法とは権力者にタガをはめるものであるから、政治家は憲法をつくってはいけません。これは当たり前のことです。「国民が政治家に権力を与えるけれども、この範囲でやりなさい」と言うことです。

 大日本帝国憲法は、天皇が政治家に与えた憲法です。今は象徴天皇になってしまったので、国民が政治家に与えるのが憲法です。ですから政治家が憲法をつくるのはおかしいのです。政治家は自分たちに都合よくつくってやるに決まっています。まず、それがおかしいのです。

 戦前は大日本帝国憲法がありました。それと日本国憲法の連続性に注意して、東大の学者は「連続した憲法だ」と言ったのです。旧帝国憲法を廃止して、日本国憲法ができたと思っていますが、違うのです。連続しているのです。

 確かに原案はGHQが与えたのですが、それを学者たちが統合して「旧帝国憲法の改正手続きに則ってつくったのが現行憲法です」という解釈です。僕もそう習いました。では、商号変更です。三井物産が三井商事に名前を変えても同じ会社です。名前を変更しただけで会社は続いています。

 東大の解釈では、現行憲法を正常であると言うために、明治憲法との連続性を注意したのです。その手続きについては間違いありません。だから、旧帝国憲法が変更されて日本国憲法になったのです。そこには連続性があると言ったのです。これは詭弁です。

 東大の学者はそのようなことを言って「この憲法は正当である。変更したのだから正当だ」と言っているのです。主権の問題を考えると何も連続していません。そのような問題があります。

 憲法は誰に与えられたものでしょうか? 憲法は権力者に対して与えられたものです。与えるのは国民でなければいけません。国民が憲法をつくるのであり、これは議会とは違うものだとすぐにわかります。

 それを表しているのが、「国民投票の2分の1をとらなければ憲法は改正できない」ということです。ところが原案を自民党の政治家がつくっているのです。何を馬鹿なことを言っているのでしょう。全然政治家と違う会をつくってそこで憲法をつくり、それを国民投票にかけて問い、2分の1以上の人が「それでいい」と言えば、それを議会に押し付けるのです。そのような性質です。何でもそうですが、入り口をビシッと考えるのです。

 もう一つの問題は、GHQがどこにでも押し付けられる憲法を日本に押し付けたということです。戦争に負けたすべての国に応用できるように、主語なき条文が先にあるのです。もうつくってあったのです。フィリピンも「この憲法でいこう!」と押し付ければ、フィリピンの憲法になってしまうのです。

 「日本国」と書けば、「日本国憲法」になってしまうのです。原案は同じです。型がつくつてあり、それに「日本国」を入れたのです。その原案は他所の国に押し付けた憲法と同じです。特に日本は強い国だから、慎重にやったのです。目的は一つです。徹底的にアメリカに逆らうことができないようにするために、アメリカが日本に押し付けた憲法であるということは絶対の事実です。これを排斥しなければいけません。

 しかも、時は昭和21年です。21年とは戦争が終わって1年しか経っていません。闇市の時代です。占領軍がジープで走り回り、朝鮮進駐軍が拳銃をぶっ放している時代です。そのときに何が憲法改正なのでしょう。おかしいのです。アメリカがつくって日本に押し付けた憲法です。それを東大の学者は隠そうとして、「帝国憲法が連続しているのだ」とウソをついたのです。しかし、そんなウソは通りません。

 だいたい占領されているときに、軍隊をつくったり、憲法をつくってはいけないのです。国際法でそのようになっています。昭和21年日本は占領中です。占領中の主権は誰にあったのでしょうか? GHQにあったのです。日本に主権はないのです。自分で道を選べないのです。「このような道を行きたい」と言う権利がなかったのです。

 それはGHQが決めることだったのです。主権のない国にどうして憲法ができるのでしょうか? できません。日本が本当に独立したのは、昭和26年のサンフランシスコ講和条約です。始めて独立したのです。そのような単純な事実をキチンとわかっていなければダメなのです。それまでは幽霊のようなもので、日本に憲法はなかったということです。

 「憲法だ」と言っているのは、占領基本法です。アメリカが日本の占領政策を続ける以上、好都合の法が占領基本法です。これは憲法ではありません。日本は昭和26年に独立しました。GHQは日本からいなくなったのです。その時になぜ自民党は憲法改正を力強く打ち出してやらなかったのでしょう。おかしいのです。

 しかも自由民主党は「こんな憲法ではダメだ。なんとしても日本は一人前の自主憲法を持たなければいけない」と言ってきたのです。結党のときにそう言ってきたのです。何故、昭和26年にやらなかったのでしょうか? 

アメリカ人に「何故、こんなヒドイ憲法を押し付けたのか?」と言っても、「昭和26年までの間だろう? サンフランシスコ講和で日本は独立しているのだから、その時に憲法を変えればよかったではないか。何をアメリカのせいにするのだ!」このように言われてしまいます。

 ということは、自由民主党の中に憲法を改正するという意向がなかったのです。自民党は「憲法改正のための自由民主党」と言いながら、「これでいくのだ。そのほうが都合がよい」と思っていたのです。(続く)

 

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