生活名人 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 富(とみ)とは何でしょう。豊(ゆたか)とは一体何でしょう。皆さん、考えたことがありますか? 富とは人間がつくったものです。或は自然界の中に富をみつけるということもあります。キレイな海や、静かな湖、美しい山などがあります。これらは人間がつくったわけではありません。しかし、「あの海は美しい」というのは価値です。この価値を人間がつくったということです。

 ほとんどの富は人間がつくったものが財産です。まず、食べ物は人間がつくった物ですから財産です。食べ物がないと間違いなく人間は死んでしまいます。食べ物はお宝様です。お米、野菜、果物も、みんな大切なお宝様です。人間がつくった作物はすべてお宝だということがわかります。

 様々なお宝があり、もっと一般的な話をすると、自然界と作物だけが富かというとそうではありません。我々が着ている洋服、日本の着物も富です。韓国人にとってはチマチョゴリもお宝様です。生活必需品から始まって、家を含めてすべてお宝様です。材料があって供給されるのですから、材料もお宝様だとわかります。

 これは西洋人のほうがよくわかっています。テレビで見たのですが、スペインは石畳があります。その上を馬車が通るのですが、その石畳の石1個でも「お宝様だ」と考えているのです。我々から見るとお宝に見えませんが、彼らはお宝だと考えるのです。

 1個の石をはめると道路が修理できるのです。修理できるものは、やはりお宝です。それをいかにも大事そうに取り扱うのです。

 まだあります。すべての芸術はお宝様です。絵画・音楽・映画もそうです。それはやはりお宝様です。学問も人間がつくったものですからお宝様です。世の中にはたくさんの学問があります。医学・歴史・哲学・物理学、数学、経済学、すべてお宝様です。宝石のようなお宝様です。そのように考えて学問にぶつかっていけばよいのです。

 「我々人間はお宝様をつくっているのだな」と考えればよいのです。もちろん、電気も、自動車も船もそうです。みんなお宝様です。大事なことは、お宝様は人間がつくっているということです。

 そして、富が偏在すると皆からお宝様がなくなってしまうのです。1%の人間がすべての富を握ってしまうのです。これはよくない社会です。そのように考えて、お金もお宝様の一部にしてしまえばよいのです。お金の価値観は特別なものだと思えばよいのです。特別なものをたくさん持っていても、文化的な富を持っている人にはお金は関係ありません。

 「お前、100億円もっているのか? 俺はそんなことに興味ないんだよ。俺が今興味あるのは美しい絵画なんだよ。ピカソには価値を感じるけれど、お金には価値を感じない」このように思う人もいます。そのような人はお金では支配できません。

 「お金が欲しい」と思っている人には「ざまあみろ、俺は100億円もっているぞ」と言えば興味がわきます。興味がない人にとって「100億円持っている」ということは、何の価値もありません。

 アダルトビデオを見ている人にとってアダルトビデオはお宝様ですが、興味のない人にとってはお宝様ではありません。興味ある人間にとってはお宝様です。

 何が言いたいのかというと「富の偏財を止めなさい」ということが言いたのです。我々は自分なりのお宝を持てばよいのです。お金はもちろんお宝様です。しかし、お金だけではありません。「俺はもっと文化的な富が欲しいのだよ」「教養が欲しい」「知識が欲しい」という人もいます。

 「お金をもらうよりも好きな本を読んで、知識欲を満足させたほうが俺はうれしいのだ」という人もいます。絵画に興味のある人は絵画が富なのですから、絵画に偏財していけばよいのです。

それぞれの価値観があるのだから、それぞれの貴族をつくっていけばよいのです。或は「俺はこの道の貴族になっていくぞ」と思えばよいのです。貴族とは生産者という意味です。お宝をつくるという意味での貴族です。

 大工さんがものすごい家を造れるならば、大工さんは貴族です。普通の人には造れません。宮大工さんはお城や寺や神社を直します。宮大工さんはお宝様です。お城マニアにとって宮大工さんは貴族です。

 音楽の貴族、大工の貴族、左官屋の貴族、踊りの貴族、なんでもあります。その世界において「富を独り占めしてやる」と思えばよいのです。何もなくても自然界を愛でていれば「よい海を見ているな」と心が豊かになってきます。「お金をもらって都会のマンションなどに住んでいるのはとんでもない。俺はこの海がいいのだ。これが俺にとっての最大の宝なのだ」「富士山が見えるこの場所がよいのだ」とそれぞれの立場で考えてくと、大富持ちになれるのです。大富が体現できて、それはお金では買えません。

 そのような仕事をしているのだという誇りをもってやっていけばよいのです。だから、そのような誇りがないとすべて不満になってしまいます。「お金もない、生活保護を受けているけれども食っていけない」となると、血眼になってお金をおいかけます。いくらお金を追いかけてもお金は入ってきません。

 では、開き直って、「貧乏生活こそお宝様だ」と思えばよいのです。そのような考えもあるのです。お金があると目移りがして落ち着いて家になどおれません。お金が無いから家にいるのです。それがお宝様です。

 貧乏人は家で朝から晩までずっとテレビを見ているのです。それも「幸せだな」と思えばよいのです。お宝様です。「俺は名誉もない、お金もない、何もないけれども、こうして自由で拘束されずに生きていくことができる。生活保護を受けているのだから、半分は国家公務員になって生活できているから、病気になっても無料で病院に行けるし、幸せだな、なあ母さん」と言って生活していればよいのです。

 富を分散していくのです。財産をお金に限定すると一つのところに集まっているように見えます。お金で買えない富を持っていることに気が付いて、リッチな気分で生活していくことが、特にこれからは大事だと思います。

 大根一本でもお宝様です。我々は何気なく大根の値段を見ていますが、大根一本あればいろんな美味しい料理ができます。本当に美味しい大根は甘いのです。しっぽが細くなった大根はダメです。しっぽが丸くなった大根を買えば、味噌汁にも使えるし、大根おろしも出来るし、ふろふき大根も出来るし、みそ大根も出来るし、また大根の皮も上手に使えばいろんな料理ができます。大根一本あれば相当楽しめます。

 大根は富です。そのようにすべてのものを富にすることが、生活名人の一つの考え方だと思います。特に今は物価が高くなっています。スーパーに行けばすぐにわかります。だいたい1・5倍高くになっています。簡単に物を買えません。よく選んでよい物を買って楽しことが大事です。

 

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