人権という名の正義の蛮行 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 日本では盛んに「人権」という言葉が使われています。人権派という弁護士もいます。社会運動で「人権派」を称する者もいます。「人権」といいますが、本当に人権という意味がわかっているのでしょうか。

 人権を考える場合、一つのモデルを考えればよいのです。もし、砂漠の中にお父さんお母さんがいて子供が生まれました。その子供に人権はあるのでしょうか。子供の人権などありません。生まれたのは砂漠です。砂漠とは、社会がないということです。社会がない中に人間の子供として生まれました。その人間に「人権はあるのか?」と考えればすぐにわかります。答えは人権などありません。

 「人権」とは自分の権利を社会に認めさせるということです。認める社会がなければ、人権はないのです。社会が認めて、初めて人権は生まれるのです。もし、そのような社会があるところに人間が生まれたとします。そこで人権を主張したらどうなるのでしょうか。

 もともと社会がなければ人権はないのです。社会があると、実は人権はないのです。それは社会の一員だからです。社会の一員とは、個人のやりたいことは制限されるのに決まっています。「お前は社会人として生きるのだ。こうなりなさい」と言われて、20歳になったら成人式を行い、社会の一員になるのです。大人になると職業に就くのです。「私は運転手」、「私は美容師」、「私は弁護士」、「私は公務員」など、職業に就くのです。職業に就けば、人権などありません。

 公務員になって「人権」などと言えません。社会に奉仕することが先です。政治家もそうです。政治家の人権などないのです。その社会に生まれて、社会の中で「俺の人権があるのだ!」と大きな声を出して叫ぶと「お前は馬鹿か?」と言われてしまいます。そんなものはないのです。

 社会の一員として生きていかなければいけません。社会の一員として生きていかなければいけないから、万が一他国から攻められたときは、戦争に行かなければいけません。戦争に行くということは、自分が命を失うかもわかりません。しかし、社会ではそれを必要としているときに「俺の人権があるから戦争に行くのはごめんだ」などとは言えないのです。「では、お前、敵にいたぶられて殺されればいいではないか」そうなるのです。

 社会の一員だから、まとまって抵抗するから、殺されることはなくなるのです。社会的な制限化の中においての人権はあるけれども、絶対的な自由な「俺の人権」などはないのです。これが本当です。

 ところが人権派と称する連中は、人権を武器に使っているのです。人権と言えば、正義だと思っているのです。例えば、「桜井誠さんのヘイトスピーチは朝鮮人の人権を侵しているのだ」このように使うのです。「人権を侵していいのか? 朝鮮人も人間だろう。ヘイトスピーチをやれば朝鮮人の人権を侵すことになるのだ。朝鮮人にはよい人もいれば、悪い人もいる。確かに犯罪者もいれば、そうでない人もいるから人権を侵すのではない」このように攻めてくるのです。

 もっとひどい例が「朝鮮人の遺伝子は6万3千個も人類と違う」こんなことを言ったら、朝鮮人の人権を侵したことになるのです。人権はみな同じです。日本人も朝鮮人も同じく人権を持つのです。「朝鮮人の遺伝子は人類と6万3千個も違うのだから、亜人だ」と言ったら人権派の弁護士が「人権侵害だ!」とわめくのです。これは人権が正義になってしまっているのです。

 「人権」という言葉を使うとすべての人が黙ってしまうのです。左翼の連中はそのような使い方をするのです。「人権」を武器にしているのです。

「人間は皆、平等だ。朝鮮人というのは、朝鮮人の人権を侵害している」このようになるのです。

「人間は馬鹿もいれば利口もいます。利口な人たちは能力をもっていますが、馬鹿はどうにもなりません」と一言でも言ったら「馬鹿の人権をそこねている」と言うのです。 

 「頭の弱い人も人権があるのだ。頭の弱い人の人権を侵害するのではない」と言うのです。

「あいつは精神病者だから、おかしな行動をしている」と言うと、「精神病者とはなんだ。精神病者にも人権があるのだから、精神病者が傷つくだろう」このように攻めてくるのです。

 すべて「人権」を錦の御旗にとって、「人権・人権・人権」と攻めてくるのです。「他国の人々の人権を侵してはならない。日本におけるところの在日朝鮮人の人権を侵してはならない。」一見すると正論のように聞こえるのです。人権などどこにもないのです。わかりますか? 社会に生まれた以上は、人権などないのです。社会の中の人権しかないのです。「絶対個人の人権」など存在しません。

 砂漠の中に生まれてもそうなのです。社会がない社会に子供が生まれたら「俺の人権は」と言っても社会がないのです。「俺の人権」という社会がないのに一人でわめいても、何の人権もないとわかるのです。人権などというものはないのです。

 現実に存在する人間は頭がよい人、頭が悪い人、馬鹿な奴、外国人、日本人、若い人、老人、みんなについて論じなければいけません。「人間は若く元気でなければいけない」といったら「老人の人権は侵害するのか」とこのようにくるのです。これを正論であるかのように受け取ってやりかえせないのです。全く間違えています。

 「神様は平等に人権を与えられた」と言うのです。違うのです。神様はすべて千差万別に創っているのです。花は何万種類あります。木も何千種類あります。人間も白、黒、黄、すべて顔が違います。足が長い人、短い人、小人もいれば巨人もいます。力関係もすべて違います。IQが高い人もいれば、低い人もいます。すべて違うのに「人権だけがあるのだ」という考え方は全く間違っています。

 この人権を振り回す奴は悪人です。人権とは社会を崩壊させる一つの武器です。もし、貴方の会社に人権派がいて「従業員の人権だ」という人間がいたら会社の経営はできなくなります。「人権侵害です」と言われれば、社長は何も命令できなくなってしまいます。このような罠にひっかからないようにしましょう。人権は破滅を招く罠なのです。


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