運について | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 人間や動物は、生まれながらにして運をもっています。どのような運かというと、ネズミはネズミの運をもっています。ネズミはなんでも食べられます。腐った物を食べたり、木もかじれます。これはネズミでないとできません。

 人間は木をかじれません。豚はクソを食べますが、人間はクソを食べません。豚はクソを食べられるということが運なのです。人間でもクソを食べるのは朝鮮人です。こんな人種は珍しいのです。

 クマに生まれればすごい毛皮をもっていますから冬山でもすごせます。毛皮をもっているということが運なのです。冬山に人間の赤ん坊が放り出されたらすぐに死んでしまいます。それは運がないからです。人間には毛皮がありません。運がある動物は毛皮をもっているのです。毛皮をもっていれば、クマも狸もキツネも冬山を生き延びていけるのです。

 動物の運はわかりやすいのですが、人間でも同じです。非常に頭がよく「学校で1番の成績だった」という運をもっていれば、良い大学に入り、良い会社に就職できます。馬鹿だったら大変です。学校の成績はオール1、何もできないから知的労働はできません。やれることは、肉体労働です。肉体労働の最たる仕事は土方です。土方、もっこ担ぎ、下水道掃除、運転手など、そのような仕事しかできません。それはその人の運なのです。

 もっと進んで運がよければ出世します。人間はみな争っているのですから、「どちらが勝つのか?」というと、勝った方の人間が「運が強い」ということです。運が強ければ勝てるのです。

 織田信長は、本能寺の変で死んでしまいましたから、そこで運は終わりなのです。信長より、明智光秀の方が運がよかったのです。ところが明智光秀も豊臣秀吉に負けてしまうのですから、秀吉の方が運がよかったのです。

 人間も動物も運をもっています。その運が「小さい運なのか」、「大きい運なのか」ということです。例えば、自分で事業をやる場合は、それを考えてみればよいのです。「自分は運のよい人間なのか、どうなのか?」「私に社員が従ってくるのか?}ということを考えるのです。

 社員のことを所従(しょじゅう)といいます。日蓮大聖人様は果報つきぬれば所従もしたがはず四条金吾殿御返事と言われています。運がいいから今、殿様の子供で生まれたのです。運がなくなってしまうと土地もなくなってしまうのです。運がいいから親の家来が自分の家来になるのです。運がなくなってしまうと家来は1人~2人といなくなって「失礼します」と言って帰ってしまうのです。

 気が付くと土地もない、財産もない、家来もない自分になってしまうのです。「俺は運がいいかな」と判断するのは自分です。運がよければ人も集まってくるし、土地も増えるのです。

 反対に運が悪ければ土地もなくなってしまうのです。運がないという立場で変なことをやってはいけないのです。分不相応なことをやってはいけないのです。だから僕は絶対に選挙なんかでません。選挙に出ても票は集まらないだろうし、それを知っているので選挙にはでません。

 そのように自分で計算してみるのです。「これは自分にできることか、できないことか」考えるのです。失敗する人は「自分がやりたい」と思ったことをやってしまうのです。自分の運をまず考えなさい。そうすれば人生は間違いありません。

 例えばものすごく運がいい男がいて、お金持ちの娘を嫁さんにしたとします。しかし、男の方に運がなければ自分が死ぬことになってしまいます。運がよければ立派なお嫁さんが自分についてきて一緒に栄えていけるのです。決めるは運なのです。

 なかなか普通は自分の運はわかりません。だから南無妙法蓮華経の修行をしていくとだんだん自分がわかっていくのです。「俺の運はこんなものだな」とわかってくるのです。だから「事業などしてはいけない。俺に人は集まってこないのだな」と思ってやっていれば、それはよいことなのです。

 南無妙法蓮華経を積みかさねていくとだんだんそれがわかってきて、「このようなことはできるけれども、あれはできない。だから俺はこれでいこう!」ということがわかってくるのです。

 東京で事業をやるなど大変なことで、まず成功しないのです。募集をすれば、社員が集まってきますが、ロクな人間がいないのです。全部、朝鮮人のような奴で「俺が」「俺が」という連中が集まってくるのです。

 事務所を借りて新しい仕事をやりました。成功をすると今度はお互いに裏切るのです。みんなそうなのです。「俺が社長で、お前が専務で、君が部長」、ずっとそのままでいけばいいのですが、成功しつつある時点にくると、みんな裏切ってしまうのです。「あの社長がいるからダメなのだよ」と言い出すのです。「あの会長がいるからダメなのだよ。追っ払おうじゃないか」という話が出てくるのです。

 それはそうです。地方から出てきた人間は「自分」しかいないのです。友達でもないのです。ただ、なんとなく「社長だ」というから集まってきただけで、忠誠心などはないのです。その点、昔の殿様は親子代々の家来ですから、若様がいても若様を守りうまくいきますが、今はそんな会社はありません。

 烏合の衆を集めて企業をつくることはできません。烏合の衆を破るためにはどうしたらよいのかというと、まず親族が団結していなければいけません。親族とは兄弟です。成功する事業家は兄弟をもっているのです。二人でも三人でもいいのです。「俺は営業をやる。お兄ちゃんは経理をやってくれ」これです。裏切り者が出てきても二人いるから勝てないので、3人目に入ってくるのです。

 郷里の友、学友、そのようなつながりがなければ事業はやらないほうがいいのです。やっても人ですべて失敗してしまいます。



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