朴 槿惠に教える日本と韓国の真実の歴史 13「元寇」 | 中杉 弘の徒然日記

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 朝鮮と日本の関わり合いを知るためには、どうしても1274年・第一次文永の役と、1281年・第二次の弘安の役を知っておく必要があります。

 この元寇とは、当時の高麗王が元のフビライを炊きつけて「日本と言う生意気な国があります。あの国を滅ぼしてください」とお願いするのです。するとフビライは「分かった。そんな生意気な国あって、蒙古に服従しないのだな。では、お前達、船を造れ」と言われたのです。

 元はモンゴルの草原を駆け巡ってできた帝国ですから、船はできないのです。高麗は海に囲まれた半島ですから、「船はできるだろう」ということで、船を約400艘造らせたのです。そのおかげで朝鮮半島から木がなくなってしまったのです。その段階でイイザマです。「こんなはずではなかった」のです。

 そして、元軍に「お前が先頭に立っていくのだ」と言われて、高麗軍は先頭に立って追い立てられるようにして日本に来たのです。彼等は二つの計画を持っていたのです。第一次は、日本の様子を見にきたのです。

 「日本はどのようなところか?」と様子を見にきたので、400艘ですんだのです。4万5千人で400艘の船に分乗してやってきたのです。それまでは、蒙古は日本に使いの船を5回送っているのです。「日本と仲良くしたい」と貢ぎ物を持ってきているのです。

 それを北条時宗は若かったせいもあり、河原に並べて4~5人の首を斬ってしまったのです。それを5回にわたってやるのです。もう、堪忍袋の尾が切れたということで、蒙古が軍勢をあげてきたというのが真相です。

 日蓮大聖人様はそのことをよく知っていて、「罪もない使者を斬るのではない」と言われているのです。使者はお使いで来ているのですから、首を斬っても仕方ありません。「それはないよ」と諌めている面もあったのです。

 その結果、元寇が起きたのです。これは恐ろしいことだったのです。4万5千人の軍隊が壱岐と対馬に入ってきたのです。高麗軍の戦法は日本の戦法とは違うのです。「ドンチャン・ドンチャン」と太鼓を叩いてやってくるのです。当時、対馬には宗氏という武士が400名くらいいたのですが、高麗軍と軍勢の数が違います。高麗軍は4万5千名です。けた違いですから宗氏の400名くらいでは一気にやられてしまいます。

 対馬の男は全員皆殺しです。女は全員が強姦されて、ある者は手に穴をあけられて船の舳先(へさき)に吊るされたのです。高麗軍はひどいことをやるのです。手足を斬り落としたり、手に穴をあけてひもを通すのです。人間が連なり船の舳先にブラン・ブランと縛ったのです。野蛮人もいいところです。

 高麗軍は、人間を舳先に縛って九州にやってきたのです。日本人はびっくりしてしまい、それでもひるまないで鎌倉武士達は戦ったのです。これが、文永の役というのです。この時に台風が来て半分は引き返してしまうのです。半分は沈んでしまい、命からがら高麗に帰りついたのです。

 それで、蒙古は「また来る」と言っているのですから、鎌倉幕府は「蒙古が必ず来る」というので、九州に防塁をつくったのです。それから7年経ち、弘安4年にやって来たのです。今度は船が3千艘です。乗っている人間は14万人です。前回とは桁が違うのです。

 それが博多湾に入ってきて、上陸してきたのです。日本人が逃げていくと追撃されて、随分多くの人間が殺されたのです。

 しかし、鎌倉幕府の御家人達はひるまないで、徹底的に抗戦したのです。夜になると高麗軍は船に引き返したのです。その時に、鎌倉武士は小舟に乗って奇襲をかけたのです。高麗軍の船は100人くらいが乗る船です。鎌倉武士の船は5~6人が乗る小舟です。

 それが夜になると高麗軍の船にイカリを投げかけて鎌倉武士は、船に攻め上って船上で戦ったのです。相当激しい戦闘が行われて高麗軍も参ってしまったのです。鎌倉武士の思わぬ抵抗に遭い、夜になると物凄い台風が吹いてきたのです。高麗軍の船は、船と船が離れないように結んであったので動きがとれずに沈んでしまったのです。その時の船が沈んだ残骸が、博多湾で見つかっているのです。

 その当時のイカリは木製です。日本の船は竜骨(りゅうこつ)がありません。竜骨とは、重船舶の構造材のひとつで、船底を船首から船尾にかけて通すように配置された構造材のことです。高麗軍の船は、竜骨があってそれに板を打ちつけているので丈夫な船だとわかります。その船がどういうわけだか一夜にして海中に没してしまったのです。

 海中に没したという説以外には、「逃げた」という説もあるのです。鎌倉武士の戦いがあまりに凄いので、夜の間に逃げてしまったのです。こちらから見ると台風で沈んだように見えますが、半数は逃げ帰ったという説もあるのです。

 これが、元寇という有名な戦いです。我が国を侵略しようとすると神風が吹いて敵の船が沈んでしまったのです。そこから「神風」という言葉ができてきたのです。「神風特攻隊」も、元寇の時の「神風」からつけた名前なのです。日本が危機になると神風が吹くのです。

 日蓮大聖人様も、現地へ行って蒙古調伏御本尊をつくられて100名くらいのお弟子さんと、「蒙古を調伏する」というお祈りをされたのです。

 朴槿惠さん、これが733年前の日本と朝鮮半島の関係です。高麗の頃から敵国だったのです。高麗は蒙古の手先になって、日本に攻めてきたのです。「上手く日本を滅ぼせる」と思ったら、自分達が先兵で日本に行かされて、だから「朝鮮人は馬鹿だ」というのです。

 日本など侵略できる国ではないのです。日本は神国ですから、野獣の国とは違うのです。朝鮮人が、こんな恐ろしい思いをしたことはなかったのです。白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)が最初ですが、「千年の歴史は忘れない」と朴槿惠が言っているのですから、千年の範囲で見ると、元寇をしっかりと認識していく必要があります。蒙古兵と言っても高麗軍だったのです。



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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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