北朝鮮は、日本の残置諜者の国 | 中杉 弘の徒然日記

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 北朝鮮をめぐって色々な事が言われていますが、一番斬新な意見は「北朝鮮は第二の大日本帝国である」という話が面白い。最近、あちこちで言われるようになってきましたが、まだまだ知らない人が多いようです。 

 終戦末期の昭和19年に中野にある「陸軍中野学校」がありました。この学校の分校の卒業生が小野田寛郎さんです。小野田寛郎さんの大きな仕事は残置諜者です。残置諜者といえば、「現地人になりきって、現地のために尽くす」ということが残置諜者の活動です。その目的は、大東亜の解放にありました。 

 終戦が決定した昭和19年、陸軍中野学校は、3千名の学生を募集して養成していました。陸軍中野学校は、スパイ学校だと言われていますが、スパイではなく残置諜者の養成所だったと思うと分かります。誰が陸軍中野学校にいたかは分かりませんが、3千名の学生を養成して終戦間際になって現地に行かせたのです。

 この連中が一番多く行ったのが、北朝鮮です。北朝鮮は、まだ日本だったので非常に生きやすかったのです。抗日パルチザンという大日本帝国に抵抗している組織が山の中にいて、抗日パルチザンに成りきったのが、畑中 理(おさむ)さんです。 

 この人は、朝鮮名を金 策(キムテク)といい、終戦になって金日成がソ連軍から派遣された時に、金日成は何も知らないので、金日成を指導したと言われています。金 策(キムテク)の方がだいたい年齢が10年先輩だったので、金日成の指導者として指導しました。金 策(キムテク)は、金日成に大変感謝されて、「息子をもらいたい」と感謝の印として、畑中さんの子供を養子として迎え、自分の子供として育てました。それが金正日です。 

 そして、日本で原爆の製造を止めたので、北朝鮮でやってきたのです。北朝鮮の原爆開発の技術者は、日本の残置諜者と満州鉄道の連中と、満州国にいた人間がみな北朝鮮に集まって造ったのです。

 北朝鮮は、共産主義国家を造ろうとしたのではなく、“帝国”を造ろうとしたのです。それが証拠に北朝鮮では大日本帝国の軍歌が今でも歌われています。宴会になると全て日本の軍歌です。これを見ても分かります。 

 畑中 理(おさむ)さんの息子が金正日ですが、金正日はどうしても貴族の血が欲しかったのです。「できたら天皇家の血が欲しい」と思い、横田めぐみさんを拉致したのです。皇族ではありませんが、横田めぐみさんのお父さんは貴い血を引く人で、貴族院議員まで務めた人です。 

 横田めぐみさんのお母さんは皇族の梨本宮家につながっています。横田めぐみさんは、高貴な血筋であり、北朝鮮に拉致されて、金正日の奥さんとして今でも生きています。凄い権力者です。その息子が金正恩です。 

 このような話がだいぶ広まってきていますが、正確さにかけています。事実として、 策(キムテク)市という市は、北朝鮮に存在します。北朝鮮で一番大きな船は、金 策(キムテク)号といいます。それだけを見ても分かります。この話は、相当信憑性があるので、北朝鮮を侮ってはいけません。

 北朝鮮は、終戦間際に原爆を造っていたのです。研究に研究を重ねて、タングステン水爆を造ってしまったのです。これは、世界最高級の水爆です。これが出来た瞬間に、アメリカも、中国も、非常に北朝鮮には丁重になりました。タングステン水爆は、非常に小型で放射能も出ません。こんなものを使われたら、アメリカも勝てません。 

 この話に注意していきましょう。



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