遅咲きのバラがまだ残ってます☺️



今回は、私がなぜ度々指を痛めているにも関わらずピアノを弾いているか、お話しさせてください。


かなりプライベートな内容になりますことをご了承の上、お読みください🙇🏻‍♀️


(コメント欄は、閉じております。これについてはお返事を書く自信がまだないもので…すみません。ご理解いただけましたら大変助かります。)

 


🍀  🍀  🍀

 

ピアノ納品後。

ピアノの響きが気に入らない夫は「調律してみて、お店での響きと我が家での響きが違うなら返品する」と言っていました。


私は同意していました。

2人で楽しめないピアノなら、意味がないから。



でも、私が指を痛めた時。

夫はこう言いました。


「君がこのピアノを弾けなかったとしても、このピアノは手放さない」

 

私はそれに対して

 

「一緒に楽しめる一台が欲しい」

 

とは言わなかったのです。

 

 

 

いつか自分がホントに弾いててシアワセなピアノが欲しい(別の一台でもいい)が本音だったから、ではもちろんあるのですが、

 

もう一つ理由がありまして…

 

 

それはズバリ

 

「夫の気の強さ」

 

なのです💦

 



🍀  🍀  🍀

 

ドイツ人は、日本人に比べると、気の強い人が多いです。

 

ちょっと面白そうな例を挙げますと😅

 

 

 

アンゲラ・メルケル元首相が退任なさった時。

 

国防省のブラスバンドが、メルケルさんのリクエストで、東ドイツのポップソングを演奏したんですね。


 

こちらが、その報道(19秒目から)🎷🥁🎺

 

 

 

さて、このオリジナルです(日本語訳つき)

 

 

これ、ポップソングだから軽めですが、

気の強いドイツ人って、これを強烈にした感じです。

「親の敵にでも会ったのか」っていうくらいの攻撃的なエネルギーを、刃のように向けてきます💦

 

 

🍀  🍀  🍀

 

私の得意ジャンルは

実は夫のコンプレックス・憧れ分野と重なります。

 

だから、文字通り自分の心身を守る上で、私は本来の自分を出せなくなっていきました。

 

 

 

私がピアノを再開することになって、コンプレックスからアグレッシブな態度を向けてきたのが、夫と義父。だから、怖くて怯えたのです。


ピアノを弾いて、また同じことが繰り返されるのが怖かったのです。

手が痛ければ、ピアノは弾けません。

体は正直です💦💦💦

 



だから、この3年間、頑張りました。

自分の力が出せるようになるために。


夫との関係性も、この3年、メンタルや夫婦問題のことをたくさん学んで、見違えるほど良好になりました。

 

でも、今回は、やり残しの課題が浮き彫りになっちゃったなぁという感じです。

 

 

 

鍵盤が重いのに気づかず、指からの小さなサインを無意識に無視しちゃったのは、

やっぱり心のどこかで

 

夫に負けたくなかったから。


ずっと自分を閉じ込めざるを得なかった悔しさを晴らしたかったから。


これまで、私を舐めたり見下したり、私が本来持っているものを出す事を阻止してきた人たちを、見返したかったから。

 

 

でも、今回の件は

 

「本当にピアノを弾きたいのなら

 そうした気持ちは、もう手放してね」

 

という体からのメッセージだったのかな、とも思います。


そりゃそうですよね。演奏にでちゃうもん。

それじゃ幸せにはなれない。

ピアノを弾く本当の目的は、そこじゃない。



そもそも、そういう人達に囲まれちゃったのは、「自分が自分を低く取り扱ってきたから」ですしね。今なら分かります💦




恐れを越えて

ただありのまま

本来の自分を出す

本来の自分で生きる

 

 

夫に抵抗して苦しいエネルギーで頑張るのではなく

 

ふわっと軽やかに、自然体に実現してまいります☺️



夫の選択が、本当に夫の心を満たすものだったのか、欲を満たしただけだったのかは、タイミングを見極めて話し合います。

すみません、こんな話を書いてしまって…


ブログ開始当初、この件は触れないつもりだったのですが…結局書く流れになっちゃいました💦💦



最後まで目を通してくださり、ありがとうございました。次回からはまた、元気に音楽・ドイツ生活のトピックに戻ります☺️





読んでくださり、ありがとうございます🌼

 

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