嵐の櫻井翔くんを尊敬している男子高生のブログ!!

嵐の櫻井翔くんを尊敬している男子高生のブログ!!

このブログは、
気ままに男子高生が書く櫻井翔と嵐の観察日記(感想日記)です。

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「俺、嵐になったとき、高校3年生だったんだよね」と、翔くん――…
嵐結成前、試験期間中の翔くんのもとにかかってきた1本の電話が、人生を大きく変えた!

「W杯バレーのユニット作るんだけど、櫻井、やる?」
って、ジャニーさんに電話で聞かれたの。俺さ、最初は期間限定のユニットだと思ってたんだ。
で、「やろっかなぁ」って答えたら、その直後、今度はマネージャーさんから電話がきて
「学校、大丈夫なの?」って聞かれたの。
「なんで確認してんだろ?W杯はすぐ終わるのに」って思ってたんだよね。

高3って、学年末の試験が終わると1月末から春休みで、大学入る前に留学でもしようかなって考えてたの。
で、マネージャーさんに相談したら、「う~ん、できたら・・・」とか言われて。
「なんだ?曖昧な返事だなぁ?」と思ってたら、案の定、行けるわけもなく。

嵐結成当時は、W杯バレーの応援で地方に行って、最終の新幹線で帰ってきて、
次の日、学校行って、学校が終わると、そのまま新幹線で地方行って、っていう毎日。
最初は、とまどったっていうより、
すんごい速い濁流の中を、いきなりイカダに乗せられてる、っていう雰囲気だった。
どうにも岸にも着けないし、元にも戻れないし、でも、どんどん進んでいっちゃうし。
W杯が終わって、ちょっと落ち着いたころに、やっと冷静になれたね。

しかしメンバーの間に、どことなくぎこちない空気が流れていた。

昔から知ってるっていってもさ、この5人だけで活動してたわけじゃないから、
最初はどうしても寄せ集め感があったよ。
相葉ちゃんの電話番号も知らなかったし、松潤は、大野くんに敬語だったし。

『このメンツで嵐なんだ』って、いちばん最初に思ったのは、
2000年のファーストコンサートのとき。結成から、半年ぐらい経ってからかな。
最後にみんなで手握って、「俺たちが嵐~!!」
って手挙げると、お客さんが"キャ~!!"って言うわけじゃん。
「あぁ、この5人で嵐なんだなぁ」って実感した。
この5人を見に、これだけの人が集まってくれるんだ、ってね。

高3の秋にデビューして、その翌年、大学に入学。
この春、無事4年で卒業!
「入学のときに、会見しちゃったからさ。あれやった時点で、ぜって~ダブれないなって思った」と。

特に大変だったのは、初主演となったドラマ『よい子の味方』の収録と、
大学の定期試験が重なったときでした。

この時期にドラマやると大学の試験とかぶるし、さらに主演だから、
大変になることは、最初から目に見えてるわけじゃん。
で、ドラマの話がきたときに、
「あなたがやらないんだったら、ほかの人に頼むから、断ってくれてもいいんだよ。どうする?」と。
ほかの人に持っていかれるのは嫌だなって、悩んだねぇ。
授業のこともあったから、1日待ってもらったんだよ。
1個、どうしても出席が引っ掛かる授業があって、教授に相談しに行ったの。

「じつは僕、仕事してて、先生の授業を欠席するときがあるかもしれないんですけど…」
って話したら、
「バカ言ってるんじゃない」って教授に怒られてさ。
「仕事をしてるのは勝手だけど、私の授業を取ったんだから、出られなければ、単位を落とす」
って言われて、"あいや~!"って(笑)。

教授が言うことは、もっともなんだよね。
結局、授業は出られるときは出るようにして、なんとか単位は取れたんだ。
大学3年のとき、『真夜中の嵐』で、銀座の占い師に見てもらったことがあるんだけど、
そのときに「今年あなたは絶対留年する!」って言われてたの。
『よい子~』の話がきたときに「これかぁ!これはダブるな」って、その言葉を思い出したよ。
だから、必死こいて勉強した。
自分で「やります」って言ったんだから、負けらんねぇって。

そんな翔くんの子供時代のエピソード――…

うちの学校、係りとか委員とかいう制度なかったんだよなぁ。
給食係はローテーションだったし、学級委員も小5か小6の時ワンクールやっただけ。
強いて言えば、ブラスバンド。
これまたビックリなのは「ブラスバンド」が委員会の括り、ってことです。
普通は「クラブ活動」の括りだと思うけどね。
それに、集配係とか、図書係とか、飼育係とか…全くないのも不思議。

子供の頃は、ガキ大将っていうか、仲間5~6人ぐらいのリーダー的存在だった。
だけど小4と中1の時に、謀反起こされたの。
『もうついて行けない。勝手な事ばっか言うな!』て。
それからかな、周りを見るようになったのは。
突っ走る傾向があるからさ、素地として。
「今、俺・・・大丈夫?」みたいな瞬間は今でもある。

そして高校生時代――…すごいジレンマがあったと
周りの友達とか、そこで仲良くしてくれる人達は、
俺がジャニーズの櫻井翔だから仲いいのか、
どこどこ高校の櫻井翔だから仲がいいのか、っていうのがわからなくて。
信じないところから入ってたの。
それが、大学2年ぐらいの時かな、高校から仲良くなった友達の家に遊びに行ったら
俺の雑誌の切り抜きとか貼ってあるの。
部屋に。
チョー嬉しくて…。

『あぁ、別にいいんだ、ジャニーズの櫻井翔が、櫻井翔で』て。
で、信じることが全て Love so sweet に変わったのが、嵐になった後なのかな。
だから、やっぱり嵐になったのは大きかったと思う。

そんな翔くんにとって嵐とは…

5人で嵐、ではあるんだけど…いろんな人の想いが固まったものが、嵐だなって強く感じる。
嵐に想いを重ねてくれる人がたくさんいて・・・みんなの夢でありたいな、って。
嵐の歌の歌詞で、凄い好きなのが『OH YEAH!』の
♪ もう一度あの日に戻るとしても 同じ道選ぶだろう ♪って歌詞。
同じ道を選ぶような、嵐にしていかなきゃなって想う。

全てにおいて、周りの人達のお陰。
だからこそ、嵐を選んでくれる人達に対して、
「選んでよかった」って思ってもらえるような仕事をしていきたい。
そう、思うんだよね。

卒業式の会見で
「仕事をしたいって言ったのも俺だし、大学へ行きたいって言ったのも俺だから」と語っていましたね。

ローラースケートで遊んでいた少年が、気がつけばジャニーズに。そして、嵐が結成され、その一員に。
右も左もわからないままのユニット。
それでもこの仲間たちと「嵐」をやっていこうと決意した。
やらされていた感があったと語っていたラップは、翔くんの努力でサクラップと呼ばれるまでになりましたね。
自分の言葉に責任を持ち、何事にも真面目に一生懸命に取り組み、見事、有言実行しましたね。

「やっぱ絆っていうのが深まっていってるのかなって。放しでメンバーのことを尊敬できるんだ。
 あの…世の中がどう反応するかわかんないけど、今、オレはすごく嵐に自信がある。」

こんな深い絆で結ばれた5人。
この5人だから、「今」があるんですね。
「嵐」に出会えてよかった。
「嵐」を選んで良かった(*>U<*)
これからも5人に負けないくらいのパワーで応援していきます。
翔さんの凄いところはいったいどこなのか??
これはね、同性だから分かるって言えばいいのかな??やっぱ、ストイックに自分を追い込んでいるところですな。「家に帰ってもやることやるまでは部屋着に着替えない」って雑誌のインタビューで答えてて、
さすが翔さんだわ~
尊敬するなぁと思い自分もストイックに自分を追い込んでみようかなと思いました。
皆さんも翔さんに負けん気で毎日を頑張っていきましょう!!
嵐の明日に架ける橋をみたんだけどさ
高知県馬路村を訪れた翔くんをみたんだけど良かったよね!!純粋に楽しめたし勉強にもなったし翔さんと井上さんの掛け合いも面白かったなぁ(笑)
そういえば翔さんがホットワードに井上さんが入るかもみたいなこと言ってたらほんとに入ってて思わず翔さんの発言の影響力に感心したからねぇ