第11回男のフェスティバル

全体会 トーク & トーク         

「自分、個(ひとり)で生きれるん?」

伊藤公雄 × 中村 彰


2008年9月6日7日の両日

とよなか男女共同参画推進センター・すてっぷ にて開催。


第11回「男のフェスティバル」については、下記のHPを参照。

http://office-nakamura1120.net/otoko3.html

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(司会 多賀太)

「男女共同参画」の業界では有名な二人ですが、今日初めて会われた方がおられるので、私から簡単にお二人を紹介させていただきます。その後、お二人には自己紹介を兼ねて、これまでどのようは活動をされてきたのかをうかがいたいと思います。

伊藤公雄さんは京都大学の先生で、日本の男性学の第一人者です。この分野に初めて触れる人にもわかりやすく男性学を伝える活動をされています。男性が抱える問題をていねいに発信されています。

中村彰さんは「すてっぷ」の館長さんで、このフェスティバルの実行委員長です。後から話していただけると思いますが、今回のフェスティバルの共催団体であるメンズセンターの創設メンバーで、日本のメンズリブ市民活動・男性運動を全国に広める活動を続けておられます。

お二人から、自己紹介をかねてどういうことがきっかけで男の問題を考えることになったのか、これまでにどのような活動を続けてきたのかを話していただきます。


何がきっかけで男性問題に気づいたのか、どんな活動をしてきたのか


(中村彰)

1995年からメンズセンター( Men's Center Japan )という市民活動拠点の運営委員長として運営にかかわってきました。その前に、私も伊藤さんも、1991年から活動を始めたメンズリブ研究会の呼びかけ人でもあります。

今回のフェスティバルでは、メンズセンター( Men's Center Japan )ととよなか男女共同参画推進センターすてっぷ、市民が知恵を出し合い運営させていただいています。



これまでのフェスティバルでは取りあげてこなかった取り組み、工夫を随所でさせていただいたつもりでいます。「自由葬」の展示もそのひとつです。

昨日・今日の2日間に、「自由葬」展示に置かれていたお棺に寝るという体験をされた方が、この会場に、おられると思います。私は、別の機会に寝まして、そのときは蓋をしました。自分の生き方の問い直しの機会となりました。そんな体験から分科会「自分のエンディングを考える。『その日のため』の準備」を持ちました。今回のテーマ「自分、個(ひとり)で生きれるん?」という問いかけの、ひとつのツールです。

そもそも、女性に、「あなた、お墓はどうするの?」というアンケートを実施したグループとの出会いから、いまの社会の中で女性が抱えている問題をクローズアップし、その解決を図ろうとする女性学に触れ、それを鏡にしながら、いまの社会で悶々としている男性の問題を提起するメンズリブ、男性運動を始めることになりました。

回答のなかに「夫と同じ墓はイヤ」がありました。のちに「死後離婚」と呼ばれることになりましたが、この回答が、自分を振り返り見つめなおす出発点、男性問題に関わる出発点となりました。

女性の側の問題を追求すること自体は大切なことですが、男性という性を生きる私にとっての優先課題は、男性の側の問題にメスを入れることだとか考えたのです。

いまはなくなりました豊中市立働く婦人の家を借りて、1989年に、女性グループが開催しました討論会「男はフェミニストになれるか?」で司会をつとめたことがあります。翌年には、男性たちが企画立案して「男の男による男のためのシンポジウム」を開催しています。男のフェスティバルの前身みたいなもので、この折に、伊藤公雄さんとも出会いました。これらのイベントでのパネリストとの出会いが、メンズリブ研究会の旗揚げにつながりました。また、男のフェスティバルも、この出会いからはじまりました。

豊中市立働く婦人の家と豊中市立婦人会館の機能が合体して「とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ」が誕生しているわけですが、その施設の館長を引き受けたことに感慨深いものがあります。

4月から「すてっぷ館長」に就任して、仕事漬け状態に戻ってしまったともいえるのですが、仕事に埋没して疲弊していく自分を何とかしたくて、「仕事とは何か」「仕事だけ人間でいいのか?」と問い直し、第1回男のフェスティバルで、分科会「男と仕事」で報告者になりました。その折に、フリー・ジャーナリストの宮淑子さんから「あなたは仕事について話したつもりでしょうが、私には男性更年期の話と聞けましたよ」と指摘を受けました。第2回男のフェスティバル以降、たびたび、「男性更年期」分科会を続けていますが、男性の生き方の問い直しをするとき、「男性更年期」に触れ、この角度からの問題提起の重要性を感じています。最近は、男性更年期外来を担当されている石蔵文信さん〔大阪大学医学部〕に協力していただいています。


(伊藤公雄)

会場入り口に棺おけがあって、「いよいよ男性運動のお葬式をやる会なのか」と、受け付けの方と冗談で話していました。もちろん、そうなってほしくはないです。中村さんはお墓の話から入っていったそうですが、僕は、いまでいうジェンダー問題とかかわったのは学生時代です。学生時代を過ごしたのは1970年代前半です。まだ学生運動が激しい時期で、ぼくもヘルメットをかぶる生活を長くしていました。それで、頭が薄くなったという説もあります。こうした体験のなかで、いろいろ考えました。内ゲバのような暴力の問題であるとか、男性主導の運動が持っていた沽券やメンツの問題、思いっきり観念にしばられた行動などなどのことです。当時も、うすうす感じてはいたのですが、後になって、この問題を男性性=<男らしさ>問題という観点で見直すことで、多くの発見が、僕にはありました。

ジェンダー問題にかかわる最初のきっかけは、新入生歓迎会の事務局長の経験のなかから生まれました。企画のなかにロック・ストリップというのがあったのです。企画が出されたとき、ちょうど女性差別問題が運動のテーマになりつつある時期だったので、「やめた方がいい」と、ストップをかけたのですが、主催者たちは「男性も脱ぐ、男女平等のストリップにするから大丈夫」と言い張りました。そこで、ぼくもあまり考えずに、OK出しちゃたのですね。数日におよぶイベントの中で、ある日、女性数人と同伴している男性たちに呼び出されました。「今回の企画のなかにロック・ストリップがある。ストリップという言葉自体が女性差別だ」と、糾弾会が始まったのです。企画担当者はすでに逃げてしまっていましたし、僕は全体の責任者ということで、当時のことですから、ぼこぼこに殴られました。ほとんど拷問のような生活を1週間送りながら、自己批判書を書くために、本気で性差別の問題について勉強しました。たぶん、あんなに勉強したことはなかったと思います。

自己批判ということで、性差別問題の現状をふまえて、自分たちの間違った対応について、公開の文書を出しました。これが、僕にとって、性差別問題にかかわるきっかけでした。僕も学生運動をしていたぐらいですから、「性差別はいかん」と頭ではわかっていたわけですし、また、自己批判をしたということで、当時のウーマンリブの活動家の人たちから「あなたも反省したのだから、私たちと一緒に頑張りなさい」と誘われることになりました。こうして、リブの人たちと一緒に行動したり、学内でおこった性差別問題に関しても、男性の立場から取り組むようになりました。

大学院に進んだとき、小説をめぐる研究会というのに誘われました。そこで、何をやるかを決めるとき、男性性の問題をやろうと考えたわけです。それまでの性差別問題とのかかわりもあって、女性差別問題に対応した、男性というジェンダーという視点もあるはずだ、と気づいたわけです。当時、僕はイタリアのファッシズムの研究をしていましたので、「男らしさとファッシズム」という観点から論文を準備しました。1970年代末のことです。国際的にみても、この時期の男性学・男性性研究というテーマ設定は、相当早いものだったと思います。こうしたことを考えついたのは、やはり、糾弾されたときの学習や、リブの人たちとの共同の経験だったと思います。特に、性差別問題に取り組むなかで、女性の問題を、男性側から考えたということが大きかったと思います。女性との関係のなかでは、男性は性差別をする側に多くの場合立っていますが、男性が抱えている性にかかわる問題もあるのではないかという発想が生まれたわけです。中村さんと同様に、女性たちの運動と一緒に動くなかで、男性の問題に注目するようになったというわけです。

わりと早い段階で男性性研究に手をつけたのは事実なのですが、男性運動として動き始めるのは、中村さんが紹介されたように、1980年代末になります。女性たちと一緒に男性の問題を考える集まりがあり、そのなかで、何人かの人たちとメンズリブ研究会を立ち上げようという動きがあって、このような活動を一緒にさせていただくようになったのです。

僕の場合、男性学・男性性研究はもちろん継続していますが、最近は、男女共同参画=ジェンダー平等政策をめぐる政策提言の仕事の方に、ちょっと重点が移り始めています。もちろん、今回のように、これまで一緒にやってきた男性問題についての活動も継続中ですが、このところ、70年代のぼくに戻って、女性問題も視野に入れたジェンダー問題に関わることが増えてきたなという状況になっていると思います。


(中村彰)

女性たちの抱える問題をあぶりだす講座、女性たちが主体ではありますけれど、そこに男性が混ざっておられる講座をめぐらせていただきました。当時ですと、大阪府立婦人会館、大阪市立婦人会館などで、精力的に講座が開かれていました。正規の申し込みをしないで、もぐりの聴講をしながら そこでいろんな刺激を受けました。都市近郊農村に生まれ、伝統的価値観が濃厚な環境で育ち、ごく普通の男性目線で生きてきた私にとっては、これまでまったく見えてこなかった視点、角度から照らし出された問題は、すごく新鮮で、目からウロコ状態でした。

そういう講座に参加し女性運動に関わる男性が居られました。私が消化不良をおこしてしまったのは、女性問題を語る男性の視点に馴染めないと感じたことがあります。当時、女性から、いろんな問題を指摘されます。先ほど伊藤さんが話されたストリップもそのひとつですが、そのとき、「男たるもの……」という一般論的な論点とともに、「男性であるあなたの問題」という部分があります。むしろ、女性運動で強く求められたのは、男性一般というよりも、「男性であるあなたはどうなの?」という指摘の方が強かったと考えています。問題指摘されたことに、自分も批判される要素を持っているのか、そうではないと自信を持っていえるのか。自問自答が必要だと思いました。なのに、その問いかけを棚上げして、優等生ツラで「○○は女性差別だ」発言されても、男性にも女性にも響いていかない。

メンズセンター( Men’s Center Japan )で、男たちに発言を求めるとき、「I(アイ)メッセージ」を大切にしています。「我々は……」と安易に一般化せず、「私は……と考える」「私は……と認識している」「私は……と感じる」と、一人称で、私を主語に語ることを基本にしてきました。

女性たちが突きつけた男性の側の問題について、自分の問題として、深く見つめなおすこと、模索していくことが大切と認識しています。そういう模索を一緒にしていける仲間との出会いが、メンズリブ市民運動へ私を押し出していきました。

私も各地の行政の審議会や講演に出向いたとき、また、すてっぷ館長という立場にいますから、「男性の側に視野を置きながら男女共同参画とかジェンダー平等の提言とか政策立案」という立場は、伊藤さんと共通しています。

すてっぷ館長を引きうけ、男のフェスティバルを開催したことで、「男性館長になったから男性問題ばかりに力を入れている」と批判を向ける女性がいますが、とんでない話です。館長不在が長く続いていましたから、どうしても手薄になりがちだったことに力を注いでいます。まさにジェンダー平等の推進をさらに推し進める取り組みですし、これまで手がけてこなかった問題をクロ-ズアップさせたことのひとつが、今回の「男のフェスティバル」であったに過ぎません。ほかの問題を軽視しているわけではないのに短絡的な批判をする人たちがいます。視野が狭い人たちです。

 この分野に長年にわたり関わっておられる方にとっては、メンズリブとか、男性運動とか、男のフェスティバルという名前について、それなりに理解していただけると思うのですが、「すてっぷ」に初めて来たとか、この分野の集いに初参加ですという方には、その言葉そのものも馴染みが薄いと思います。伊藤さん、メンズリブとか、男性運動とかという言葉の解説をお願いしていいですか。


メンズリブ・男性運動とは


(伊藤公雄)

メンズリブとか、男性運動とかという言葉を説明しろということなのですが、どこから話そうかな。中村さんの話とも絡むのですが、男性の立場からジェンダーの問題にかかわるようになったわけですが、最初はすごく誤解されました。もちろん、そこには理由があるのです。たとえば、アカデミズムの領域で女性がなかなか進出できない状況が日本では続いています。その意味で、ジェンダーの分野は、女性が開拓してきた新しい領域として、女性の活躍がしやすい分野だったのです。その分野に、男性のぼくがしゃしゃり出てくるというのは、女性がせっかく作り出した領域を男性が奪うようなことにもなりかねない。それだけではなく、そもそも、女性たちには、男性たちに根強い不信感があった。1990年代のメンズリブの初めのころだったと思います。公然の場で、女性の研究者から、「物わかりのいいこという男が、いちばんあぶないのよ」と、何度も言われた経験があります。実際、そういうケースも多いのではと思います。ぼくの場合、女性からの批判の正当性は理解しつつも、男性の側からのジェンダー平等を考えたいということで、つらいこともありましたが、まあ、頑張ってきました。同じように、メンズリブという言葉も、しばしば誤解されました。実は、この言葉については、最初からぼくたちにもとまどいがありました。実際、グループたちあげのときは、「メンズリブ研究会(仮称)」と名乗りました。(仮称)という言葉を添えたのです。それは、やっぱり、メンズリブという言葉が誤解をまねくかなという危惧があったからです。実際、東京で、「メンズリブ」は、男性がわがままをいう運動、つまり、男性解放というのは男性が自由気ままに生きる運動だと位置づけて批判されたこともあります。

メンズリブのリブは、確かにリベレーション(解放)ということです。でも、この「解放」は、男が勝手に生きるということではなくて、男性が無自覚に背負いこんできた過剰な男らしさについて、冷静に見つめ直して、その縛りから自由になりましょうという意味合いだったと思っています。今では、あちこちにメンズリブ研究会ができたこともあって誤解は解けていると思いますが、メンズリブという言葉が、当初は、いろいろ誤解されやすい言葉だっただろうと思っています。メンズリブは、もう一度定義するとすれば、先ほども言いましたが、固定的な男性性から解放されるということです。


(中村彰)