ひとをたすけるということ | タダのブログ:ネット内外からいろいろと

ひとをたすけるということ

ここしばらく、糸柳氏という人と、荻野氏という人のやりとりについて書かれた日記がネット上で話題になってた。僕も読んだけど、
あんまりいい印象を抱かなかった(糸柳氏が自分の家から徒歩圏内なのが親近感をおぼえたぐらいかな)

それが、「ニコニコニュース:ドワンゴ社員の日記がネットで人気1位に」という記事を見て、気持ち悪くなった。
元々、ドワンゴは嫌いな会社ではなかったけど、ニコニコ動画というサービスは正直、興味が無い。ニコ厨の友達がロックマンのマッドを見て、
「すげーおもしれーよ」
て言ってる意味が分からないて思ってたし(面白いかもしれないが、そこまで興奮するクオリティとも思えなかった。中には幾つかクオリティの高いものもあるのも知ってるが、大半が素人のお遊びじゃん?)
てなわけで、会社が自社のスタッフの日記が1位になったことを喧伝する姿勢が気持ち悪いし、しかも、元々の日記もいい印象がなく、何だかなーと思っていたところ、『takの備忘録ついでに日記:弱者を支援している限り強者で居られると考える弱者』を読んで、ちょっと考えさせられたので、ちとブログ記事にしながら自分の考えをまとめてみたいと思う(感じ方は人それぞれなんで、この記事が全てじゃないてことを最初に補足しておきます)

元記事を簡単にまとめてみるとこんな感じ

1.糸柳氏の友人唯石氏がマクドナルドでネットをしていたら、見知らぬ人(荻野氏)に「仕事が無いのでそのパソコンで日雇いのアルバイトの情報を検索させてくれ」と言われ翌日ここに来るように伝えた。
2.唯石氏は面白がってskypeやtwitterで友人数十人を集めた。翌日、荻野氏がやってくる。荻野氏は見知らぬ人に囲まれ、自分の状況を把握することも出来ない。周囲は、とりあえず現状を把握しようと質問する。
3.住所未定だと仕事にならないので、荻野に我が家に住むよう言う糸柳。荻野は財布と身に着けている衣服を除き一切の荷物を持っていなかったため皆でカンパをして安い衣服と安価なノート型パソコンも一台買い与えた(買い物の最中荻野は終始無言だった)

見知らぬ人に安価であれノートパソコンを買い与えるのはどうなんだろう?俺の価値観で言えばそれは無い。買い与えるから剛毅であるとか他人に優しいとか、そういう問題ではなくて、その感覚が理解できない。ドワンゴの社員ともなればお金に余裕があるのだろうか?(お金に余裕があっても見ず知らずの人に施す分量としてはおかしいように思う)。
話は続く…

4.糸柳氏の家で、友人の一人が荻野に千円を渡してメモ帳とボールペンと飲み物を数本買いに行かせた。
5.なかなか帰ってこないので、周囲を探したらいた。が、言い訳が要領を得ない。
6.翌日、不動産屋から糸柳氏にクレームが入ったりするのだが割愛。荻野氏の不審ぶりが描かれている
7.その翌日、荻野氏失踪。さらに翌日も戻ってくる気配なし。さらに翌日、何もなかったように帰ってくる。理由は訊いていない。

この後も、荻野氏は糸柳氏に迷惑をかけまくる。そして、徐々に荻野氏がどういう人間か分かってくる。愛知から出てきて、東京で何か大きなことをやりたかったことや、何らかの犯罪を過去に起こしていて、保護観察処分中であることも分かってくる。
ここで、糸柳氏の過去の話が入ってくる。彼自身、精神病で閉鎖病棟に入院していた過去があり、また病院の仲間が4人死んでる事実が描かれる。
俺が病院の仲間のうち四人のように死んでしまわなかったのは、その時の上司が俺の面倒を見てくれていたからだ。俺は退院後その上司の家に一ヶ月住み、まるで人間とは思えないような異常行動と支離滅裂な発言を繰り返す俺に対し、「お前は元に戻るから、もう少し生きろ」と常に言っていた。内臓の全てが狂って腹の中を動き回るような異常な感覚に襲われて地面でのたうち回っている時には後ろから全身を抱くように締め付けて抑え込んでくれたし、俺が少しでも思考力を恢復して長い言葉を言えるようになる度に「よくなったじゃねえか」と言ってくれた。
荻野には誰もいなかったのだ。そしてそのような者が死んだ前例が、俺には四人もあった。


糸柳氏は強かったんだと思う。そして、彼を支えてくれた上司がいたことは幸いだったのだと思う。ただ…、誰も彼もが糸柳氏にはなれないし、その上司にはなれない
それは、僕自身、身をもって経験してる。過去に糸柳氏のように精神的にボロボロだった人に対し、その上司のようになろうと頑張った時期がある(実の妹が数年間引きこもりしてた事もあって何かできるかと思ったのだ)。仕事が終わって、その人の家に行き、荷物や靴を隠され、終電ギリギリまで辛抱強く話したものだった。
で、その時に、『他人を救おうとするのは無理だし、できると思うのは傲慢なんじゃないかな』という風に結論付けた。助けようとする気持ちはとても大事だし、崇高なものだけど、精神の病は、(たとえ経験者であれ)うかつに手を出せるシロモノじゃない

最終的にこの荻野は、自転車を盗んで捕まって、糸柳氏が身元引き受けを行ったりするのだが、荻野はその恩に応えるどころか、どんどん酷くなっていく。

最後に、糸柳氏は、こうしめくくってる。
荻野を警察に引き渡してから二週間以上が経つ。誰もが荻野を見捨てろと言った。しかし同じ基準で言うならば俺も見捨てられてしかるべき存在なのであり、もし俺の精神が再び以前のように破綻してしまった時、周囲の人間は俺を確実に見捨てるのだということがよくわかった。なにしろ俺は荻野と同じで治るとは限らない。俺は随分前から、病院で「治りますよ」と言われなくなっている。俺は見捨てられる。精神の筋力を具えない者は、そうであることを理解されないまま精神の筋力を具えた者の基準で扱われ、病気ではなく、ただの怠惰、無能、終には気狂いとして打ち捨てられていく。

もし、自分が糸柳氏の友達であったなら、荻野氏にかかわることは止めていただろう。理由は簡単だ。人は人を救えないから。救えたとしたら、それはたまたまであり、誰もがそうできることじゃないから。
だからといって人を救おうとする気持ちはムダじゃない。だけど、その気持ちは誰彼構わず行うべきじゃない。見知らぬ荻野氏に手を差し伸べるのは違うと思う。
僕だって、友人の知人レベルに仕事探したり、お金を貸し与えたこともある(返ってきたことはないけど)。逆に、友人に助けられた事も多々ある。そうやって人の縁て凄くありがたいものだって分かってるし、それはいつまでも大切にしたいと思う。けど、同時に人と関わることって凄く凄く大変だということ。生半可に手を差し伸べるのは意味がないどころか、マイナスになる(糸柳氏は生半可に手を差し伸べたと思わないが)

僕が最初に、あんまりいい印象を感じなかったのは、その辺りに『違和感』をおぼえたから(改めてこの記事を書くために、彼の真意を読み取ろうと何度も読んでみたら、彼がふざけた気持ちで荻野氏に接していたのではないことは分かってきたけども)。
糸柳氏の過去の経験は本当に凄惨なものであったと思う。僕も含め、一般の人には理解できないぐらい苦しい過去だったと思う。そんな彼が自分の過去と被ってみえた荻野氏を救いたいという気持ちは無碍にできないものだと思う。けど、周囲の人は何も思わなかったのだろうか?見知らぬ人にノートパソコンを与える行為がやりすぎと思わなかったのだろうか?見知らぬ人を家に連れて行くのはやりすぎと思わなかったのだろうか?

先述の、『takの備忘録ついでに日記:弱者を支援している限り強者で居られると考える弱者』では、以下のようにまとめられていた。
どんな心の病を抱えているのかわからない人間に道徳を説いたり「頑張れ!」なんて言うことがどれだけ意味が無くて、ともすれば逆効果なのかを、入院歴のある人が知らないとは思えないんだけど。その程度のことも飲み込んで対応できないのなら、最初から人様の人生に関わるんじゃないよ。
本気で荻野氏のような人の社会復帰を祈っているのなら、出来ることは他のところにあるはずだ。ひたすら今の自分に与えられた仕事を邁進し、税金を沢山納め、きっちりと選挙で一票を投じることだ。余力があればしかるべき団体に寄付をするのもいい。それでいいんだよ。

本当に、救済しようと思ったらキリがないんだよね。で、何が出来るんだろう?て考えた時、しっかり生きることしかないと思う。その中で、近しい人を大切にして、その気持ちを少しでも受け渡していくことができれば、幸せだと思う。

少なくとも僕には、見知らぬ人にそこまで出来ないだろうな、て思う。
そして、それが平均的な世間の感覚であるように思う。もし、糸柳氏の周囲が全員平均的な感覚から外れていたのなら仕方ないが、そうでないのであれば、やはり、最初に感じた『違和感』感は拭いきれないのである。
さらに言うなれば、ドワンゴがそのブログを喧伝することに対しても、ね(まぁ、会社が社員のブログを推奨してるてのは羨ましいけども)

別に彼らの行動を否定する気もない。
ただ、自分の中に感じた違和感をまとめてみただけのこと。
もしかしたら、荻野氏を社会的に救済できたかもしれない。そしたら、美談で終わっていた話かもしれない。

その時、僕は、今回のような違和感を覚えただろうか?




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