※本ブログはシリーズ物になっている為、ぜひ最初からお読みください。


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※前回の記事の続きです 


太陽光パネルやmR●Aワク●ンなどに共通する社会病理は色々とあると思うが、

オルテガや西部邁氏などが「大衆」と呼ぶタイプの人々は、
自らの理性への懐疑というものを一切しようとせず、

「太陽光パネルは環境に優しい」
「厚労省が推進しているのだから、ワクワクは安全である」

─などと、世間一般で常識とされている空体語を、
無批判に受け入れてしまうことも非常に問題であると思う。


人間の理性への懐疑の重要性を説くために、ソクラテスの話をしたい。

古代ギリシャの哲学者であるソクラテスは「無知の知」の話は超有名なのでご存知の方も多いであろう。


ある日のこと、
ソクラテスの友人はアポロン神殿において神に
「ソクラテス以上の賢者はいるでしょうか?」と尋ねた。
神からは「ソクラテス以上の賢者はいない」という神託が返ってきたという。

ソクラテスの友人から、その話を聞いたソクラテスは、
自分が賢者ではない、という自覚があるため非常に驚いた。

そして、自分を試すために、
知識人や専門家と呼ばれる人々との対話を試みていく。

だが、様々な知識人達と話をしても
彼らは自分では究めたつもりになっていた知識自体を、
実はあまり理解していないことがソクラテスにはわかってしまった。

こうした経験を経て、彼は神託の意味を「知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、
知らないことを知らないとちゃんと自覚している自分の方が少しばかり賢い」
という自覚ことを指しているのだと理解したのである。


(続く)



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