76年前の7月6日の深夜から7月7日未明にかけて甲府空襲がありました。
私の母は当時甲府市街地の戦火の激しい湯田町に家族で住んでおり、その時の話を子どもの頃、また今も話てくれます。
甲府市立湯田小学校近くに住んでいた母は、寝ていたところ空襲警報とともに父(私の祖父)に起こされ、家族6人で大田町公園(遊亀公園)に避難しようとしましたが、「そっちはもうダメだ」との指示に避難先を荒川に変え、焼夷弾が降る空を見上げながら必死に走って向かったそうです。
途中、火に囲まれ身動きが取れなくなった家族に祖父が布団を被せ、皆を抱き寄せうずくまって戦火をしのいだそうです。
家族6人が無事だったことが奇跡だと、鮮明な記憶とともに話てくれます。
甲府空襲により多くの尊い命が喪われました。
平和への誓いを新たに、
喪われた尊い魂に静かに祈りを捧げます。
中島克仁