1930(昭和5)年4月25日、氷川丸は横浜船渠(現・三菱重工業㈱)で竣工しました。


氷川丸は北米航路シアトル線に配船され、11年3ヶ月の間、太平洋を横断する貨客船として活躍します。(*^o^)/\(^-^*)


太平洋戦争で航路休止になるまで航海数73航海、乗客数延べ1万人、氷川丸の生涯の中で最も華やかな時代でした。(^∇^)



船が海外へ渡る唯一の交通手段だった当時、氷川丸にも多くの著名人が乗船しました。
 

映画「街の灯」の完成後、日本を観光で訪れていたチャーリー・チャップリンは1932(昭和7)年6月2日、横浜から氷川丸に乗船して帰国の途に就きました。(*^o^)/\(^-^*)


1937(昭和12)年10月2日、天皇の名代として英国王ジョージ6世の戴冠式に出席した秩父宮雍仁親王、勢津子妃が帰国の際、カナダのビクトリア港から横浜まで氷川丸に乗船しました。


講道館柔道の創始者、嘉納治五郎は1938(昭和13)年3月、カイロで開かれたIOC総会に出席し、柔道普及活動を行っての帰路、4月22日にバンクーバーから氷川丸に乗船しました。



1937(昭和12)年に日中戦争、1939(昭和14)年に第二次世界大戦が勃発します。


以来、戦局の拡大とともに遠洋航路は次々と休航に追い込まれます。 (;´д`)


シアトル航路は同年8月17日、休止となり、1896(明治29)年に開設以来、45年間の歴史に幕を閉じました。 (^^)


氷川丸は1941(昭和16)年7月20日の大阪帰着(第73次航)が最終航となり、同年10月引揚船として逓信省に徴用されます。


往航は日本在留の外国人、復航では海外在留の日本人を乗せ、横浜/シアトル間を往復しました。......続く