上越新幹線に乗りました。ほんと久々に。

出発時の東京はどんよりしていましたか、段々の晴れてきて大宮あたりで青空が見えてきました。初冬(それにしては暖かいしまだ、紅葉が残っている)、の関東、大宮すぎるあたりから筑波山が遠くに見えました。そしてそれからしばらくすると車窓左手に、日光男体山など遠目に見えますが、まだ雪をかぶってません。そして高崎近くになると、どんとおおきな赤城山が見えてきました。よく見えました。冬の関東平野、晴れると、名にしおう名山があちこちみえるのですよね。


赤城山、かつて国家公務員に採用された時、私たち地域ブロック単位の出先機関採用組(当時の国家2種採用)も大卒は全国から一斉に集まって研修でした。自分の地方局だけだなく、全国の同じ省庁の下にあるあちこちの組織の新規採用組が一同にあつまるのです。

最初の10日間は、東京の高田馬場の研修所。初めて出会う全国の同期とすぐに打ち解け、新宿や髙田馬場に毎日研修後にアフター繰り出す日々。多分前半の講師の多くが本省の課長補佐官だったので東京だったのでしょう。

そこが終わるといきなり、赤城山の山腹にある国立赤城山青年の家に10日。青年の家はタバコの吸えないし、アルコールもダメという打って変わった環境。


その中で印象にのこってのが、赤城山登山。グループに分けての登山、あの頃のかめらは使い捨てのうつるんですのカメラでしてが、みんな採用先に帰った後交換したら、研修所からも送ってきました。


あの時とった沢山の写真はまだ持ってます。あの時集まってまた全国に散った同期達は、その後本省時代がかさなり香霞ヶ関で勤務したら、寮が一緒だったり、あるいは20年後に仕事の調整先になったりと振り返ると有意義な研修でした。全国のいろいろな機関に自分と違う職種も含め同期という顔見知りがいたのは助かりました。

官庁というのは、キャリアと呼ばれてる一種は本省採用なので、研修なども、昔も今も全省庁合同、そして、自分の省庁で合同でやってます。しかし我々の今の後輩達は、省庁再編で、とにかく所帯が大きくなってので、九州とか中国てまとまって研修していますが、みんな同じ地方局のみ、同じような仕事をする他地方の地方局や全く違う畑の組織との繋がりがもつ機会が無くなってます。


話は赤城山登山に戻しますが、たしか8人で班で登り下山にみんな疲れながら撮っていた写真。みんな今何したいるかなあ?

1人は、私と同じ地方局のさらに同じ土木系採用。同期のトップを走ってましたが、数年前癌で現役で亡くなりました。また

同じ九州を所管していた他局から来ていた事務官だったT君。かれは、九州大法学部出身でした。私のいた組織は、ノンキャリアは九州大は絶対に採用しないところだったので(九大生は、一種職今でいう総合職にも受かりますがそれと二種今の一般職にも沢山実は合格します。ただ私のいたところは九州大生はキャリアで先輩が沢山いるから、地方局受けに来てもみんな落とすと撤退してましたから。

このT君、6年後くらい、28歳で心筋梗塞で突然亡くなりました。


今日新幹線で、赤城山を見えている時、あつかしくも、そして残念ながら現役で先立ってしまった彼らも思い出してました。