大変遅くなりました。
ここんところ書けなかった、被災地訪問報告。
7月末、岩手県山田町に、2回目の訪問をしました。
ちょうど1か月前の6月に山田町に行った時と
それから1か月経った山田町と・・・
どんな変化があるのかなと
不安を抱えて現地に向かいました。
今回の訪問は私個人ではなく
有志と立ち上げた
での訪問。メンバーも一緒です。
この訪問の詳しい内容や写真は
『ななわ』ホームページの活動報告で
ご覧くださいませm(__)m
こちら から。
私以外は初めて現地に行く、という方も多かったので
彼女らがどんな気持ちで現地に向かったのかな、
なんて事を考えながら到着。
1か月でだいぶ変わったな。
前回降りたときに感じた強烈な腐敗臭が無くなっていた。
この1か月で、徹底的に除去をされたのだと思う。
そういう地道な作業をされる方に改めて敬意を表したい。
そして、前回にはなかったこんなものがあちこちに。
プレハブのコンビニエンスストア
徐々に徐々に、普段の生活に戻りつつある。
正直、これを見てウルウルしてしまった。
コンビニでご飯を買って、あたためてもらえる。
これって当たり前の事じゃない、
ありがたい(=有り難い)ことなんだな。
避難所到着。
前回同様、お世話になりました山田町役場の箱石さまが
チラシをつくってくださっていました。
毎度、感謝感謝です。
コーディネートしてくださる方のおかげで
避難所で紙芝居ができる。
この1か月で、避難所の生活は大きく変わろうとしていました。
この日は、避難所から仮設住宅への引っ越しのピーク。
あちこちで、ダンボールをかかえ、車に乗り込み、
避難所から仮設住宅へ引っ越しされる皆様が
丁寧にごあいさつをしていた。
表情も明るい。
避難所に残っている人たちも、
引っ越しする方々の荷造りや荷物運びに精を出す。
理由はどうあれ、何かの目的をもって体を動かすとか
働く事って大事なんだな、と改めて感じた。
きっと、寂しいんだよね。
ずっと一緒に生活してた人が少しずつ離れていく。
でも、それは嬉しいことだし復興の証。
結局、織笠コミュニティーセンターでは、
紙芝居をするだけの人がいなかったので、
私は、メンバーの数人と、近くのお祭りやイベントがないかどうか
紙芝居をできる場所探しを始めました。
そこで見つけたのが、
「なかよし通り商店街」という、仮設テントに設けられた商店街。
山田町の皆さんが生活用品やお菓子を買いに行く
ミニ商店街。
こちらで、カブトムシを配布するイベントをやっているという。
そこに子供たちがいるはず!!
と、早速向かう。
そしたら・・・
子供たちがカブトムシやクワガタの被り物で遊んでいた!
よし!ここで紙芝居をやろう!
と、商店街のご担当者の方と約束を取り付け、
再び避難所へ。
行く先は、山田高校。
前回の訪問ではまだまだたくさんの人がいたけれど・・・
この1か月で、どれだけの人が避難所から仮設住宅へと
移動されたのか・・・。
再び山田高校へ向かうと、
半分近くの人が仮設住宅に引っ越したみたい。
体育館には空きスペースが結構ありました。
前回の訪問を覚えてくださってた方が結構いらっしゃって
「あら、こないだの紙芝居の!」
なんて声をかけてくださる。
ここでは、先に活動してた【ななわ】のメンバーと一緒に活動。
前回は紙芝居をする場所がなく、
皆様の居住スペースを回りながら行なった
苦肉の策「ラウンド紙芝居」でヘトヘトになったなっちゃんでしたが、
今回は紙芝居を見てもらえるスペースをつくっていただき、
中学生の女子と一緒に。
私のイラストを可愛いと言ってくれた!
そしてそして、先ほどの商店街に戻る。
商店街の中のテントで紙芝居をさせていただいた。
ヤジをとばされ、
わたしもヤジを返し(^^;
久しぶりに声をガンガン飛ばして紙芝居をしました。
「子供たちがずいぶん元気になったなぁ」
「皆の表情が全然明るくなったなぁ」
紙芝居やりながら、前回の山田町訪問の時と
雰囲気も空気もまったく違うことに気が付いた。
復興が進むということは、
ただ単に、瓦礫がのぞかれるとか
臭いがなくなるとか
そんなんじゃないんだよね。
人がいて、町があって、コミュニケーションが成り立って
子供たちが元気に笑って、
大人が働いて、生活が生まれて、
そこで復興への道しるべができあがる。
その道しるべに立たせていただいた気がしました。
なかよし通り商店街の皆様、
お忙しい中、商店街のスペースをお借りして
紙芝居させてもらいまして
ありがとうございました!!
2回目の山田町訪問最後は、
「青少年の家」
こちらで最後の紙芝居。
日曜日ということもあって人がいない・・・
でも、食堂で紙芝居させてもらうことを
アナウンスすると・・・
おとうさんおかあさんがたが集まってくださった。
10人以上はいらっしゃったかな。
そこで、おとうさんおかあさんがた向けの
「かさじぞう」を、心を籠めて、演じました。
かさじぞうは、私が初めて紙芝居で見たお話だから
ものすごく思い入れも思い出もいっぱい。
私の故郷・金沢と、東北は同じ雪国ということもあって
東北で「かさじぞう」を演じるのには
気合が入ります。
演じながら、皆様の表情が緩んでいたのを感じて
途中泣きそうになりましたが、グッとこらえて演じました。
今回は【ななわ】での訪問。
元気だったり、落ち着いていたり、いろんな場面での紙芝居で
山田町の皆さんとまたひとつ、お近づきになれた。
確実に、このヒトツキで変わった。
町は動いでいる。人はもっと動きたがっている。
この変化を直に感じて、
私自身、これからはもっと前を向いた活動をしていこう。
そして、はじめてこう思った。
「そろそろ・・・避難所ではの紙芝居は終わりだな。」
そう。
震災後、茨城県ひたちなか市の避難所で紙芝居をしたときに
「避難所がなくなるまで紙芝居で被災地を回り続ける」
と決意して、5か月。
やっと、そのお役目が終わりを迎える日が近づいた。
それは本当に嬉しいことであり、安心することでもありました。
何を言われても続けてきた自分の一区切りが見えた瞬間でした。
勿論、支援はそれで終わりなんかじゃない。
まだまだ終わってなんかない。
でも、やっと、最初の決意が実を結びそうな気配を感じた
岩手県山田町、2回目の訪問でした。