永遠の微調整 | 心と身体をつなぐもの

心と身体をつなぐもの

身体が緩むと心も緩む
そんな感覚を大事に日々の気付きを書いています

このところ、選挙関連の記事を読んだりすることが多かったのです。
 
保守とか革新とかリベラルとか左とか右とか
ちゃんと意味が取れていないとよくわからないな、と思っていたら、こんな記事を見つけました。
すごくわかりやすい!
 
「リベラル」の逆は「保守」ではなく・・・
歴史に耐えるものさしで、中島岳志さんと現代日本を読み解く政治学
 
 
 
 
 
 
 
記事にある通り、
本来の「保守」というのは
革命ではなく「永遠の微調整」。
変えていくのは徐々にしなければならない。
劇薬は反動を生み出す。
という考え方。
 
「自分も完全ではない」という認識があるから、
いろんな人の意見を聞いて、「議論」「対話」を重視する。
たくさんの人がいれば、意見が全く同じということはあり得ない。
少数者の意見であっても、なるほどと思えれば、それを反映して
合意形成していく。
 
 
 
そして「リベラル」の態度は「寛容」と「自由」
「リベラル」の反対は「パターナル」(権威主義)
パターナルとは、こうあるべきだ、という断言をする態度。
・日本人ならこうあるべきだ
・この問題はこう考えなくてはならない
という、上から決めていく態度。
 
これは、物事を単純化することで
良いか悪いか、善か悪か、イエスかノーか、
決めつけて、違うものを切り捨てることになる。
 
「分かりやすさ」と「単純さ」は違うけど、
混同してしまいやすい。
分かりやすさとは丁寧に説明を尽くすこと。
単純さは断定、断言すること。
 
 
また、リベラルが行き過ぎてしまうと、
「これが正しい自由だ」というパターナルな態度になってしまうから。
極端な態度に引きずられないこと。
 
 
 
 
 
 
この「保守」とか「リベラル」って政治の言葉かもしれないけど、
言葉の意味を考えていくと、
日常の生活態度、考え方と同じなんだ。
と、改めて政治は生活の一部だなと思いました。
 
 
自分自身の意見も、ちゃんと声に出す。でも
自分も完全ではない、という謙虚さで、違う意見も耳を傾ける。
単純化するのではなく、わかりやすく丁寧に説明をする。
そして意見の違う他者とも、共存できる方法、方向を探っていく。
永遠の微調整って地味だけど、これが結局確実なのではないかな。