修習生・弁護士との第1回名古屋・愛知見学ツアー | 名古屋市,愛知県の弁護士・税理士|より良いサービスを目指して経営品質を学ぶブログ

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代表弁護士 浅野 了一

 

 
2015年2月1日(日)に、採用内定の司法修習生3名と新入弁護士2名、新入事務スタッフ2名の計7名と所長の私と総務スタッフの9名で第1回名古屋・愛知見学ツアーを行いました。
 

 

1 目的は、名古屋・愛知の歴史、地理、風土、産業を知っていただくためです。
 
採用内定の司法修習生3名と新入弁護士2名、新入事務スタッフ2名の計7名は、全員が名古屋・愛知の出身ではありませんでした。
特に、弁護士・司法修習生には、名古屋・愛知の歴史、地理を知っていただきたかったのです。
 
私は、10人乗りのレンタカーを借りて運転し、濃尾平野南部地域を一周しました。
私がガイドしてご案内しました。
 
今年は、交通事故専門サイトをオープンして、地域の皆様からご要望のありました交通事故の本格的取扱いを開始します。
名古屋都市高速道路、伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道などを通り、濃尾平野南部地域の交通事業を説明しました。
 
当事務所の交通事故専門サイトはこちらです。http://nagoya-kotsujiko.com/
 
 
名古屋・愛知が初めての方に、古代の東海湖、その後の隆起により濃尾平野ができ、濃尾平野がいまでも西で沈下し東で上昇していること、周辺人口を含めれば人口1000万人が生活するこの濃尾平野の地形、産業を知っていただきたかったのです。

そのあとで、名古屋城・徳川美術館・熱田神宮・大須観音を見学しました。

名古屋城は、約400年前徳川家康により作られました。当事務所は、名古屋城下の中心であった南北の本町通りと東西の伝馬町通りの交差点の近くにあります。

 

 

 
 
清洲越し(きよすごし)とは、慶長17年(1612年)頃から元和2年(1616年)までのころに行われた、名古屋城の築城に伴う清洲から名古屋への都市の移転をいう。これにより、名古屋という都市が誕生した。(清須越しについて ウイキペディアより 引用)

徳川美術館は、徳川美術館は、徳川家康の遺品を中心に、初代義直(家康九男)以下代々の遺愛品、いわゆる「大名道具」1万件余りを収める美術館です。

 
 
熱田神宮は、名古屋市熱田区にある神社。式内社(名神大社)、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。
 

 

熱田神宮の歴史は、天皇家と尾張国造の尾張氏との姻戚関係に基点を置くものです。
その後の、飛鳥・奈良・京都と移る中央政権と尾張国との経済関係・姻戚関係の重要性を窺わせるのです。

 
大須観音は、名古屋市中区大須にある真言宗智山派の別格本山。宗教法人としての公称は「宝生院」だが、一般には大須観音の名で知られる。日本三大観音の1つとも言われる観音霊場である。
 

 

 
寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」がある。 (大須観音について ウイキペディアより 引用)
 
 
 
北野新地の遊郭―現在も残る大須観音の北、清安墓地の南、大光院墓地の西の区画である。これが、後の旭遊郭の直接の起源だ。
明治7年に県令(現在で言う県知事)鷲尾隆聚が、「日出町近傍を遊所の区劃と定め」、同年の12月15日以降に飯盛女の娼妓稼業が正式に認められるようになって以降である。
「正式に認められて」、だから、それ以前も非合法の娼妓は当然存在していたのだろう。ただ、翌8年には、昔ながらの遊郭は、大須観音の堂裏、堀川以東の五ヶ所に移転させられたようで、
正しくはこの時点をもって、大須界隈の遊郭を旭遊郭と呼ぶようになったらしい。( 旭遊郭展望 http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Town/yukaku_history.htm より引用)

お寺の周りには、遊郭ができます。出来る理由があるからなのでしょう。

 
 
大須の悲しい歴史です。江戸時代、家族を担保にした金貸し業者から妻や娘がお寺の周りの遊郭に売られていきます。
名古屋の一大遊郭となった旭遊郭には多数の娘が売られてきました。
江戸時代、生きて遊郭から出られる人は少なかったようです。

 
今思えば、とても不思議です。そんなに簡単に家族を担保にして借金出来ることが。
江戸時代、戸主権は絶対だったのです。妻や娘を売ることができたのです。
 
明治でも、昭和でも、第2次世界大戦が間もなくまで、戸主権は絶対でした。
第二次大戦後も妻や子供は遊郭に普通のように売られていたのです。
 
 
社会の常識がこれだけ大きく変わるのもまたとても不思議です。

私は、何が社会の常識か、またそれは正しいのかを、絶えず疑問に思うことも、法律業務を遂行し、依頼者の正当な利益を擁護するために必要なことと思うのです。



2 東海湖、濃尾平野

東海湖
 
濃尾平野は千数年前浅い海が広がっていたところ、数百年前、今の濃尾平野を含む広い地域が沈降、盆地化して東海湖という大きな淡水湖ができたといわれています。この東海湖が隆起し、名古屋台地などが形成されましたが、名古屋台地の北と西、そして南の濃尾平野の広い範囲が海でした。

濃尾平野
 
濃尾平野は、岐阜県(美濃)南西部から愛知県(尾張)北西部にかけて広がる平野である。地質学的には木曽三川(木曾川・長良川・揖斐川)により形成された沖積平野であり、その土壌は肥沃である。西は伊吹山地と養老山地、東は尾張丘陵、北は両白山地に囲まれ、南は伊勢湾に面する。南西部は伊勢平野とつながっている。

地形
 
木曽三川下流では後背湿地が広がり、海抜0m以下の地域もある。有史以来、水害がしばしば起こったため、集落全体を堤防で囲った輪中が鎌倉時代以降作られた。この地方にだけ見られる独特の構造物であったが、明治時代に入って木曽川、長良川及び揖斐川の三川の大規模な治水事業により水害は激減したため輪中の必要性は薄くなり逆に道路交通に支障をきたすとして多くが削り取られたり取り壊されたりした。また戦争中の食糧難によって比較的上流にある輪中は次々に田畑にされ、現在は殆ど残っていない。 津島、名古屋、熱田等の旧市街地は小高い台地の上にあり水害に遭いにくいが水運に恵まれた場所が古来より栄えていた。
 
濃尾平野の地形は、大別して北東部の美濃加茂市等に見られる木曽川河岸段丘群、各務原市等にみられる扇状地地域、濃尾平野中央部の氾濫原地域及び伊勢湾沿岸の三角州(干拓デルタを含む)地域に分けられる。
 
濃尾平野の西端には養老断層があり、この断層を境に西側は隆起して養老山地となり、東側は沈降して木曽三川が流れている。
これにより、濃尾平野の地下には西側にむかって傾斜する構造が見られる。このような現象を濃尾傾動運動と呼ぶ。
 東濃丘陵から流れ出る木曽川、郡上の谷から流れ出る長良川は、濃尾平野に出るとこの傾斜により、西に流れを変え、養老断層際の揖斐川へ向かって流れる。水量の多い三川が平野の西側に集中し、水害が多くなる要因となっている。
(濃尾平野についての説明は、ウイキペディアより引用)




 

3 第1回名古屋・愛知見学ツアー スケジュール

日時・・・ 2015年2月1日(日)

見学場所・・・ 濃尾平野南部地域一周・名古屋城・徳川美術館・熱田神宮・大須観音

行程・・・
        9:30  事務所集合
             10人乗りバン(レンタカー)で濃尾平野南部地域一周、途中の伊勢湾岸自動車道長島パーキングで小休憩
             名古屋都市高速大高線→名古屋南JCT→伊勢湾岸自動車道→長島IC出口→東名阪自動車道長島IC入口→東名阪自動車道名古屋西JCT→名古屋都市高速万場線→都心環状線丸の内出口

        移動

        11:00 名古屋城(入場)
        12:00発

        移動
        12:15 徳川美術館(入場)
        13:00発

        移動
        昼食
        14:10発

        移動
        14:30 熱田神宮
        15:00発

        移動
        15:15 大須観音
        15:30発

        移動
        15:45 事務所到着 解散

 

 

弁護士法人名古屋総合法律事務所は、中堅中小企業法務(不動産法務を含む)・相続・離婚・交通事故・債務整理の 5分野に特化した専門法律事務所です。

 

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