なごやんのBCL史(55)氷河広がるキリマンジャロ | なごやん

なごやんのBCL史(55)氷河広がるキリマンジャロ

 今日は「番外」を挟む予定で、ドラフトもできていたのですが、「番外」を後に回し、第55回をアップします。


 アフリカの放送局は総じて受信状態があまりよくなく、熱心に聴いていたのは数局に過ぎませんが、その中では苦労しながらよく聴いた局のひとつがタンザニアの放送です。


【背景】

 アフリカ東部、赤道のやや南に位置する「東アフリカ」は19世紀終わり頃にはドイツの植民地でしたが、20世紀に入ると北西部のルアンダ=ウルンジはベルギー領になり、東アフリカの大部分を占めるケニアタンガニーカウガンダと島嶼のザンジバルは英国が支配していました。


 この地域が大きく動くのは第二次世界大戦後のことであり、特にアフリカで独立機運の高まった1960年からはその動きが活発化し、1961年、大陸部のタンガニーカが、そして1963年にはザンジバルが独立しました。

 ザンジバルでは独立後に政変が起き、結局、タンガニーカと併合して、「タンザニア連合共和国」が成立しました。この併合に大きな役割を演じたのがタンガニーカ首相のジュリウス・ニエレレで、タンザニアの初代大統領になりました。

学校地図にみるタンザニア


 タンザニアは他のアフリカ諸国の多くがヨーロッパ宗主国の言語(フランス語、ポルトガル語等)を公用語とする中で、現地のスワヒリ語を国語とし、国のアイデンティティを保持しました。


 現在の首都は内陸部のドドマですが、最大都市は海岸部のダルエスサラームです。

タンザニアの位置


 北部、ケニアとの国境にあるキリマンジャロ山は日本の富士山同様、どの山脈にも属さない独立峰で、多くの登山客が訪れ、タンザニアの観光産業を支えています。


 キリマンジャロ山は赤道に近いところにあるにもかかわらず、標高が高いため山頂には氷河がみられます。ただ、地球温暖化に伴い、氷河の面積は減ってきているようです。


 キリマンジャロ山麓で栽培されるコーヒーは独特のコクと酸味で、とりわけ日本では人気があり、私の好きなコーヒーでもあります。

新幹線のコーヒー「キリマンジャロ」


【タンザニアの声】

 そのタンザニアには「ラジオ・タンザニア」という放送局がありました。当時の首都、ダルエスサラームから指向性なく送信していました。一部は周辺諸国へビームを向けていたようですが。


 最初に聴いた時には使用言語が特定できませんでした。しかし、アナウンスで「Radio Tanzania」と言っていて、局名はわかりました。数日後、スワヒリ語放送であることを確認し、受信報告を送りました。

受信ログ(?→結局スワヒリ語)


 5月31日(日本時間6月1日)の受信レポートでしたが、送られてきた受信証の消印は7月22日です。なんと、2か月近く経ってからの返事でした。


 出力はわずか50KWです。短波とは言え、よくぞ良好な状態(SINPO-44444)で受信できたものです。

 RT(Radio Tanzania)の文字はありますが、局名は「Sauti ya Tanzania(英:Voice of Tanzania,タンザニアの声)」です。図案はヤシの木(?)に囲まれた局舎でしょうか。

「タンザニアの声」受信証


 日によって受信状態にムラがあるものの、セレステで奏でられるインターバスシグナルは独特で、それがよく聞こえる時には多少受信状態が悪くても耳を傾けたものです。


 この放送局がその後どうなったのかはよくわかりません。


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基本的には暑い国だよタンザニア⇒