傾国の美女

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脱税で摘発された中国の女優さんが

追徴課税と罰金140億円以上を先週完納したそうです。

 

この女優さんは年収49億円、

総資産500億円以上と言われているそうです。

 

いろいろ金額が大きすぎて

管理人にはよくわからない世界です。

 

さすが中国は規模が違います。

日本ではどんなに美人でも

それほどは稼げないでしょう。

 

美女といえば中国史には“傾国の美女”といわれる

美女たちが多く登場します。

 

夏の妹喜や  

殷の妲己をはじめ  

臥薪嘗胆で少し触れた顰みの西施、

笑わぬ褒娰、

物言わぬ息姫、

関わった男がことごとく死ぬ夏姫など

いずれも美貌だけでなくエピソードも個性的です。

 

彼女たちはスパイのように何か工作するわけではなく

ただそこにいるだけで周りの男たちが

自発的に巻き込まれ不幸になっていきます。

まったく恐ろしい人間兵器ぶりです。

 

しかし国を傾けるほどの美女とは想像できません。

 

管理人などは一目で骨抜きにされてしまうのでしょうか。

 

骨抜きにされて無駄な力が抜けたほうが

太極拳が上達するかもしれません。

 

現代にも“傾国の美女”と言われるほどの美女が

いるのかどうかは知りませんが

一度間近でお目にかかりたいものです。

 

太極拳上達の道

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鄭曼青先生が弟子に

「どうすれば太極拳が上達するのですか」と聞かれた時、

「謙虚であることが太極拳上達の道です」と答えられたそうです。

 

謙虚とはへりくだることです。

へりくだるといっても自分を卑下することでありません。

 

謙虚になるとは、

相手を敬って自分を控えめにする。

自分の至らなさを自覚し努力することです。

 

人から謙虚にしろと言われても

謙虚にしなければという衝動が起きなければ

出来るものではありません。

 

「誰かを打ち負かそう」とか「演武でイイカッコをしよう」などは

謙虚から最も離れた感情です。

 

先生の言葉や指導を

真摯に受け止め実践することが謙虚さであり、

「これでいい」と満足せずに「まだまだだ」と

追求し続けることも謙虚さです。

 

謙虚さとは自分の内から起こる衝動です。

武術の世界は、学べば学ぶほど

自分の未熟さが分かってきます。

 

これで良いという完成などはありません。

生涯が修行です。

 

“謙虚であることが太極拳上達の道”

覚えておきたい言葉です。

地山謙

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易経六十四卦の一つに地山謙という卦があります。

 

地山謙は艮為山と並び“君子の卦”といわれます。

 

謙は謙虚、謙遜を意味します。

 

偉い立場にいても先生だから、社長だからと威張っていては

誰もついてこなくなります。

 

君子(リーダー)は周りを導いて

力を発揮させることが役目です。

 

そのためには我が身を振り返る

謙虚さがなくてはいけません。

 

偉い立場であればあるほど

裸の王様にならないように気をつけなくてはいけません。

 

以下、地山謙の本文です。

 

謙、亨。君子有終。

彖曰、謙、亨。天道下濟而光明。地道卑而上行。

天道虧盈而益謙、地道變盈而流謙、

鬼神害盈而福謙、人道惡盈而好謙。

謙尊而光、卑而不可踰。君子之終也。

象曰、地中有山謙。君子以裒多益寡、稱物平施。

 

初六。謙謙君子。用渉大川。吉。 

象曰、謙謙。君子卑以自牧也。

六二。鳴謙。貞吉。 

象曰、鳴謙。貞吉、中心得也。

九三。労謙。君子有終、吉。 

象曰、労謙君子、萬民服也。

六四。无不利。撝謙。

象曰、无不利。撝謙、不違則也。

六五。不富以其鄰。利用侵伐。无不利。

象曰、利用侵伐、征不服也。

上六。鳴謙。利用行師征邑國。

象曰、鳴謙。志未得也。可用行師征邑國也。

 

太極拳を学ぶものは最後まで謙虚でなくてはいけません。

謙虚を貫くには摂理を知らなければなりません。

 

天の陽光や雨は低い地に降り注いで潤すからこそ

地は熱や蒸気を天に還して大いなる循環が生まれます。

 

天の気が降らず、地の気が昇らなければ

交わり変化が起こらず循環が生まれません。

 

世の中の摂理は天地の大いなる循環を尊ぶものであり

太極拳もまたこの循環に倣っているのです。

 

初六。

太極拳を体得することは大きな川を

歩いて渡るようなものです。

焦らずゆっくりと謙虚さを持って学べば流されることなく

出来なかったこともやがて必ず出来るようになります。

 

六二。

その時々にしなくてはいけないことをしていれば

問題はありません。

謙虚な態度は周りに伝わります。

 

九三。

謙虚に努力したことで

太極拳が少し使えるようになり周りからも信頼を得ます。

しかし増長して勝手なことをすると憂き目に会います。

 

六四。

能ある鷹は爪を隠します。

出しゃばらず自分は一歩引いたところにいれば

間違いはありません。

 

六五。

謙虚な指導者であるので周りから信頼されます。

もし、傲慢な生徒がいれば迷わず注意しましょう。

身勝手な言動は人間関係を悪くし

一門の評判を著しく下げます。

注意して直らなければ破門にすべきです。

 

上六。

達人と呼ばれていても軽んじる人はいます。

口で言い聞かせてもダメな場合は

実力行使で武を示すことです。

井の中の蛙であることを教えてあげましょう。

 

そもそも太極拳は謙虚でなければ成り立たない武術です。

人に譲る、負けに投資するなどは

謙虚さがなければできません。

 

それが熟練し、技が使えるようになれば

増長し謙虚さを忘れてしまいます。

 

謙虚を忘れれば武功はそこで止まるばかりか衰退します。

 

謙虚さがあれば成長し続けることができます。

動くこと、止まること

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陰陽論では

動くことは陽、止まることは陰です。

 

しかし、動く=陽、止まる=陰ではありません。

 

惰性で動くことは陰であり、

止まろうと決断して止まることは陽です。

 

止まるべき時に止まること、

動くべき時に動くことは陽です。

 

動揺して動いてはいけない時に動いたり、

固まって動けなくなり止まることは陰です。

 

動かされて動くこと

止められて止まることも陰です。

 

意を用いて動いたり止まったりすることと

成り行きで動いたり止まったりすることは全く異なります。

 

“用意不用力”“以意導体”とは

然るべき時に然りべきことをするということです。

 

“捨己従人”という教えは

無気力に力を抜き、されるがままにするという

陰の(消極的)行為ではありません。

 

我欲を出さず、相手の勁を聴くという

陽の(積極的)行為です。

 

能動、受動、積極、消極の違いを

知らなくてはいけません。

 

『大学』の三綱領、

在明明徳。在親民。在止於至善。

で説明するならば、

 

明徳…作為せず正面で

親民…相手の勁を聴き

至善…意を用いて動き止まる

 

ということです。

大無畏の精神

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不動心は武術家にとって技術以上に大切なものです。

『鄭子太極拳自修新法』の“三無畏”の一つにも書かれています。

 

若し、畏れたら精神と体の働きが必ず緊張する。

緊張するとリラックス出来ない。

リラックスできないと如何して柔軟になることが出来よう。

柔軟でなければ即ち剛となる。 

故に太極拳の原理を徹底的に理解する者は、

大無畏の精神を兼ね備えて いる。

孟子が言う、泰山が目の前に崩れても、

眼の色ひとつ変えずに能く吾が浩然の気を養うことが出来るのは、

即ち老子が言う気を専らにして柔を致し、

豊に嬰児の如くならんか、のことである。

何の兇猛だから 畏れることがあろう。 

(『鄭子太極拳自修新法(日本語版)』27ページより)

 

緊張には

身体の緊張と、心の緊張があり

この二つは密接に関係しています。

 

現代はストレス社会と言われています。

 

“ストレスに負けるな”とか“元気を出そう”とか考えると

力みが入り、余計に疲れてしまいます。

 

ストレスには力まずリラックスすることが有効です。

ストレスを受けている時は身体も固くなっています。

 

大無畏の精神など、

普通の人には簡単にできるものではありません。

 

心の緊張を解くのが難しい時は

まず身体の緊張を解いてみましょう。

 

意識して身体から力を抜き緩めれば

少し気が楽になるはずです。

山岡鉄舟

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『猫之妙術』に書かれている“木彫りの置物のような猫”を

体現した人がいます。

 

幕末の剣豪、山岡鉄舟です。

 

山岡鉄舟は勝海舟、高橋泥舟と並び

“幕末の三舟”に数えられる幕臣です。

 

鉄舟は剣、書、禅の達人で

江戸総攻撃を仕掛けようとする西郷隆盛の元に

従者一人を連れて乗り込み

西郷を直談判で説き伏せ

江戸城無血開城へと導きました。

 

まさに己を捨てた不動心がなせたことです。

「無我無私の忠胆なる人」と西郷隆盛が感嘆したといいます。

 

鉄舟の生家は貧乏で

幼い頃からネズミが走り回っていたそうです。

 

それが剣と禅の修行を続け、

壮年になる頃には禅を始めると

家中のネズミが一斉にいなくなったそうです。

 

しかし鉄舟はこれに満足せず、

「俺の禅はネズミのカカシくらいが相場か、まだまだだな」

といって修行を続け、更なる高みを目指しました。

 

そして晩年には禅を始めると

肩や膝にネズミが乗ってくるようになったそうです。

 

鉄舟は明治天皇の侍従を務めましたが胃癌を患い、

その臨終は病床から起き上がり、

皇居に向かって静かに座禅をしながら息を引き取ったそうです。

木鶏

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『荘子』に“木鶏”という話があります。

 

木彫りの鶏のように物事に全く動じない心と

微動だにしない泰然自若とした姿こそが

武の目指すところです。

 

以下、木鶏の原文です。

 

紀渻子為王養闘雞。

十日而問、「雞已乎。」

曰、「未也。方虛憍而恃気。

十日又問。曰、「未也。猶応嚮景。」

十日又問。曰、「未也。猶疾視而盛気。」

十日又問。曰、「幾矣。雞雖有鳴者、已無變矣。

望之似木雞矣。其徳全矣。異雞無敢応者,反走矣。」

 

紀渻子が、王の鶏を闘鶏用に訓練しました。

十日経ち王が様子を尋ねました。

「鶏はどうか」

紀渻子は答えました。

「まだです。むやみに虚勢を張ってしきりに敵を求めます」

それから十日経ち王が尋ねると、

「まだです。他の鶏の鳴き声を聞いたり

気配を感じたりすると興奮します」

また十日経ち王が尋ねると、

「まだです。他の鶏がいると睨みつけ闘志をみなぎらせます」

さらに十日経ち王が尋ねると、

「そろそろよいでしょう。

他の鶏の鳴き声を聞いてもいっこう動ずる気配もなく、

まるで木彫の鶏のように見えます。徳が充実した証拠です。

どんな鶏が相手でも、

この姿を見ただけで逃げ出してしまうでしょう」

 

江戸時代に書かれた『田舎荘子』の一話に

“猫之妙術”という話があります。

 

原案は“木鶏”ですが、武術の所作・気・心のあり方が具体的に

分かりやすく描かれています。

 

『猫之妙術』は現代語訳も出版されていますので

興味のある方は御一読ください。

艮為山

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易経六十四卦で不動心を説く卦は艮為山です。

 

上下同じ卦が重なった八純卦の一つで

山が重なる様から兼山とも呼ばれます。

 

艮為山は地山謙と並び“君子の卦”と称されています。

君子が見習い最も心掛けなければならない教えがここにあります。

 

君子は人々を導く立場にあるので、

その失敗は組織全体に及びます。

 

安易な考えや欲求で突っ走ってはいけません。

欲望に惑わされず止まるべきときに止まることができる

揺るがない心が必要です。

 

艮には、止まる、留まるの意があります。

武術家にとっては不動心に通じるものです。

 

以下、艮為山の本文です。

 

艮其背不獲其身。

行其庭不見其人、无咎。

彖曰、艮、止也。

時止則止、時行則行、動静不失其時、其道光明。

艮其止、止其所也。上下敵應、不相與也。

是以不獲其身、行其庭不見其人、无咎也。

象曰、兼山艮。君子以思不出其位。

 

初六。艮其趾。无咎。利永貞。

象曰、艮其趾、未失正也。

六二。艮其腓。不拯其隨。其心不快。

象曰、不拯其隨、未退聽也。

九三。艮其限。列其夤。厲薫心。

象曰、艮其限、危薫心也。

六四。艮其身。无咎。

象曰、艮其身、止諸躬也。

六五。艮其輔。言有序。悔亡。

象曰、艮其輔、以中正也。

上九。敦艮、吉。 

象曰、敦艮之吉、以厚終也。

 

人には七竅(口・両眼・両耳・両鼻孔)があり、

これが欲の発端になります。

そしてこれら全ては前方を向いています。

 

心が動けば動揺します。

動揺すれば自在に動くことができません。

 

前方(進む側)でない背に意をとどめれば

欲に身を囚われることはありません。

 

太極拳においても

前(虚)ではなく背(実)に意をとどめることで

相手に惑わされず自然に動くことができます。

 

戦いの場では、相手を直視してはいけません。

見ることは意識することに繋がります。

太極拳の眼法は“平目平視”です。

 

自然に動くとは不動心を持って、

止まるべき時に止まり

動くべき時に動くことができるということです。

 

初六。

足は体の根であり

意識から最も遠い所にあります。

足が動くと身体全部が動いてしまいます。

全身の体重は片足に沈めなければなりません。

 

六二。

ふくらはぎが単独で動くことができないように

思い通りに動くことができないので面白くありません。

これは相手の勁を聴いていないからです。

 

九三。

止まることと固まることは違います。

腰は自在に動くように常に緩めなくてはいけません。

腰を固めてしまっては体が一つの塊になってしまいます。

 

六四。

止まる事に留意できれば

攻めすぎることも、退きすぎることもありません。

 

六五。

口は災いの元です。

立場をわきまえて言葉を選びましょう。

責任ある立場は発言にも責任が発生します。

 

上九。

止まる意味、止まり方がわかれば

達人の動きができます。

不動心を得られれば何事にも動じません。

 

太極拳は常に動く武術です。

動作はゆっくりでも決して止まることはありません。

 

しかしそれは表面的な動きであり、

陰陽の転換時には攻撃を止め

防御に転じなければいけません。

 

ここを見誤り攻撃をやめなければ

途端に崩され飛ばされてしまいます。

 

攻防で熱くなったり、感情的になれば墓穴を掘ります。

平常心、不動心をもって動くことが大切です。

四大病手

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『詳解太極拳推手訓練秘訣』郭福厚著に

推手の“四大病手”が書かれています。

 

“四大病手”とは前回の“丟”と“頂”に

“扁”と“抗”を足した4つです。

 

それぞれを本文から紹介します。

 

「丟・扁(偏)・頂・抗」の四大病手は

沾連黏随の基本功が不十分であることが影響している。

 

「丟」とは相手と接触している部位が離れてしまい、

コントロール能力を失うことである。

広義では掤勁を失い虚の状態でつけいられる機会を

相手に与えることも「丟」という。

 

「扁」とは姿勢が円でなくなることであり、

死角あるいは平面が現れると

いずれにせよ相手につけいるスキやチャンスを与えてしまう。

扁を偏と表現することもある。

もし姿勢が歪み傾いていたら、

間違いなく相手の攻撃と失敗を招く。

 

頂・抗ともに硬い力で対峙する行為をさす。

我と相手との力のバランスがとれていれば「頂」となり、

自分の力が相手より小さいのに頂しようとすれば「抗」となる。

 

頂すれば対峙し、抗すれば必ず敗れる。

抗は自分の姿勢が相手に制せられて

偏となっているときによく見うけられる。

 

順勢で退却走化しようにもできないでいるので、

知らないうちに抵抗する姿勢となっている。

 

“四大病手”は初心者が陥りやすい間違いですが

熟練者であっても気をつけなければいけません。

 

相手を敵として接すると

ああしてやろう、こうしてやろうという作為が生まれたり、

無意識のうちに彼我の間に壁を作ってしまい

抵抗したり拒んだりする動作が出てしまいます。

 

喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情や好悪の感情をもって

相手と接すると“四大病手”を招くことになります。

 

不動心を持って相手と接することが大切です。

不丟頂

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太極推手には“不丟頂”という教えがあります。

 

“丟”とは相手と離れてしまうこと、

相手との接触圧力が無くなってしまうことです。

 

“頂”とは相手とぶつかること、

相手との接触圧力が強くなってしまうことです。

 

推手では相手との接触圧力は常に一定でなくてはいけません。

 

相手が攻撃する(前に出てくる)ので、自分は防御し(後ろに下がる)、

相手が下がるので、自分が攻撃の態勢をとれるのです。

 

この動きが“拉鋸式”です。

 

“丟”や“頂”になってしまうと

ノコギリ曳きのようなスムーズな動きができなくなりギクシャクします。

 

管理人の見解では、

推手には“先天の推手”と“後天の推手”があります。

 

“先天の推手”はテニスで言えばラリーの練習のようなものです。

ラリーはポイントを取るための強いスマッシュや

ドライブスライスなどをしない基本練習です。

 

テニスの上達にラリーの練習が欠かせないように

推手の上達にも“先天の推手”は欠かせません。

 

推手の練習で勝敗にこだわり相手を崩すことばかりしていると

いつまでたっても上達できません。

 

“不丟頂”の教えを守り“拉鋸式”を心がけることが

推手の上達につながります。