長女が幼稚園に入園した頃、下の長男は2歳。二女はまだ3ヶ月の赤ちゃんでした。まさか長女に障害があろうとは思ってもいなかったので、自宅から一番近く、徒歩でも行ける私立の幼稚園に入園しました。知らなかったことなのですが、障害児は、私立の幼稚園では受け入れてもらえない場合も多々あるようです。下の子の幼稚園を選ぶ時に、私立の幼稚園のパンフレットに、「心身ともに、年齢相当の成長をしている人」と書かれていて、遠巻きに障害児お断りと、入園の条件を提示している幼稚園もあるんだなぁと知りました。知らなかったとはいえ、よく入園させてもらえたなぁと思います。当時住んでいたニュータウンは、同年代の若いファミリーがたくさん住んでいました。子供の数も多く、長女の幼稚園も1クラスに最大定員数ギリギリの園児がいました。それを担任の先生一人でみていたのですから、とても大変だったと思います。その上、障害児までクラスにいたら、どんなに大変だったでしょうか?まだ若い先生でしたが、2年間とも長女の担任をしてくださり、本当にしっかりとよくみてくださいました!先生には感謝の気持ちしかないですね。ただ園外に出る行事の時は、手が足りないので、お母さんも付き添ってくださいと、園の方から言われていましたので、私も一緒に動物園などの遠足に行きました。大きい組になると、しあわせの村という所でお泊まり保育があり、私達夫婦もしあわせの村に部屋を取り、夕食が終わった頃、娘の宿泊棟まで迎えに行き、私達と同じ部屋で寝かせて、また朝にみんなの所へ娘を戻しました。園長先生からは、一日目だけ参加して、夜に迎えに来られますか?と言われていたのですが、できるだけみんなと同じ経験をさせてあげたかったので、親も部屋を取って泊まる事にしました。週一回の通級教室もありましたし、下の子二人は、まだ小さいのに、とにかく可哀想なくらい、私の両親や、近所のお友達に預ける事が多かったです。同じクラスのお母さん方にも、よく助けていただきました。でも、中には私達親子を快く思わない方もいたようです。クラスの何人かのお母さん方が中心になって、バーベキューを企画していたようですが、私達親子だけ誘ってもらえませんでした。ある日娘のお迎えに並んでいると、一人のお母さんが、列に並んでいるお母さん方に、何かプリントを配っていました。でも、私だけ飛ばして、後ろの人に配りました。何かな?感じ悪いな~と 思っていると、後日仲良くしていたお母さんから、バーベキューの誘いだと聞きました。ブログを書いていて、その事を思い出しましたが、思い出したからといって、今は全く腹もたちません。もう過ぎた事です。ただ、園長先生が、私を見かける度に、「今日は滑り台の所で、オシッコをしちゃってね~大変でした。先生が慌てて片付けていましたけどね」  とか、お宅の娘さんは手がかかりますよという事を、いちいち私に言ってくるので、担任の先生に対して申し訳ない気持ちもあり、ちょっと辛かったですね。まぁこれも過ぎた事ですが。
 長女が幼稚園の頃は、まだ知的障害については、よく分かっていなくて、幼稚園の2年間で、みんなに成長を追い付かさなきゃ!頑張って小学校は普通学級に入れるんだ!って思っていました。だから、通級教室に週に一回通い、隣の明石市まで行き、公文の教室に通っていました。(明石の公文の先生が、ダウン症のお嬢さんを育てられて、高校は普通校に入れたと、同じ障害児のお母さんに聞いていましたので、遠かったですが通いました)宿題を毎回3回はするように言われていましたので、下の息子も一緒に(本人は聞いているのか?聞いていないのか?反応がなくて、分かりませんでしたが、下の子は興味津々で聞いていました)あれこれやっていました。数字の歌など、歌が中心で楽しかったです。また大人が教えるよりも、同年代の健常児からの刺激で、大きく成長するとも聞いていましたので、幼稚園の同じクラスの女の子達を数人いつも誘って、家に遊びに来てもらっていました。そして、みんなでお絵描きや、お菓子を作ったり、小麦粉粘土も手作りして、みんなで作品を作ったりしていました。夕方 お迎えに来たお母さん方も家に招いて、お茶とお菓子を出して、しばらくおしゃべりして、みんなが帰ってからが忙しくて、掃除機をかけて、オモチャ等家を片付けて…とバタバタでした。それでも親子だけで孤立せず、他の人達にも加わっていただけたので、助かりましたし、楽しかったです。
  私が一番困ったのは、毎日のお風呂でした。成長の違う3人の子供を、私一人で入れて、出して、服を着せて…は、大変でした。どうやればうまく入れられるか?短時間に済ませられるか?あれこれ考えて悪戦苦闘していました。末の娘が寝ている間に、まずは上の二人をお風呂に入れて、ついでに自分も洗って、上の二人にパジャマを着せてから、ベビーベッドの末の娘をお風呂にいれて、着替えさせて湯冷ましを飲ませてから、自分もパジャマを着る…って感じでした。途中からガウンを買ったので、素っ裸でウロウロする事もなく便利でした。3人入れ終わると、夏はすっかりのぼせていましたね。末の娘がある程度大きくなってからは、2部にまたがらずに、3人まとめて入れられたので、ずいぶん楽になりました。当時テレビや新聞などで、テレビやビデオに子守りをさせてはいけませんと、よく言われていましたが、そんな事は言ってられませんでした!テレビやビデオに子守りをしてもらっていました。「おかあさんといっしよ」や、「英語で遊ぼう」「一人でできるもん」等をビデオに録画して、それを見せていました。その思い出のビデオがこの間出てきて、捨てられずにDVDにまでダビングしました。あゆみお姉さんや、けんたろうお兄さんの歌声にどれだけ励まされたか…ありがたかったですね。ダビングしながら聞いていて、改めて感動しました。