40歳で独立したわたしは、

仕事仲間の紹介もあり、

少しずつ仕事の幅を

広げていくことができました。

 

しかし、独立して10年目の春。

右胸に乳がんが見つかります。

 

30歳、40歳の転機は

自分が変化を求めた結果

起きた転機で、ある意味

想定内のことでしたが、

50歳の転機は全くの想定外。

 

出会い頭に事故に

遭ったようなようでした。

 

…━…━…━…━…

 

これまでの記事はこちらからどうぞ。

30歳、40歳、50歳、3つの転機を経てわかったこと その1【30歳の転機】

 

30歳、40歳、50歳、3つの転機を経てわかったこと その2【40歳の転機 前編】

 

30歳、40歳、50歳、3つの転機を経てわかったこと その3【40歳の転機 中編】

 

30歳、40歳、50歳、3つの転機を経てわかったこと その4【 40歳の転機 後編】

 

30歳、40歳、50歳、3つの転機を経てわかったこと その5【 50歳の転機 前編】

 

 

今回は、いよいよ50歳の転機<後編>

このタイトルの最終回です。長かった…。

あと少し、お付き合いください。

 

※乳がんに関しては、

わたしが経験したことや、

感じたことを書いています。

症状や治療法は個人によって

異なりますのでご了承ください。

 

…━…━…━…━…

 

きっかけは、毎年受けていた

市の健康診断でした。

 

医師がその場で乳がんの疑いが

あることを丁寧に説明

してくれました。

 

確か「限りなく黒に近いグレー」

と言われていたと思います。

 

また、マンモグラフィーだけでは

見つけられなかったかも

しれないと言われました。


福岡市の乳がん検診は本来、

マンモグラフィーの検査だけですが、

健診を受けた病院はエコー検査も

入っていたのです。ラッキーでした。

 

 

しかし、それからが長かったタラー

 

健康診断を受けたのは

3月中旬でしたが、

市から結果が届くまで

1ヶ月ほどかかります。

 

医師から聞いたのですが、

1000人乳がん検診をうけて

要精密検査となるのは50〜100人程度。

その中から乳がんと診断されるのは

2〜3人なのだそうです。

だから確率にすれば0.2〜0.3%。

 

でも、当事者にとっては

そんなパーセンテージなんて

関係ないんですよね。

 

「ガンなのか、ガンでないのか、

0か100しかない」

そんなことを思いながら、

ざわつく心を必死で抑えていました。

 

結局、市から通知が

届いたのは4月後半。

 

想定どおり要精密検査だったので、

かかりつけ医に相談し、

乳がん専門のクリニックを

紹介してもらいました。

 

そこで、すぐに乳がんの

診断がつくかと思ったら、

そこから細胞診、組織診と検査

が続きました。

 

おまけに最初の組織診で

判断がつかなったとのことで

2回も組織診を受けることに。

正式に乳がんと診断されたのは

5月末でした。

 

検査の結果は、

ステージ0の「非浸潤がん」。

 

「非浸潤がん」とは

乳管内にがんが

とどまっている状態のもので

(外にがんが滲み出ていない)、

がんを切り取ることができれば、

ほとんど完治が見込まれます。

 

この状態をステージ0

というようです。

 

手術の段階で診断結果が

変わることもあるといわれて、

安心はできませんでした。

 

 

また、一般的に乳がんは、

自分で触診して

「しこり」がないか

セルチェックできますが、

「しこり」ができない

乳がんもあります。

わたしのがんがそうでした。

 

そのがんの広がりが

大きかったようで

場合によっては全摘する

必要があるかもしれない

言われたのです。

これも、手術で開いてみないと

どのくらい切除する必要があるか

わからないといいます。

 

ステージ0でも

全摘することがあるとは…。

 

手術から目覚めたら

乳房がなくなって

いるかもしれない。

これはきつかったですねタラー

 

手術の後、麻酔で朦朧とする中、

執刀医から「残せました」

と言われたのを覚えています。

リンパ転移もないとのこと。

 

わたしはほっとして

また眠りにつきました。

 

 

仕事は、ちょうど大きな仕事が

終わったタイミングで、

レギュラーの仕事は

ライター仲間にサポートを

お願いしました。

 

新規の仕事も入っていなかったし、

神様が休めと言っているのだと思い、

しっかり休もうと思ったのですが、

やっぱり気になってしまって、

手術の翌日からメールチェックなど

していました汗うさぎ

 

見舞いにきてくれた友人に

「貧乏性なんだよね」というと、

「待ってくれている仕事が

 あるのはありがたいことだよ」

言ってくれて、

改めて仕事があることの

ありがたさを実感しました。

 

手術から7年が経ち、

幸いなことに罹患したことを

忘れるくらい今は

元気に過ごしています。

 

…━…━…━…━…

 

 

初期だったとはいえ、

がんと宣告されたときは、

死を意識しました。

 

前後して、親しかった友人が

続けてなくなり、最近は、

自分はなぜ生かされて

いるのだろうと

考えることがあります。

 

答えは出ていませんが

考え続けることが

大事なのかもしれません。

 

なんとなく書きはじめた

30歳からの人生ストーリーですが、

自分を振り返る

よい機会になりました。

 

今さらですが、

書くことは大事ですね。

 

長々とお付き合いくださった皆様、

本当にありがとうございましたビックリマーク

 

 

 

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3月24日(金) 13:00〜

ライティング講座を開催します!

少人数で簡単なワークをしながら、

コピーの考え方や書き方を

お伝えできればと思っています。

詳細は追ってお知らせしますので

興味のある方はぜひご参加ください。

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