最近仲よしの子がいる。

ママが中国人でパパがハンガリー人のカナダ国籍の子である。

この子、すごく人種にまつわる意識が強くて、
常に 白人がどうの とか アジア人がどうの 中国人が 日本人が
というカテゴライズで話をすすめる癖がある。
その度に顔をしかめてしまう。

彼の場合、「カナダ人」というアイデンティティは助けにならないらしい。
両親はカナダ国籍ではあるものの移民で、彼はカナダで産まれた一世である。
でもそれは、「カナダで産まれただけ」というくらいの感覚であって、
依然「カナダ」に強い帰属意識を求める事は無いようだ。

カナダ人は、カナダ人であること以前に、
アラブ系 アジア系 アフリカ系、といった、
「I am originally from ~」という意識を大切にしていると思う。
(だから、オリンピックの時にどんな外見の人も全員が
 「go Canada, go!」と結束しているのを見て感動したのだ、私は。)
学校でつるんでいるグループを見ても、ざっくりと人種で別れている。

彼は、自分に半分中国人の血が流れているため、
日中間の歴史に立脚して、日本人を極端に嫌っている。

ほんとうに厳しいジョークを飛ばしてくるんだ、
向うから中国人が歩いて来たら
「へいお前日本人だろ、あいつらの頭の皮はいで殺せよ」とか。
本当に笑えない。

大好きな中国の爺ちゃんが南京に在住していた事もあって、
日本軍が世界大戦中にした仕打ちに対して強い怒りを持っているらしい。

「お前の爺ちゃんが、おれの爺ちゃんの兄弟を殺したかもしれないんだよ」
と言われた時は、
なんてこった・・・ と思った。

実際私の爺ちゃんは、なんていうか、凄く凄く「軍人」だった人で、
生前は戦争中の話をよく私に話してくれた。
自分がどれだけ勇敢に戦地に赴いて、どれだけの敵をやっつけたか、
というお話。
本当に、確かに
私のおじいちゃんが彼のおじいちゃんの兄弟を殺している可能性だって
ゼロではない。

歴史は巡って、今の私達に辿り着いている。

彼と対峙して、上の言葉を言われた時に、
今まで普通に友達だった私たちが、
日本人と中国人に還元された訳で

この時ほど日中の歴史問題を痛烈に意識したことは無い。

さっきまで普通に友達だったのに
ちがう視点で見たら、一緒に居ることが全く間違っているような気がした。

もし私のおじいちゃんが殺されたとして、
その殺人者の孫と、私は友達になれるのかな。わからん

きっと、ネウヨとかは、日中とか日韓の歴史問題で、
生身の中国人や韓国人と触れ合って、
こころが ぎゅっ としたことが無いんだよ。

こんなに悲しい事って無いよ。
ただ普通の友達なのにさ、全く修正のきかない所で、
どんな努力も届かない所で、
何かが確実に分断されているの。

その友達のお母さんも日本人に嫌悪感が有るらしく、
いつかお家にお邪魔する機会があったら、
私は台湾人か韓国人と名乗った方が良いらしい。

そんなのはご免である。
私は、

私は、日本人であることを偽るのは絶対に嫌。
戦争を生き延びた自分の爺ちゃんのことも本当に愛している。

そして留学来て以来、日本という国がこれまで以上に好きになってるんだよ。

でも、日本人として背負うべき歴史的知識とか責任感とか
そいうのすごく希薄なんだろう、
こういう場合どうやって振る舞ったらいいのか全然わかんない。

だから、彼の問いかけのレスポンスとして、
今こうしてブログに記事を書いています。

日本が今まで中国にして来た謝罪や歴史決算、全てを知っている訳じゃないけど、
こうして日本社会の末端である私が、
中国の人と対峙して、歴史問題で胸を痛めているのです
これは
つまり
未だに歴史問題と言うのは処理しきれていない、ということ。
完璧に「過去」では無いということ。

実は今まで中国人、韓国人は親日の人としか出会った事がなかったので、
歴史問題とか全く気にせずに付き合いがちだけど、

やっぱ日本人に直接言わないだけで、嫌悪は根強くあるんだよ。 
私たちの世代は、日本のポップカルチャーが東アジアにガンガン流入して、
日本語習ってる人や親日家が東アジアの人に多い。
だから留学行ってる日本人こそ、「中国・韓国=親日」と思って
帰ってくる人多いけど、
それって逆に歴史問題を不可視化させてしまうのかも。

日本人嫌悪で、ハナから日本人に近づかない人も居るんだ、ということを
私は知りました。

そんな彼とも今やベストフレンドです。
いつもは下らん冗談で笑っているのよ。いつもシリアスな訳ない。
帰る直前ですが、こういうお友達が出来てよかったなと思ってるんですよ。