こちらに到着した当初は、日本の夢しか見なくて、
目がさめて、
あ、カナダに居るんだなあたし・・・
と確認すると寂しい気持ちになったりしてた。

最近、
夢の半分くらいはカナダで展開される物語で、
英語を喋っているような気がしなくもない。

これってちょっと面白い
私の頭の中では、ネイティブが喋るように英語を組み立てられないので、
夢の中では、「英語で喋ってる」という設定だけ受け継いで、
登場人物のカナダ人はペラペラ英語を話すんだけど、
英語の文章として意味のある言葉を喋っていなくて、
(私の脳みそが英語の文章をすらすら作れないから。)
「外国人がペラペラと英語を喋るイメージ」みたいな音だけ再生されて、
でも私は彼らの言っている意味を理解してるのね。

夢というのは興味深いよ~


今日は、日本に居る家族の夢をみて、
ぬぎちゃんが日本にいるんだから、旅行しよう、
好きなとこに行こう、みたいな夢をみた。

皆がすごい焦っていて、次はここ行こう、次はここ行こう、
時間がないから!はやくはやく!
みたいなとても忙しない夢だった。

実は、もうそろそろ朝がくるから、
夢の中でしか会えないから、
今のうちに行きたいところ全部行っておこう!
みたいなニュアンスが含まれていたと思うの、
登場人物は誰も口にしないんだけど、
なんかそういう限られた時間で楽しもう、という切なさの
漂う夢だった。

これってさ、夢見ているときに、これは現実じゃないんだと気づいても、
実は私たちは夢に没頭する事を積極的に演じているのかもしれないよ。


1.自分が夢を見ていると気づいていない
というのが初期段階

2.自分が夢を見ていると気づいていないが、実はこれは夢。
という「気づき」の段階があります。

これに加えて更に

3.自分が夢を見ていると気づいていないが、実はこれは夢である。
  でも、夢であるという現実に気づかないふりして、このまま夢を楽しんでいたい。
 
という境地にまで至った気がする、今日は。
夢を見ている最中に、なんとなーくそういうことを考えたという
記憶があるんです。

この夢いいな~さめたくないな~
夢なのかな~本当はこっちが現実なんじゃないの~
という、夢に没していない、神的な視線が存在するね。

夢は良いね、
好きな人に会えるからさ。
それに脳内は自由で、限りなくスペースがある!
イマジネーションのちから!
夢が現実の世界で、現実が夢というふうに思うようにしている、
というのはさんまさんだっけ?

あとは、将来の夢の話もちゃんと考えなきゃならんですなー
そろそろですなー ゴニョゴニョゴニョ