たしか私が小学1年生の時、父親に連れられ初めて行った“ナゴヤ球場“
初めての“プロ野球観戦“
初めての“ドラゴンズ戦“

その試合でひとり輝きを放ち、大活躍をしていた選手がいました。

その試合以来、益々野球が大好きになり、ドラゴンズファンになった日。

同時にひとりのプロ野球選手のファンに、憧れに、そしてその選手のようになりたいと自分も野球がしたい!と野球を始めるきっかけになった日。

私の今の野球好きや野球選手を目指したまさに原点。

今でもはっきりと覚えています。

「高木守道」選手です。

走攻守3拍子そろった選手としてドラゴンズ一筋21年間活躍したドラゴンズ、そして球界をも代表する名二塁手。
バックトス、グラブトスなど華麗な守備でファンを魅了しました。

多くの選手や多くのファンに親しまれたまさに“ミスタードラゴンズ"であり、ドラゴンズの歴史を築いてきた偉大な方です。

そのミスタードラゴンズの高木守道さんが昨日、ご逝去されました。

ご生前の活躍と御功績に深く敬意と感謝を申し上げますと共に、謹んでお悔やみ申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

スポーツ選手、芸能人、文化人有名人などで自分が“憧れた“方が亡くなることは今までなかったので本当にショックであり、残念であり、悲しい出来事でした。

選手引退後はコーチを経てドラゴンズの監督も務め、監督在任中の1994年には今でもプロ野球史として語り継がれる、最終戦で勝った方がリーグ優勝という歴史的一戦「10.8」ではジャイアンツと対戦しますが敗戦となり、残念ながらリーグ優勝を逃した際の監督。

2期監督を務めましたが、優勝には恵まれませんでした。

監督時代には厳しい声を言われることもありましたが、ただ、どんな時もファンを大切にされる優しい方でした。

選手時代も監督時代も派手さやパフォーマンスはありませんでしたが、堅実であり頑固であり職人肌。
昭和時代のオヤジのような方でした。

監督時代も含めて私の“憧れの選手"だったことは変わりありません。

私の野球の原点であることは変わりません。

誰もが“憧れた人“や“何かをする大きなきっかけを与えてくれた人“はいるかと思います。

私にとってはそれが高木守道さんでした。

野球好き、ドラゴンズ好きの私に連れられ、娘が小学校5年生の時に始めて連れて行った中日ドラゴンズの沖縄キャンプで撮った高木守道さんとの写真です。

娘はこの中日ドラゴンズキャンプに行った時に高木監督を始めたくさんの選手が身近で優しく接してくれたことがきっかけでドラゴンズ好き、野球好きになり、以後、高校野球、大学野球と野球に夢見て、野球に深く関わるようになり、今なおその道を歩んでいます。

私には感慨深い一枚。
大切な一枚となりました。

ありがとうございました。

心からご冥福をお祈り致します。