東北大震災から5年が経ちますが、昨日も鳥取県で震度6弱の地震が発生するなど災害が後を絶ちません。
関東でもいつ大規模地震が起きてもおかしくない状況です。
被災地から学び教訓を活かすため色々と現場の貴重なお話しを伺ってきました
気仙沼市から陸前高田市へは、電車の線路がないためBRTというバスで移動。
陸前高田駅を降りるとシンガポールから寄付を受けたという立派な文化ホールが。
瓦礫などはなく駅前だけをみればここがあの大震災跡地とは思えないほど復興しています。
市役所はまだプレハブでした
議場も簡易な会議室のような感じ。
でも個人的にはあまり仰々しい場よりこういう方が北欧スタイルでいいなと思ったり
伊藤議長も同席していただき研修を受けました。
中心市街地や防潮堤など様々な復興まちづくり計画がようやく着手する段階に来ており、今は日々状況が激しく変化していること。
そしてその中で、新たな問題も発生していること。
例えば仮設住宅。
ようやく災害公営住宅の建設が進み、仮説住宅からの移住を進めるも移動できない方が1400名ほどおり、(理由は主に家賃など経済的な問題)個別に相談にはのっているがなかなか難しいこと。
そして公営住宅に移ったら移ったで、つきあいのない方同士になるので独居老人の方が孤独死をしてしまう事態が発生してしまったということでした。
災害に対してこれを備えておけばよかったということは何ですか?という質問には、、
⚫︎人の安全と同じくらいデータの安全を確保しておくこと。市役所が水没してしまい、行政機能がまったく果たせなかったのが初期の復旧が立ち遅れた原因。委託していた戸籍データ以外発生全て津波で流され、行政情報は職員の記憶の中で復旧していった。いまだに、あんな文書あったよねと作ったりしているそうです。
⚫︎とにかくより高いところがどこなのか。各自が知っていること。津波は最大10mの想定だったが結局は17mの想定以上の津波が来たため、避難所で犠牲になった人もいた。想定以上の津波が来た場合、避難所の次にどこにいくべきか迅速に対応できるよう、常日頃高台を知っておくこと。
などなど・・
大災害を実際に経験した方の言葉は一つ一つに深い教訓が込められており私達も真剣に聞き入りました。
同僚は111名も亡くなられたそうです…
民生委員や消防団など人を守る職務についている方が職場を離れず身を犠牲にしていったとのこと。
公務も大事ですが命を大切にしてください。
という一言が重く響きました。
市役所を出た後は、山の上から街の全体を見下ろせる場所まで案内していただきました
中学校にかけられている横断幕
僕らは生きる ここで この場所で
という言葉。
奇跡の一本松とともに心に刺さります。
そして今、陸前高田は新たに食の観光にも力を入れています
地場産の活ホタテやワカメを使ったホタワカ御膳
ここでしか食べられないブランド米「たかたのゆめ」
あまりに美味しいお米だったので探しまわってお土産に買いました。ネット通販もして欲しい…
プライベートでもまた訪れて街の復興を応援していきたいと思いました
今回の視察で得た貴重な情報をまた逗子市政に活かしていきたいと思います。
ご丁寧な視察対応をしていただいた陸前高田市の皆様ありがとうございました!!!