金貨1枚30メルツ
カツ、カツ、カツと、湿った洞窟内にはまるで不釣りあいなパンプスの音が響く。
揺れるブロンドは優しくうねって、溺れるような甘い香りを振りまいていた。
陽の光が届かないこの場所で、便りになるのは手に持っている小さなランプだけ。それでも、仄かに暖かさを醸し出すそれは、とても心強い供だった。
と言っても、慣れた彼女にそんなものは関係ない。
彼女の足元には、『甘美な夢を見せてあげる。』と言わんばかりに蜜を溢れさせた、美しい花々が咲き誇っている。実際、口に含みでもしたら、永遠に苦痛と幻覚に襲われるのだが。
「……まるで、この世界のようだな。醜くも美しい。」
そっと呟き少女は、その華奢な足で幻を踏み潰して向かう。
1人、闇の中へと。
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「……はは。もう皆いなくなっちまったよ。仲間はお前だけだなぁ。」
男は、自分の周りをうろちょろと走り回る、薄汚れた鼠に話しかけた。鼠は足を止め首を傾げると、男の太ももあたりに這い上がってくる。その様子を見た男は、切なそうに微笑んだ。
もう、ここへ来て何時間経ったのだろうか。せいぜい3時間くらいなのか。足が棒のようになって動かない。腕をあげるだけで痺れに襲われるほどに、男は疲労しきっていた。腰に下げてきた水筒は空っぽになって、喉の渇きを潤すことも出来ない。
最初の頃は希望を持っていた。誰か生き残っていると。きっと助けが来ると。しかし、そんな奇跡は起きないのだと分かった。ならば己の手で終わらせようと。この命絶ってみせようと。そんな覚悟をしたこともあった。それでもやはり、死ぬことは出来なかった。剣が抜けなかったのだ。錆び付いているはずなどない。何故なら、剣は友だと、毎日毎日飽きずに手入れをしていたからだ。1日中磨いていた時もあった程。なのにここに来て、その愛剣にすら裏切られた。一体これほどの仕打ちがどこにあろうか。所詮神など、想像の存在でしかなかったのだ。いくら助けこようと、応えないのだ。自分は世界に見捨てられた存在なのだと。
「……ならば何故、死なせてくれないのか。俺が一体何をした?」
その問いに何者も答えず、虚しく洞窟内に消えていった。
「金貨1枚30メルツ。それで答えを教えてあげる。」
突然、1人と1匹の空間に現れた声。それに少し遅れて姿を見せたのは、まだあどけない顔をした少女だった。
ランプのおかげで露になる、輝くブロンドの髪。フリルの装飾が多い深紅のドレス。そして左右非対称の瞳。底のない声。
彼女は、己がどこにいるかを忘れてしまう程に美しい存在であった。清澄な2つの瞳に見つめられると、己が酷く穢れているように感じて、果てしない罪悪感に襲われた。それと同時に、この身を清く洗い流してくれるような気がして、涙が込み上げる。
「貴方の求めているモノは、それくらいが妥当な値段だと思うけど。」
「答え、なんて……あるのか?」
涙を乱雑に拭い、少しの期待と希望を含んで話しかける。
「さぁね。」
「……そうか。いくらだっけ?」
「金貨1枚と30メルツよ。」
それを聞いて、男は項垂れた。金なんて持ってきていなかったからだ。目的には必要なかったのだから当然のこと。
「私は、取引相手が出せないようなモノは要求しないわ。」
「でも、金貨1枚と30メルツなんて値打ちの物……」
“ない。”そう言いかけて言葉を止めた。視線の先には、愛剣が1つある。
「あら、良いモノ持ってるじゃない。それで手を売ってあげるわ。」
「え?いや、でも……これは。」
「出せないっていうの?」
「すまない。」
少女は黙って、俯いた男を見つめていた。
「嬢ちゃん、何者なんだ。」
唐突に問いかけた。
男は少女が、言いようのない、何か、自分達とは別の存在のように感じていた。彼女が纏っている雰囲気が、恐ろしく別のモノに思えたのだ。
「そう、ね。……なんて言うのかしら。神、天の使い、精霊、はたまた魔物、それとも人間か。今までの取引相手にはそんなことを言われたわ。」
「それって……」
「自分でもわからないの。さて、長い時間ここにいる訳にはいかないのよ。早く決めて欲しいのだけれど。」
少女は急かした。一方、男はもう決断していた。
「決めたよ。……俺の命、ってのは駄目か?」
「そう。命を差し出してまで知りたいのね。」
「あぁ。それに、お前が提供してくるのは答えだ。それを知ったって、どの道助かるわけじゃあないしな。」
「へぇ、貴方って結構鋭いのね。でも、生憎貴方の命なんて興味ないの。」
「……なら、どうすりゃ、」
「魂、なら手を売ってあげてもいいわ。」
「は、魂?」
「そう。命は肉体が朽ちたら消えゆくモノだけれど、魂はそういうモノじゃないのよ。詳しくは、己をもって知ることね。」
「はっ、魂ね。いいさ、それで。嬢ちゃんの好きにしてくれ。」
「ふふ、契約成立ね。」
少女は怪しく微笑んだ。
「……で、答えを教え」
そこで言葉は途切れた。
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少女の目の前には、すっかり脆くなった骸骨と、錆び付いた剣、そして鼠の亡骸があった。そこから、剣だけを抜き出す。
「貴方、なかなか良い性格してるじゃない。一緒に来る?」
その問いに剣は、美しく磨かれた自身を晒すことで答えた。
「そう。なら来なさい。」
そう言い、剣を骸骨の腕中に収めた。
最後に、ゆったりとドレスを広げて礼をする。
「私は、あの花のように醜い真似はしない主義なのよ。それに私が見せるのは幻じゃないわ。」
そっと呟き、少女は暗闇の中へ消えていった。
